■ 2011/02/28 「レンズに撮らされる」須田一政

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。なお、今回のトークは本日の早朝に行い、そのあとに本ページの更新をしています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお聴きになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる(?)、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク〔2011.2.28〕(28分19秒)

トークを要約した書き起こし

今回は夜が明けるのを待ってトークを始めた。だからといって、早くトークをしたくて、夜が明けるのをうずうずしながら待っていた。わけでは全然ないf(^_^) 朝に更新する分の作業が終えたあと、雨が降っていることだし、トークでもしてみるか、といつものようにボソボソと話し始めてみただけ…(´・ω・`)

貧乏暇なしというヤツで、私は夜は夜で本サイトの“天気コーナー”(?)の更新を年中無給、、、? いや、無休f(^_^) でしているが、昨夜は手持ちデータ一切ナシで更新をする羽目に陥った。

まあ、ここに書いておくほど大変なことでもないが、更新の参考にする午後7時前の気象情報の録画に失敗した。そのため、昨夜の気象情報をチェックできなかった。だから、昨夜から今朝、そして今日の天気がどうなるか、まったく把握できていなかった。

関東地方は昨日いい天気だったため、今日もその続きで好天が続くのだろうぐらいに考えていた。が、朝、目覚めると、外から雨音が聞こえた。久しぶりに聞くような気がする。家の中にて雨音を聞いたり、降る雨を眺めたりするのは嫌いではなかったりする(「YouTube>【SRETEO】 雨音はショパンの調べ 小林麻美 I Like Chopin Asami Kobayashi」)。

今朝、私に予定外のトークを始めさせたのは、外で降る雨の音。だったのかも?

前回のトークでは、今発売中の『アサヒカメラ』「アサヒカメラ.net」)3月号で特集する「おいしい焦点距離」から思いつくままに話をしたが(→ 本サイト内関連ページ)、肝心の特集の中身にはほとんど触れず仕舞いだったので、今回はそこにあったあるプロの写真家について話してみることにする。

今世紀に入ってからデジタルで記録するいわゆるデジ一(=デジタル一眼レフカメラ|「価格.com>デジタル一眼レフカメラ」|本サイト内関連ページ→ 10111213141516171819202122232425262728293031323334353637383940414243444546474849505152535455565758596061)がもの凄い勢いで普及した。

私はそれ以前、フィルムの一眼レフカメラ(「はてなキーワード>RTSとは」|→ 本サイト内同カメラ画像「価格.com>一眼レフカメラ」|本サイト内関連ページ→ )で写真を楽しんでいたが、その頃は若い女性がそうした一眼レフカメラを持って写真を撮るといったことは、今に比べて遙かに少なかっただろうと思う。

それが今は、デジタルで気軽に撮影できるようになり、カメラの愛好者の裾野が急拡大しているようだ。長いこと、カメラ店を若い女性がひとりで訪れることは少なかっただろうが、今はむしろ若い女性がメーカーの業績を牽引するほどになっていそうだ。各メーカーの品揃えを見ても、明らかにそうした層を狙ってカメラを用意していることがわかる。

デジ一がひとつのブームになり、それまでその種のカメラで撮影したことがなかった人が、デジ一で写真を楽しむようになった。そういう人はもちろん手持ちのレンズ(「価格.com>レンズ」)もないわけで、デジ一を買い求めるときにレンズも一緒に購入することになるだろう。そうした人向けに、カメラのボディとレンズがセットになったものが用意されている。

その昔、ズームレンズが一般的でなかった頃もそうしたセットの商品があったが、当時はズームレンズの代わりに焦点距離を変えられない単焦点レンズがついていた。そして、よく使われたのが、35ミリ・フィルムで標準レンズとされる焦点距離【50ミリ】のレンズだった。今思えば、逆に豊かな時代だったようにも思える。

それが今はズームレンズがカメラとセットで売られていることで、便利になった反面、はじめからそれで写真撮影に慣れてしまうと、焦点距離に対する感性が磨かれることなく終わってしまう面がないでもない。そんなことから、『アサヒカメラ』3月号が改めて焦点距離の意味を問う目的で「おいしい焦点距離」の特集を組んだのだろう、と思う。

この特集では、おふたりの写真家に画角に対するお考えを伺う「プロに聞く私と画角」のコーナーがあり、須田一政すだいっせいさん(「須田一政塾」「YouTube>須田一政『角の煙草屋までの旅』展示インタビュー 」)のお考えを面白く読ませてもらったので、それを紹介させてもらう。

プロの写真家でもいろいろなタイプの人がいると思うが、須田さんの場合は、写真が好きな人が一度は憧れるライカの「M4−2」(「YouTube>Leica M4 Black Chrome #138」)に「エルマー35ミリ F3.5」をつけて撮影していたかと思うと、昨年1月8月まではローライレフレックス(「ウィキペディア>ローライ」)を使ったり、はたまた京セラの「サムライ」(「すきもの屋>クラシックカメラ紹介:京セラ サムライX 4.0」)やミノックスを使うといった具合に使うカメラをコロコロと変えるように見えるため、その秘訣をよく訊かれるというが、ご本人は自分の気持ちに素直になっているだけらしい。その時に使いたいカメラやレンズをえらんでいるだけ、というように。

また、プロの写真家である須田さんは、街中でスナップ写真を撮られる方だが、ありとあらゆる場面に応じるため、交換レンズを何本も持って行くかと思いきや、カメラにレンズ、それも単焦点レンズを1本だけつけて出かけて行くそうだ。そうされる理由を次のように述べている。

街に出るときはカメラにレンズを1本つけていきます。交換レンズは持ち歩きません。僕にとって、撮影しながらのレンズ交換は相当に煩わしい。しかし、ズームなら大丈夫かというとダメなんですね。ファインダーをのぞいて被写体にパッと切り込もうとしたときに「標準だったらどうだろう、もっとワイドだったら、望遠だったら・・・」というのが常によぎるようになる。その迷いがすべてのシャッターチャンスにかかわってくるし、撮影後もずっと引きずってしまう。それがいやなんです。

この辺りまで話したところで午前5時半を回り、トークを一時中断して、本サイトで毎日「天声人語」を朗読もどきしたものを紹介するコーナー(→ 本サイト内関連ページ)の更新をしたりしているf(^_^)

さっきまでの話の続きを、また、須田さんのお話になって雑誌にのっているのをそのまま紹介させてもらう。

極端にいえば一年じゅうずっと同じカメラを使っています。さらに毎日ほぼ同じレンズで撮っていると、目がその画角に慣れてくるので、いちいち迷うことなくパッと撮れるんです。だから、たとえば6×6判(「ウィキペディア>中判カメラ」)の80ミリのレンズを持っていたとして、それで撮れないならば、あきらめます。言い方を変えれば、そのときのカメラで撮れないものは見えてこないというか、見ていないということでもある。

私のことでいえば、焦点距離50ミリの「プラナー 50ミリ」(→ 本サイト内同レンズ画像)が好きで、未だにマウント・アダプタを使って今のデジ一にもつけて撮影したりしている。

須田さんはこのように、ある時期は1台のカメラを集中して使いながら、あるとき、使い切ったような気分になり、それがひとつの作品を撮り終えたことのバロメーターのようなもので、次のカメラに移っていく、ということらしい。それを端から見ていると、須田さんがコロコロとカメラを変える、というように見えることになるのだろう。

普通、レンズの焦点距離や画角といったものを考えるとき、そのレンズを使うことでどのくらいの範囲を撮すことができるのか、といったことに考えがいくが、須田さんはもっとイメージ、あるいは妄想のようなもので被写体に向かっているそうだ。

たとえば、絵はがきを対象物に近づいて撮れるマクロレンズでのぞいていたりすると、自分が絵はがきの世界に溶け込んだような気分になり、ドキドキしたりするそうだ。

この話を聞いて、私は江戸川乱歩えどがわらんぽ「YouTube>旧江戸川乱歩邸 土蔵も特別公開」|本サイト内関連ページ→ )を思い出した。乱歩も無類のカメラ好き、レンズ好きで、当時としては非常に高価だったと思われるムービー・キャメラも所有し、乱歩自身が撮影した映像が残っている。乱歩の『押し絵と旅する男』「YouTube>押絵と旅する男」)にしても、乱歩のレンズに対する偏愛が生んだいえるだろう。

須田さんが感じるドキドキ感を須田さんは「レンズに撮らされている」と表現しているが、ズームレンズを使ってしまうと、自分で焦点距離をコントロールして作画することに引っ張られ、須田さんにとって一番大切に思われる「イメージや妄想といったコアな部分から遠くなっていってしまう」と述べている。

トークの時には、どこにそれが載っているのか見つからなかったが、須田さんは、「自分の写真には、レンズは1〜2本ぐらいあればよいような気もします」と述べている。

須田さんの“哲学”は見習いたいことばかり。