賽の河原/福島県
※以下の記事は2009年に訪問した際の様子です。
福島県いわき市。
いわずと知れた東日本大震災の被災地であり今なお大勢の人々が大変な思いをされている場所である。
加えて福島第一原発事故による風評被害といった目に見えにくい不安や被害も被っている。
旨い魚、ハワイアン、合唱、回転やぐら盆踊り…私の大好きなモノが勢ぞろいの一大パラダイスなのに…ホントに悲しいよ。
現在のいわき市の様子はこちらでご確認ください。
またいわき市へのご支援に関しては「がんばっぺいわき」を是非ご覧下さい。
そんないわき市を訪れたのは2009年のまだ夏の暑さの残る頃だった。
向かったのは賽の河原と呼ばれる霊場である。
海沿いにある霊場ゆえ現在は津波による壊滅的な打撃を受け、以下ご覧いただく状況にないと思われる。
本当は現地の方の気持ちを鑑みて掲載するかどうかも考えたのだが、サイト上で在りし日の賽の河原の記載があまりなかったのであえて震災前の姿を公開しておきたいと思い掲載するに至りました。このページを見て少しでも「ああ、こんなだったな」と思い出していただくきっかけになれば、と。
繰り返すがあくまでも震災前の姿、という事をお忘れなきよう。
賽の河原は幼くして亡くなった子供達が行く場所とされているので一般的にあの世とこの世の境目、という境界性が強調されるロケーションが選ばれる。
川原、山中、洞窟といった日常と非日常の境目のような場所、のことである。

ここ、いわき市の賽の河原は海食洞窟の中にある。
同じようなロケーションとして佐渡島の賽の河原や島根県の加賀の潜戸が挙げられる。
いずれも波打ち際の海食洞窟だ。
小さな港に面した崖にその入口はある。

入口には観音像、一石五輪塔、そしてこの霊場のいわれを記した石碑が建っていた。

それによるとこの賽の河原は古くからあるが、昭和の末にとある人物が整備して現在のような姿になったのだという。
入口から階段を下りていくとそこは此岸と彼岸の境目、別の世界への入口だ。

五輪塔を中心に小さな石像が点在している。

供え物はまばらで、やや荒れた印象。
見るとゴミや漂流物らしきものも多い。恐らく潮位が上がると海水がこの辺りまで流れ込んでくるのだろう。
つまり高い津波など来たらひとたまりもないような場所なのだ。

洞窟はさらに続く。薄明かりを頼りに進んでいく。こうしているとそうでもないが実際はかなり暗い。

左にカーブすると突然天井が高くなりたくさんのお地蔵さんがひな壇状に積まれていた。
正面からは強烈な光が差し込んできた。

お地蔵さんの石像は全部同じ形状。いわゆる舟型の杓杖タイプだ。

その向かいには思い思いの奉納物が供えられている。
ダルマ、博多人形、帽子、ガンプラ、人形、人形、人形…

中身が真っ黒なビニール袋に関しては…何だったんだろう…チョット怖くて近寄れませんでした…
強烈な光に誘われるように外に出てみた。

そこは波打ち際であり、先ほど入ってきた入口とは岬の反対側になる。
港と海岸、あの世とこの世、岬の表と裏…ここはあらゆる意味で互いの世界をつなぐ特殊な通路なのだ。
岩壁には狛犬と句碑が並んでいた。

さらに見回してみると、岩壁にお地蔵さんがはり付いている。どうやって設置したんだろう…
今、出てきた洞窟を振り返る。こちらから見るともうひとつ洞窟があるではないか。

早速入ってみる。
しばらく眩い海を眺めていたので洞窟の奥の様子が見えない…

ようやく目が慣れてきて見えてきたら…

そこは無数の石積みからなる彼岸の世界だった。

先ほどの洞窟とは違い通り抜け出来ず、天井も低く、オーガナイズされていない、むき出しの信仰風景がそこにはあった。

石像の状態から判断するに、恐らくこちらの方が賽の河原の本体の部分なのだろう。
行き止まりの狭い洞窟に密集する濃密な信仰世界。

一番奥には五輪塔を中心に着物を着た数体の地蔵。
そしてたくさんの供え物が散乱し、薄暗い洞窟の中なのにビビッドな色彩が交錯していた。

多くのお地蔵さんには着物や前掛けがかけられていた。子を亡くした親が奉納したのだろう。

供えられた花は全部造花だった。ここでは管理上、生花を供えることは禁止されているのだ。

そのため陽の光が届かない薄暗い洞窟の中でも毒々しいまでの色彩を放ち続けている。
場所が場所だけに肝試しなどをする輩もいるのだろう。

洞窟の中から見る海の何と眩しいことよ。

再びこの地が霊場として機能する日がくるのだろうか。
もしかしたら遺棄されてしまうかもしれないし、案外すぐに復活するのかもしれない。
余所者の私には全く判らない。
今はただ亡くなった人のご冥福と被災された方のご健康を祈るばかりです。
2009.09.
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