■ 2010/11/20 西山太吉さんは尖閣ビデオ事件に何を思う

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。なお、いつもは前夜にトークをしたものを翌日に文章に書き起こすことをしたりするわけですが、今回は今朝にトークをし、そのあと続けて文章に書き起こす作業をしました。今回はトークの時間が【40分】を超えてしまい、作業が大変でした(←私のトークに付き合わされる人はもっと大変?)。これからはもっとトークを短くまとめよう、とは思っているのですけれど。申し訳ないですm(_ _)m

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお聴きになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる(?)、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク〔2010.11.20〕(41分27秒)

トークを要約した書き起こし

今回は、夜になるのを待ちきれず、というか、本当は前日の夜しようと思っていた(?)トークを早朝に始めている。

季節は晩秋。当地では朝は雲が目立っていたため、晴れ上がった朝に比べて冷え込みは強くないが、それでも少しでも風が吹くと寒く感じる。そんなわけで、エアコン(「価格.com>エアコン」|→ 本サイト内関連ページ)を弱く効かせた室内でトークを始めている。

話題はといえば、これはこのところずっと続けている尖閣諸島海域で9月7日に発生した衝突事件(「Yahoo!ニュース>尖閣沖の中国漁船衝突事件」)のあとに起こった“尖閣ビデオ”流出騒動(「Yahoo!ニュース>中国漁船衝突事件の映像流出問題」)に関連した話(本サイト内関連ページ→ )。

この話はこれまでに何度もしているので、それぞれの事件についてはよくご存じのことと思いつつ、ざっとあらましを話し、本日分の本題は【8分】過ぎぐらいから始まる。このように、本日分でも道草(→ 本サイト内関連ページ)をせずに、良い子の
σ(^_^)私(?)はすぐに本題に入ったわけだが、その前に簡単に事件のあらましを話すことが、今は私の舌慣らし代わりになっているといえなくもないf(^_^)

“尖閣ビデオ”をネットに流出させた人物が、実は神戸海上保安部海上保安官であったことが判明した(→ 本サイト内関連ページ)翌々日にあたる12日、朝日新聞は1ページを割いて「オピニオン・耕論 流出」というコーナーを載せている。そこでは、識者4名に朝日新聞の記者がお話を伺い、それを簡潔にまとめている。その中から、私は1名の方のお話に注目し、本コーナーで取り上げてみた。

私が注目したのは、かつて、当人が国家公務員の守秘義務違反と権力側によって決めつけられた事件に関わった、元毎日新聞記者の西山太吉さん。

西山さんが当時の権力側から罪人扱いを受けることになった“事件”は「西山事件」という(「YouTube>西山太吉氏:日米密約を語る〔1〕」)。

その“事件”があったのは、今を遡ること40年ほど前。1970年「YouTube>大義のために死す 三島由紀夫 誕生の日」)には、大阪で日本万国博覧会が盛大に開かれ、今の中国のような熱気に日本が包まれていた時代といえる(「YouTube>大阪万博  Osaka Expo'70」)。そんな、日本の高度経済成長時代の1970年代「YouTube>ウルトラマン 第一話 『ウルトラ作戦第一号』」)に、それは“事件”とされた。

当時から政権を担っていたのは自民党。その時の首相は、佐藤B作さん(「YouTube>Bubble-Bsaku」)の伯父さん、というのは冗談f(^_^) B作さんとは何の関係もない佐藤栄作首相

佐藤栄作首相といえば、新聞記者を海上から、、、? いや、新聞記者は海上保安官ではないので、記者会見会場から(^m^) 新聞記者を追い出し、テレビカメラを通して国民に直接会見した逸話が思い出される(「YouTube>31 - 佐藤栄作 退任記者会見 - 1972」)。

今でも何かと政局に影響を及ぼし続ける沖縄が、アメリカから日本に返還されたのは1972年(※トークでは誤って「1971年に返還された」というようにしゃべってしまっている|「YouTube>小柳ルミ子 瀬戸の花嫁 1972」)5月15日(「ウィキペディア>沖縄返還」|本サイト内関連ページ→ )。日本に戻るまで、沖縄はアメリカの交通ルールで車は右側通行だった。それが、返還日を境に左に変わり、慣れるまでは交通事故が多発するのでは? などと案じられたものだ(「YouTube>Okinawa 1954 B.C.Street」)。

この沖縄返還の話がアメリカとの間でまとまる過程で、日本の国民に伏せられた約束を日本政府がしていたようだが、政府はそれを認めようとはしなかった。当時、毎日新聞で記者をしていた西山太吉さんは、取材活動を続けていく中で、何となく怪しいと思い始めたのか、外務省のある女性事務官に近づき、それまで外部に一切洩れていなかったスクープを手に入れることに成功する。そのことで、自分に強引な有罪判決を下されることになるとも知らずに。

と、ここまでトークを続けたところで、またまたあの番組のあのコーナーが始まる時間が迫ってしまった。土曜日の早朝に私が楽しみに聴いている番組といえば、少し前のトーク中にもそのコーナーのために中断した(→ 本サイト内関連ページ)、ヴァイオリニスト千住真理子さん(「千住真理子 オフィシャルサイト」「YouTube>PROUD×千住真理子」|本サイト内関連ページ→ )が案内役を務められているNHKラジオ第1で毎朝放送されている「ラジオあさいちばん」内で土曜日の朝に放送される「クラシックでお茶を」。このあと、コーヒーブレイクならぬ、“ブレックファースト・ブレイク”(^Q^)/「YouTube>Roger Hodgson - Breakfast In America 〔From "Take The Long Way Home" DVD〕」

この番組をラジオで聴きつつトークを続ける、わけにはいかないので(^m^)、一旦トークを中断し、朝食を食べたり、あと朝にすることをぜーんぶ済ましたあと、澄ました顔で(?)マイクの前に戻るσ(^_^)私。まあ、マイクといっても、私が使い続けているのは、【630円】のやっすいマイク(→ 本サイト内同マイク画像|→ 本サイト内関連ページ)なのだけれども…(・∀・*;)

一時停止するまで、番組の一部を聴いてもらっている。その時間は、千住さんのコーナーが始まる直前で、五輪真弓いつわまゆみさんの『恋人よ』「YouTube>Mayumi Itsuwa 〔五輪真弓〕 - 恋人よ」)がかかっている。

朝食と朝にする諸々のことを済ませてトーク再開。時間は【20分】ぐらいから。

先ほどまでの続きになるが、1972年5月に沖縄が晴れて日本に返還されているが、それまでの“持ち主”であった大国アメリカとの間には、一般の日本国民には知らされていない様々な交渉が行われたのだろう。

そのすべてが40年ほど経った今もすべて明らかにされていないのだろうと思うが、その一部(?)が毎日新聞記者だった西山太吉さんの尽力によって明らかになった、ということなのだろう。40年も前のことなので、私は“事件”の詳細は知らずにいたf(^_^) トークをする私の声のバックから、我が家の愛猫・にゃんこオチビちゃんの“お兄ちゃん”こと白足袋しろたびちゃん(=^ω^=)の鳴き声が聞こえる部分がある。

「おにいちゃん、人間のσ( ^_^)お兄ちゃんのトークが終わるまで待っててちょ」。
「うん(=^ω^=;)」。

“ブレックファースト・ブレイク”の前までに、当時の西山記者が、日米の間で交わされ、国民には一切知らされていなかった約束を記した情報を入手したところまで話した。

当時、アメリカの大統領をしていたのは、リチャード・ニクソン「YouTube>Kennedy vs. Nixon - the 1960 debates」)。

沖縄を返還してもらうにあたり、日米の間で返還協定が交わされ、その中に、「沖縄の地権者に土地現状復旧費用として【400万ドル】をアメリカが負担する」とされていたものが、実は日本が肩代わりして払う話が秘密裏に合意されていたそうだ。なお、西山記者が手に入れた情報では【400万ドル】分だが、そうした日本側がアメリカに謝意を示すために差し出した費用は、【3000万ドル】に達するそうである。当時の円相場で、1ドルを【308円】で計算すると、約【400万ドル】は約【12億3200万円】。約【3000万ドル】は約【92億4千万円】ほどになろうか(←私は計算が苦手なので、もしかしたら間違っていたりして)。

このような、べらぼうな資金を自国で調達しながら、表向きはそれをアメリカ側が負担したように自国の国民に知らせていたことになり、当時から、日本の政府というのはアメリカに弱腰だったことになる。その機密情報を西山記者は掴むことになるが、そのために採った手法そのものがやり玉に挙げられ、西山記者は社会的な地位を奪われてしまう。

西山記者は、外務省の女性事務官に近づき、一緒に食事をする。その時点で、西山記者も女性事務官も既婚者だった。食事中にアルコールを注文し、西山記者は女性事務官を酒酔い状態にし、そのあと、男女の関係に持っていったそうである。その上で、不倫の関係(「YouTube>他人の関係 金井克子」)を秘密にすることで、西山記者は女性事務官に日米間で取り交わされた資料の持ち出しを迫ったのだろうか。

こうして知り得た情報を、当時の野党であった社会党に提供し、横路孝弘議員(→ 本サイト内関連ページ)と楢崎弥之助ならざきやのすけ議員が国会で追及し、佐藤栄作首相は絶体絶命の窮地に立たされるところとなった。

権力を持つ者は、いつの時代もそれを守るために懸命になるもので、佐藤首相も必死に対抗策を探ったことだろう。その過程で、反転攻勢に出られる材料を得た。西山記者がその機密情報を手に入れるため、女性事務官と肉体関係を結んでいたことを掴む。

たしかに、取材のためとはいえ、倫理的には褒められたことではなく(?)、それが世間に公表されるや、肝心の日米間の密約問題は雲散霧消し(?)、西山記者のスキャンダルばかりが取りざたされてしまう。

世の猛烈な批判に晒された(?)毎日新聞社は、不買運動などりによって発行部数が目に見えて減っていったそうだ。悪いことは重なるもので、そこにオイルショック「YouTube>石油ショック」)が重なり、毎日新聞社は1977年「YouTube>勝手にしやがれ - 沢田研二」)に倒産に追い込まれるところとなった。

会社が倒産するという一大事が起こり、経営者は会社存続のために様々な方面に手を尽くしたのだと思う。その中で、結果的には毎日新聞が創価学会「YouTube>亀井が創価学会をフルボッコ」「YouTube>国会中継中の問題発言 P献金問題」「YouTube>2●『公明党を支えている宗教団体』一川 保夫〔民主党〕 創価学会」|→ 本サイト内関連ページ)と関係を持つようになってしまう。

具体的には、創価学会という団体の大きな収益源である(→ 本サイト内関連ページ機関紙の「聖教新聞」の印刷を、印刷会社を傘下に持たない創価学会に代わって毎日新聞の印刷部門が請け負うことになってしまう(「ウィキペディア>西山事件>影響」)。歴史に「もしも」は禁物であることは承知しつつ、もしも西山事件やオイルショックで毎日新聞が倒産するようなことがなければ、今の創価学会はなかったかもしれない、と考えたりもした。

どの分野でもそうだが、今よりも昔の方が評価の低い仕事がある。新聞記者にしても、昔は「ぶんや」(?)などといわれ、ある意味で人間くさい仕事だったと思う。自分の狙った獲物を仕留めるために路地裏を嗅ぎ回る猟犬のように、靴の底を履き減らし、取材対象に向かっていくような。

今回紹介させてもらった西山記者にしても、今の価値観から見るとズレているように受け止められてしまうかもしれないが、当時としてはそれほどズレてもいなかった(?)、のだろうかとも想像してしまう。逆にいえば、今の記者は怠慢になってしまい、記者クラブに居さえすれば、ニュースは向こうから転がり込んでくることで、必要条件の嗅覚を著しく欠いているように見える。

修羅場をくぐってきた西山さんだからか、尖閣ビデオをネットに流出させた人物は、評価や賞賛にはまったく値しない、と厳しく見ている。なお、この人物は、現在発売中の『週刊新潮』が、誌面で顔写真と実名を明かしている(→ 本サイト内関連ページ)。私もこの週刊誌を買い求めたので、次回以降のトークで取り上げてみたいと思っている。

今回の衝突に続く、中国人船長逮捕の展開を西山さんがどのように見たかも述べている。その部分を記事から抜粋して紹介させてもらう。

流出映像をもとに「弱腰外交だ」とあおり、対中強硬路線や日米同盟強化を声高に主張する勢力がいる。日中関係は日米関係に匹敵する外交の柱。中長期的視野に立ち、様々なトラブルを冷静に忍耐強く乗り越えて共存し、相互依存を確立することは日本にとって死活問題だ。

東京地裁は今年4月、沖縄返還をめぐる密約の存在を認める判決を下したが、政権交代までの37年間、「密約はない」と国会で偽証してきたのは自民党政権だ。

重大な外交交渉結果の密約を否定し、国民をだまし続けておきながら、情報をめぐる危機管理のあり方を糾弾する姿勢は矛盾もはなはだしい

西山さんのお考えを本日分の結びの代わりにさせていただき、この辺で終わることにする。