■ 2009/03/20 目の上のタンコブ

「目の上のこぶ」といういい方があります。意味は何となくわかっていただけるでしょう。念のために広辞苑で引いておきます。意味は「自分よりも地位や実力が上で、とかく自分の活動に邪魔になるもののたとえ。『目の上のたんこぶ』とも」とあります。

その昔、雨の中を50ccのバイクを走らせていたとき、スリップして転倒し、体を数メートル飛ばされたことがあります。幸い、フルフェイスのヘルメット「価格.com>ヘルメット」)をかぶっていましたので、頭を道路に強く打ちつけずに済みました。が、あとでそのヘルメットを見ると、アゴの辺りにひびが入っていました。「もしもノー・ヘルメットだったなら、、、」とあとで考えてゾッとしましたΣ ゚~(Д゚~lll)

体はどこも異常がありませんでしたが、翌日でしたか、鏡で自分の顔を見て、小さな異変を発見しました。どちらの目だったかは忘れましたが、目の下に青いアザができていたのでした。

【本日の豆方言】:使う機会が少ないこともあるのか、今はほとんど使いませんが、私が子供の頃は、そうした「青あざ」のことを「あおなじみ」といっていたことを思い出しました。当然のように、私はそれが全国共通語だと思っていました。が、5、6年前のことです。それが方言であったことを知り、ビックリしたことがあります(→ 本サイト内関連ページ)。

女の人であれば、アイシャドーでメイクしたりすることもあるのでしょう。ただ、目の下にシャドーを入れることはないかな(^m^)? 私は男で、しかも目の下にアイシャドーを入れたようになってしまい、それが薄くなるまで自分でも気になったりしたものです。ということで、私の場合は「目の下のあおなじみ」といったところですね。

タンコブであれ、あおなじみ(≒青あざ)であれ、目障りなものがあるというのは厄介なことです。

さて、本サイトにもその番組宛てに出したリクエスト・カードを紹介するコーナーを設けていますように、私は長年NHK−FMのリクエスト番組「サンセット・パーク」のリスナーをしています。

これは関東甲信越(「ウィキペディア>広域関東圏」)向けのローカル番組で、現在は共通の番組を送出していますが、それ以前は、同じ放送時間(午後6時から1時間。現在は6時50分までの50分間)枠に関東各局が独自の番組を放送していました(※現在も独自の番組を放送している局が数局あります)。

その時代を含めれば、私は1983年からこの時間枠の放送のリスナーをしています。今年は足かけ26年目ということになりますか。一旦何かを始めると、よほどの事情がない限りは延々と続けることの多い私の習性がここでも発揮されていることになりましょうか。

番組はリスナーからのリクエスト曲によって成り立っています。私は聴き始めた年からリクエストも出し続けていますが(※途中から2000年までは洋楽のリクエストが中心)、私と同じように昔からずっとリクエストを続けている人たちがいます。いわゆる“常連”さんです。

ネットが普及する以前であれば、放送を通してはよく知っているリクエスター(←「リクエストする人」ぐらいの意味で使っています)でも、実際に会う機会は少なかったであろうと思います。

それが、ネットができたことで、そうではなくなりました。2000年度が始まってすぐにこの番組のための私設掲示板ができ、そこへ、常連たちが書き込みをするようになりました。私もそれができた当初に誘われて参加しましたが(※声を掛けてくれたのは、■×3さんでした)、元々が他者と関わることを避けている人間のため、長続きせず、今はもっぱら見る方に回っています。

私以外の参加者はほとんどが参加メンバーとして残っています。最初の年の夏頃でしたか、その掲示板の提案者だったNHKのアナウンサーがメンバーに集合をかけました。私がその掲示板を去ったのが、その集合がかかったすぐあとぐらいであったと記憶しています(→ 本サイト内関連ページ)。

個人的なことを書いておきますと、その年の5月はじめに父が他界しています。それ以前に母も世を去っていましたので、その時点で両親がこの世からいなくなってしまったことになります。それやこれやで、精神的にもつらい時期にありました。父が亡くなったことは、その当時から開設していた本サイトでも触れていましたので(→ 本サイト内関連ページ)、それを見たメンバーであれば、そのことに気づいたでしょう。

その昔、『漫画少年』という漫画雑誌があり、その中に、漫画好きや漫画家志望の若者たちの投稿作品を掲載するコーナーがあったそうです。のちに錚々そうそうたる漫画家となった全国の漫画少年たちがそのコーナーに投稿していたことは今ではよく知られた話です(本サイト内関連ページ→ )。

彼らは自分の勉強机の上で一生懸命に漫画を描き、その自信作を出版社に送っていたのでしょう。応募された作品のうち、優秀な作品だけが選ばれて誌面に載ります。そのうちに、毎月載る常連が現れたことでしょう。その一方で、「自分は名前しか載らない」「名前さえ載らない」と不満を持つ者もいたはずで、少年たちはライバルの刺激を受けて切磋琢磨せっさたくましていたことでしょう。

スケールは違うかもしれませんが、「サンセット・パーク」およびそれ以前の同じ時間枠のリクエスト番組でも似たようなことがあるといえそうです。番組でたびたび紹介される人の名前やリクエストネームは知らず知らずのうちに憶え、自分がリクエストを続ける限りは、彼らは良きリクエスター・ライバルというわけです。

番組を長いこと聴き続けることで、ライバルたちの音楽の嗜好しこうやリクエスト曲に添える文章の癖も覚えてしまいます(→ 本サイト内関連ページ)。

そんなライバルのひとりに「・○さん」(←とでもしておきましょうか)がいます。彼の音楽の趣味は、ひと言でいえばオーソドックスでしょうか。変わった音楽というのも好きなようですが、テーマを決めてリクエストを募るコーナーに寄せてくる音楽は、想定の範囲内の音楽であることが多いです。また、・○さんが書く文章は、最後にその話題でパーソナリティに「○○さんはどうですか?」と振る特徴があります。そだ、この・○さんが「泣く男はいただけない」と書いてきたときも、当時のパーソナリティだった東涼子さん(→ 本サイト内関連ページ)に「泣く男をどう思いますか?」と尋ねていました(→ 本サイト内関連ページ)。

19日の放送でも、締めくくりの部分で「山本(由布子)さんはいつ大人になったと自覚しましたか?」と振り、振られた山本さんは「恥ずかしながら、まだ大人になったとは感じていません。私がそう感じられるのは、自分の家族を持ったときでしょうか。それはいつの日になることやらf(^_^)」と答えています。そういえば、私はこんな風に、相手の意見を求めるような書き方をすることは少ないです。ま、たまにはこんな書き方をすることもあるかもしれませんが、だいたいは自分の中で完結した書き方になることが多いです。で、相手に問いかけるいい方が生まれる心理状態についてちょっと分析してみましたが、自分なりの結論としましては、一種の「依存心」から来ているのではないかということです。どんな話題でも、言い切ってしまうのがこわくて、最後に何かしらの問いかけをすることでクッションの役目をしているのではなかろうか、と。いや、わかりませんけれどね。こんな風に私は受け取っているということです。反論がありましたら、また、・○さん、番組宛てにお便りをください。本当は私宛に反論のメールでももらえるといいのですが、おそらくはいただけないでしょうから。

私はといえば、根がヘソ曲がりにできていますから、オーソドックスとは逆の方向をめざします。たとえば、映画音楽をかける木曜日で「青春映画」がテーマとなった回があります。通常の思考でいけば、いかにも青春映画という作品を選びがちです。そこでも私は自分なりに意表をつくリクエストをしています。

そのテーマに合いそうな作品を頭の中で見当をつけ、まず、『イージー・ライダー』「YouTube>Born To Be Wild and Easy Rider 〔Slipshotfilms〕」)を思いつきました。ヒッピーといわれた若者が登場してくる作品です。これを思いついたあと、それを発展させて、スタンリー・キューブリック(本サイト内関連ページ→ )の『時計じかけのオレンジ』にたどり着いたとき、「やった!」と思いました。我ながらあっぱれ、と。

すぐさまリクエスト・カード(→ 本サイト内該当リクエスト・カード)を作り、FAXで送りました(※最近はほとんどがFAXでのリクエストです)。「絶対に採用される!」と確信していましたが、その確信通り、番組で採用されました(→ 本サイト内関連ページ)。同じように確信を持ってリクエストしても、現実は不採用ということも数限りなくあり、そのときは心底ガックリきたりするのですが・・・_| ̄|○・・・はうぅ・・・

私は他のリクエスターに会ったことはありませんので、彼らがどんな風にリクエスト・カードを書いているのかはわかりません。漏れ聞くところでは、1枚のカードにリクエスト曲を数曲書いたりする人が少なくないようです。

私がリクエストをするようになってから20年以上経ちましたが、始めた頃から一貫して変わらないのは、「1枚に1曲」というリクエスト・スタイルです。これから先もこれは変わらないだろうと思います。

1枚に数曲書いてリクエストするのと、私のように1曲に絞ってリクエストするのとでは、どちらが番組で採用される確率が高いでしょう。私は数学が苦手ですが、さすがにこれは、数曲リクエストする方で間違いないだろうと思います。この曲はダメだけれどこっちの曲ならOKという余裕がある分確率が上昇するであろうからです。

その確率が発揮され、自分が絶対の自信を持ってリクエストした曲がボツになる一方で、保険をかけてリクエストしてきた人の曲が余裕で採用されたりしますと、私は途端に機嫌が悪くなります。根が単純ですから 「何だよ。自分がリクエストした曲の方がセンスがいいのに」といった感じにです。そして、そうしたことが度重たびかさなりますと、不機嫌の度合いが増大していきます。

先週と今週がそのサイクルでした。ひとつには募集テーマの設定の問題(?)がありました。先週は月曜から木曜までが「卒業」で統一されました。このテーマを聞いた瞬間、私はリクエストする気力が失せていくのを感じました。番組で採用される曲が想像できてしまったからです。実際にかかった曲も、想像からそう遠く離れていなかったと思います。

そして、採用された曲をリクエストしてきた人も・○さんら、常連が多いことも、私の機嫌の悪さが増す原因になりました。今週月曜から木曜だけでも、・○さんは全曜日で採用されています。私が前週にリクエストした曲は今週の月曜日に「旅立ち・出発」で募集した回にも充分対応できる曲でしたので期待して放送を待ちましたが、結局はボツでした。

一方で、・○さんは毎日ホイホイと採用されました。それを聴くこちらは「コンチクショウ」てなもんです。おまけに、昨日19日の放送で・○さんの曲が採用された際に読まれた文面を聴き、機嫌の悪さは頂点に達しました。記念となりますかどうか、「サンセット・パーク」紹介ページで昨日更新した部分を載せておきます。

3月19日は「時」で募集しました。“大人になった時”でリクエストした超常連の・○さん(本サイト内関連ページ→ )。ご本人は「大人になった」とひとり勝ち誇ったように書いていますが、まだどうしてどうして、おぬしも子供から抜け切れてないところが見られますヨ。ご自分では気づいていらっしゃらないようですが。ネットの掲示板(→ 本サイト内関連ページ)の仲間と会うのも、誰かにお膳立てしてもらわないと会えないんですよね(→ 本サイト内関連ページ)。何だか小学生並みだなぁ。あ゛! 小学生でもそれぐらいできる子はいっぱいいますよね。何人かで食事するとき、自分では決められないで、「○○さんと同じのをお願いします」というタイプかな? 早く、自分でいろんなことを決められるような一人前の大人になってくださいね(^m^) 私は一生“子供の心”を持ち続けるつもりですのでよろしく(^▽^)/ 馬鹿な大人より、賢い子供でいよう。まじめな話、人というのは、自分の親が生きているうちは子供のままです。私は両親を亡くして今年が9年目です(※たったひとりの肉親だった姉も父と同じ年に没していますので、私は天涯孤独の身です)。その意味では、・○さんよりは一足早く大人になってしまいました。お先に失礼して申し訳ないf(^_^) ・○さんというのは、他人の顔色を見て生きるのが上手な印象です。それが大人の態度というのなら、私は他人から「お前はいつまでも子供みたいだな」と呆れられても、自分が思ったことはズバズバという自分に正直な人間でいようと思います。ここで書いていることを膨らませて、明日にでも「日々の独り言」に思いの丈を書こうかな。『転校生』(→ 本サイト内関連ページ)は観たことあったんだ? 今度ゆっくりその映画の話を聞かせてくださいな。「おもいやりの大切さ」なんてことを当てつけがましく書いていること自体、おぬし自身が“おもいやり”とやらを欠いていることを自覚してちょうだい。

本当はこういう気持ちが自分の中にあったとしても、まったくないふりをするのが大人の対応というものでしょう。しかし、それができないばかりか、こんな悪態を書いてしまうあたり、σ(^_^)私はまだまだ精神的には子供なのでしょうね。でもしようがない。これがありのままの自分ということで、みっともない一面まで見せてしまったりするわけです。

こんな私は、・○さんにとってはそれこそ「目の上のでっかいタンコブ」であることでしょう。地位や実力が・○さんを私が上回っていることはないでありましょうが。

ここで、口直しをしていただこうということで、本日の日経新聞最終面「交遊抄」のコーナーに載っている話を紹介することにします。

これは連載のコーナーで、各界で活躍されている人生経験豊富な方々が、それぞれの交友関係を記しているものと思います。正直いいまして、私は普段は熱心に目を通していません。それが本日分は、「どんなことが書いてあるのかな?」と気になって読みました。見出しに「直球型人間」とあったからです。

私は自分も「直球型人間」と思っていますので、こんな見出しを見つけると目を通さずにはいられなくなります。「直球型人間」が意味するところはおおよそ想像してもらえると思います。野球のピッチャーが投げる真っ直ぐな球、直球のように、変化球に逃げずに真っ直ぐの言動を見せるような人間を意味します。

本日分に登場している人は、金融ビジネスの第一線で活躍したのち、2年半前からは教育の世界に転進し、私学の理事長をされているという人です。

その人が、銀行に勤めていた時の話です。その年の春、赴任先が変わり、支店長となったその人は、取引先となっていた創業して数十年という会社の経営者に挨拶に行ったそうです。ところが、いついっても経営者は支店長に会ってはくれなかったそうです。

10回以上通ってやっと会うことができたそうですが、経営者から聞かされた言葉は、「金、金の銀行は苦手。必要だから付き合うだけ」でした。この木で鼻を括った(きではなをくくる:無愛想にもてなすことのたとえ=広辞苑)ようないい方からして、この経営者は間違いなく直球型人間でした。およそ、歯の浮くような世辞は期待できないタイプの人間です。そして、新しく支店長についた人も実は直球型の人間であったというわけです。

このように、はじめはとりつく島もない(とりつくしがない:たよりとしてすがる手がかりもない。また、つっけんどんで相手をかえりみる態度が見られない=広辞苑)と思われた取引先の経営者でしたが、その非常に悪い第一印象とは裏腹に、機会を見つけて誘いをかけているうち、馬が合って意気投合する仲になってしまったそうです。金融の世界を離れた今、ふたりは何でも話せる仲だそうです。

人との関係は、第一印象が大事といわれ、それにしくじるとその先はないと考えがちです。しかし、上で紹介したおふたりのように、案外、案じている以上に先がなくもないのか、と思ったりもしたという話を紹介してみました。

いかがでしょう。直球型人間の私は、本日分でもその型を披露してしまっていますが、話に辟易へきえきされた気分を少しでも和らげることができましたら幸いです。

何かの拍子に目の上にタンコブをこしらえてしまいますと、それが気になって仕方がないものです。しかし、邪魔だからといってタンコブを取り去るわけにもいきません。あとに残されるのは、腫れが引いて、タンコブが小さくなるまで時間をかけて待つことだけです。

このタンコブに象徴されるような様々な厄介事も、もしかしたら時間が解決してくれ、気がついたときには前ほど気にならなくなっていた、ということもあるかもしれません。あなたにも気になって仕方がないタンコブのようなものやことはあるでしょうか?

・○さんにとってのタンコブは私? それは申し訳ないです。できるだけお気に触らないよう努めたいと思いますので、今しばらくの辛抱を願います。今さら、変化球主体の人間にはなれそうもありませんが(´・ω・`)

以上、思いの丈を吐き出すように書いてまいりましたら、気持ちがスッキリして肩の辺りが軽く感じられるようになってきました。何事も自分の中に溜め込んでいてはいけませんね。これからもどんどん吐き出すゾ! て、そのことで迷惑をこうる人もいるんですよね。でも、そのときはそのときということで(←おぃおぃ)。