■ 2011/05/06 大震災とアントニオ猪木さんと長嶋茂雄さん|オマケ画像

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。なお、トークは前日の夜に行っています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお聴きになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる(?)、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク〔2011.5.5〕(27分4秒)

トークを要約した書き起こし

世の中はゴールデン・ウィークで休みモードに入っている。が、σ(^_^)私は貧乏暇なしというか、世の中に背を向けて(?)というか、いつもとまったく変わりないの日常を過ごしている。今回のところも、夜に本サイトの“天気コーナー”(?)を予定通りに更新し、そのあとにトークを始めてしまった。

ことしのGWは曜日の並びが良くなっていて、カレンダー通りに休め、なおかつ明日(6日)金曜日も休める人であれば、まだ休日が3日続くことになる。

つまり、明日、あさって、、、でその次の日の日曜まで続く休み。ところで、あさっての次は何というだろう(´・ω・`)? と、トークをしながらふと考えたりした。

私が住んでいる地方では、あさっての次には当然の如く「やなあさって(=明後日あさって)」が続いた。が、「しあさって」という地方もあることを随分あとになって知った。ともあれ、やなあさってにしろ、しあさってにしろ、あと3日続けて休める人もいるだろう。

まあ、このように月日が経つのは早いもので、東日本大震災が起きた3月11日から早くも2カ月が過ぎようとしている(「YouTube>東日本大震災からこうして避難・そして大津波」)。この間、この大震災について自分でも何かトークをしようと思いつつ、まとまったトークができないまま時間ばかりが過ぎてしまっている。

大震災のあと、新聞やテレビでよく見聞きするのは、「がんばろう東北!」あるいは「がんばろう日本!」といったスローガン。もちろん、多くの国民の思いの反映であることは間違いないが、それをスローガンにしてしまうと、それを発するだけで安心してしまうようなことはないだろうか? と考えたりもしてしまう。

実際に被災された人たちは、自分なりに精一杯頑張っているのに、さらに「頑張れ」といわれるのはつらい、といった声が新聞の声欄に寄せられているのを目にしたりした。

そんな中、今日(5日)の朝日新聞に見つけた記事について話している。それは、震災のあとにできた「生きていく あなたへ」というコーナーで、毎日著名人がひとり登場し、震災のあとに感じていることや、被災した人への励ましの思いが紹介されている。

今日(5日)、そのコーナーに登場されているのは、元プロレスラーで参議院議員もされたことのあるアントニオ猪木さん(「アントニオ猪木 オフィシャル ブログ 闘魂ブログ」「アントニオ猪木(Inoki Kanji)on Twitter」「YouTube>アントニオ猪木 VS モハメド・アリ〔1976年〕」)。

本日分につけられた見出しは「『想定外』に怒ってる」。私はそれを読んで、「猪木さんは立派だなぁ」と思った。それでは、本日分を全文紹介させてもらおうと思う。

俺は怒っている。専門家と呼ばれているのに「想定外」? リングでは敵はどんな攻撃をしてくるか分からない。常に予測して対応するんだ。国民を不安にさせるようなことばかり、言うなよ。 4カ所の避難所へ行った。宮城県東松島市ではがれきの中に立った。多くの遺体が眠り、人が楽しく暮らした家があったことに思いをはせた。自分がいかにちっぽけで無力か、俺はぼうぜんとした。

避難所では何て声を掛けていいものか、迷った。だが福島県いわき市では、みんなの顔は思っていたより明るかった。「元気ですかーっ」と声が出た。空気がパッと変わった。「闘魂ビンタ」「YouTube>アントニオ猪木 - 予備校でビンタ」)を浴びようと若い人が次々寄ってきた。「元気をもらいました」と言ってくれるのが、うれしかったな。

「花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ」。自殺を図ったレスラーに贈った言葉だ。人はどん底を経験すると跳ね上がるしかない。力一杯生きるしかない。俺は被災地へ行く。みんなの痛みを感じ続けたい。

やっぱりこういうときは、頭を使ってあれこれと綺麗事をいうのではなく、頭より先に体が動くような人が頼りにされるのだと思う。そういうσ(^_^)私は出不精で、体がちっとも動いてくれないので、猪木さんのような人は眩しく見えて仕方がない。

テレビで一度、避難所を回る猪木さんの様子を観たが、売名行為とかパフォーマンスとかではなく、心の底から被災者を励まそうとしていることが伝わってきた(「YouTube>東日本大震災  【アントニオ猪木闘魂ビンタで被災者を激励】」)。こういう志を持った人が政治家になるべきなのに、今の多くの政治家ときたら、「親が政治家だったから、なるのが嫌な政治家になっちゃった、、、」というのが多すぎる(本サイト内関連ページ→ )。自分の損得勘定だけで動くような人間は、結局、誰の役にも立たないだろう┐(-。ー;)┌

次はガラッと変わって違う話を。時間にして【11分30秒】ぐらいから。

本サイトには、私が気になったテレビ番組をピックアップする「私のTV指定席」というコーナーがある。私は昔からテレビをオンタイム(←「番組が放送されている時間」ぐらいの意味で遣っている)に観る習慣がなく、昔はビデオテープ、今はBD(=ブルーレイ・ディスク|本サイト内関連ページ→ )に気になった番組を録画し、空き時間にチェックしている。いってみれば、自分が録画するのを忘れないようにするためのコーナーになっているf(^_^)

そのようにしてBDに録画してあった番組を今日(5日)の午後に観た。観たのは、4月29日の午後に放送された「久米宏のTOKYOの空の下」「ウィキペディア>久米宏のTOKYOの空の下」)という番組。

テレビ時代の申し子ともいえる久米宏さんが進行役を務める番組。番組は毎回ゲストをひとりだけ招き、久米さんとふたりで思い出話を繰り広げる。

思い出話の種に使うのが「東京の空の下」の風景。同名の番組がかつてのNET(=日本教育テレビ)、今のテレビ朝日にあった。その名の通り、ヘリコプター(本サイト内関連ページ→ )で東京の空を飛び回り、眼下に広がる街並みをムービーカメラに収めて紹介するという番組。放送されたのは1966年「YouTube>ザ・スパイダース 「夕陽が泣いている」」)から1971年「YouTube>あの素晴らしい愛をもう一度 フォーククルセイダーズ」)で、平日に5分間ずつ放送されたそうだ。はじめは白黒の映像だったが、後半はカラーになっている。

ゲストに馴染み深い街並みが映った映像を観てもらいながら、思い出話に花を咲かせてもらおうという趣向。先月の29日に放送されたのは、昨年の6月27日に放送した分の再放送になる。で、その回のゲストはかつてのアナウンサー仲間ともいえる徳光和夫さん。

徳光さんといえば、ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄さん「YouTube>1974年長嶋茂雄〔巨人〕引退セレモニー」|本サイト内関連ページ→ )に憧れて立教大学へ進んだことが知られる。

それもあって、入学後は、長嶋さんも学生時代に華々しい活躍をした神宮球場(→ 本サイト内関連ページ)で母校の応援をすることを夢見て応援団に入ったそうだ。ということで、1970年「YouTube>LOVERS OF THE WORLD / JERRY WALLACE」)当時の神宮球場を撮影した映像を観ながら思い出話に花咲かす。このときの映像は白黒。

ただ、下っ端の応援団員のため、グラウンドに背を向けた格好で応援させられるなど、次第に応援団の活動から心が離れていったそうだ。そんなとき、試合があるたびにスタンドの一番前の席に陣取る集団がいることが気になり始め、訊くと、彼らは放送研究会の人間だと知る。徳光さんは、その中の女子学生がお目当てだった(?)かは知らないが、応援団を辞めて放送研究会に入ることになった。もしも応援団にずっといたら、のちに日本テレビ(「YouTube>第14回アメリカ横断ウルトラクイズ 第1問」)で活躍するアナウンサーになることもなかっただろう。どこで人生が変わるかわからない。

そのあと、映像は1971年当時の後楽園球場「YouTube>後楽園球場 空撮」)上空へと飛ぶ。このときの映像はカラー。

仕込みの撮影だったのかどうかは知らないが、グラウンドには巨人軍の選手がユニフォーム姿で写っている。何でも、試合前の練習が終わり、観客を入れる前、選手たちが体をほぐすようにグラウンド内をゆっくりと歩いている。

選手の中に、ひとりだけヘリコプターに強い興味を示す人物がいる。彼だけは黒いグラウンド・コートを着ている。空撮の映像だけに、当時の技術では選手個々人の顔までは鮮明に写っていない。しかし、それを観ていた久米さんが、「あれは長嶋選手ではないか?」といい出し、徳光さんも「ミスターに違いない」と応じる。

さすが長嶋さんの大ファンの徳光さんらしく、歩き方を見ただけでわかったという。ペタンペタンと扁平足へんぺいそくの人のような歩き方をするのが長嶋さんの特徴(?)らしいし、帽子のかぶり方や身のこなしも長嶋さんに違いない、ということだった。

それより何より、ほかの選手はヘリコプターに興味を示さない中、長嶋さんと思われる人物だけはずっとヘリコプターを見上げたまま歩いている。「普通の大人はあれほどヘリコプターに興味を示すのは珍しい。長嶋さんに違いない」「ひとりだけグラウンド・コートを着ているのも長嶋さんらしい」という意見に私も頷いた。ま、私もヘリコプターが大、大、大好きなので、同じような状況では、異常なほどヘリコプターを見上げただろうが(^m^)

長嶋さんはサービス精神が旺盛で、自分がどのように振る舞えば相手を喜ばせることができるかを天性として心得ている。だから、たとえば全国各地にある少年野球の選手たちに野球を教える少年野球教室に招かれても子供たちにサービスをすることを忘れない。

大人でも、自分の名前を呼んで教えてくれたりすると嬉しいものだが、それは子供でも同じ。長嶋さんは選手のユニフォームにある名前を目ざとく見つけ、「○○君、なかなかいいねぇ」「○○君、ナイスだね!」とかいうそうだ。神様のような存在の長嶋さんが自分の名前を呼んでくれたというのは一生の思い出になるだろう。

このように、子供たちの名前を呼んでやって喜ばす長嶋さんのサービス精神が、ときには裏目に出ることもある。番組で徳光さんが教えてくれた話は、大いに笑わせてくれる。

これは現役を引退されたあとだろう。名球会の仲間とオーストラリアへ行き、現地に住む日本人の子供たちに野球を教えたときのこと。あちらの少年野球には企業のスポンサーがついたりしているそうで、そのクラブのスポンサーは日本の赤井電機「ウィキペディア>AKAI professional」)で、その企業が子供たちに与えたユニフォームには「AKAI」と入っていたそうだ。

ここまで話をすれば、その後の展開がだいたい読めるのではないだろうか。こちらの期待通りに振る舞ってくれるあたりが長嶋茂雄の長嶋茂雄たる所以ゆえんといえようか(^m^)

例によって子供たちに指導しながら、ユニフォームで名前をチェックし、そのたびに子供の名前を呼んでやる長嶋さん。しかし、どの子のユニフォームにも「AKAI」とある。普通なら(?)そこで気がつきそうなものだが、長嶋さんはちっとも疑わずに「赤井君」「赤井君」を繰り返したそうだ。

指導を終えて徳光さんのところへやって来た長嶋さんが何というかと思ったら、「オーストラリアには赤井という名前が多いね」だったそうだ(°O°)

長嶋茂雄さんのエピソード(3分38秒)〔※↑上の話の部分の音声ファイル〕

久米さんの番組に使われているテーマ曲は"Smile"(「YouTube>♪ Smile - Charlie Chaplin」)。

しかし、長嶋さんにしろ、アントニオ猪木さんにしろ、計算ずくで動かない人の方が信じられる。それだけ人間として純粋といえるだろう。

「こんな風に振る舞えば“いい人”(→ 本サイト内該当音声ファイル ※←こちらの音声ファイルはReal Playerでお聴きいただけます。これは1994年3月10日放送の「サンセット・パーク」のエアチェック・ファイルから自分のメッセージが読まれた部分を抜き出したものです。なお、読んでくださっているのは日野直子さんです)に見てもらえるかな?」と頭で考えて動いているうちは、できることもたかが知れている。無心になって何かをできるようになって初めて、被災者を励ますこともできるのだろう、多分

長嶋さんや猪木さんを見習って、私も精々精進しよう。



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