| ■ 2009/03/07 カメラはレンズに始まりフィルムに終わる? |
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ある月刊誌をようやく手に入れました! 『アサヒカメラ』2月号です。今、これを読んだあなたが書店へ行っても、この雑誌は店頭に並んでいません。今回、私が手に入れたのは先月号だからです。 同誌2月号の広告を新聞で目にした瞬間、「これは絶対に買うぞぉ!」と拳を握って固い決意をした(?)にも拘わらず、「まあ、そのうちに」「今度書店に行ったら」と先延ばししているうちに、あらあら、時はあっという間に流れ、気がついたときには2月号に代わって3月号が店頭に並んでいました。(´・ω・`)ア〜ア…完全な買いそびれというヤツです。 それで、一旦はその号を入手することは断念しました。が、捨てずにあったその号の広告の切り抜きを見るたび、未練がましい気分が沸き上がり、ついに諦めきれずに注文しました。今は便利になりました。クリックひとつで、買いそびれたと思った本もネット経由で手に入れられるからです。 おとといに注文したばかりの雑誌が、昨日には私の目の前にあります。 その昔、デジカメ(=デジタル・カメラ|「価格.com>デジタルカメラ」)が今のように幅を利かせていなかった頃、私は今よりも遙かに濃密にカメラと接する時間を持っていたように思います。だからといって、愛用のカメラ(→ 本サイト内愛用カメラ画像)を駆使して作品作りに精を出していたかといえば、そんなこともありません。 カメラ好きの人間なだけで、優れた写真家や写真表現者であるわけではないからです。昔から私が撮るものといえば、根が出不精なσ(^_^)人間ですから、身の周りの対象物ばかりです。日溜まりに寝転んでいるネコや家族が私にとってはせいぜいの守備範囲で、写真を撮るためだけに旅に出るなどというのは、♪西から上ったお日様が東へ沈む〜(「YouTube>天才バカボンOP+ED」)ぐらいあり得ないシチュエーションです(?)。 本来であれば、初めに表現したい被写体があり、それから逆算してカメラを選び、レンズを選び、フィルムを選び、撮影に臨むべきでしょう。それが、私の場合はそうした意識に欠け、ただ単にカメラというメカが好きで、また、単焦点レンズ(「ウィキペディア>写真レンズ」)が好きで、それをつけたカメラのファインダーに結ばれる像を「美しい」とボーッと眺めているのが好きで、そのついでに写真を撮る(?)といったレベルの人間ですので、出来上がった写真は“作品”と呼べる それでも、『アサヒカメラ』や『日本カメラ』といったカメラ雑誌を毎月決まって買い求め、寝っ転がってページを繰り、ああでもないこうでもないと撮影の仕方やカメラ、フィルムなどいろいろことに独り思いを巡らせて時間を過ごしたものです。今考えれば、それなりに充実して、幸せな時でした。 たとえば、フィルムにこだわったりしたことを思い出します。 私が好きなフィルムは、コダックのコダクローム64というポジ・フィルム(=リバーサル・フィルム)です。そ! ポール・サイモンが『僕のコダクローム』で歌ったことで知られるフィルムです(「YouTube>Paul Simon - Kodachrome」|→ 本サイト内関連ページ)。50年という長きにわたり世界中のプロ写真家やアマチュアの写真好き、カメラ好きに愛されたフィルムですが、後発のデジタル技術の波に飲み込まれ、気がつけば活躍の場をなくしていきました。 フィルムはどれを使っても一緒、ということはありません。どんな物事でも「入り」と「出」が決め手となりますが、カメラの場合はレンズが「入り」でフィルムが「出」です。私は8ミリ・ムービー(本サイト内関連ページ→ 1・2)には富士フイルムが1社で孤軍奮闘した「シングル8」方式を選んだにも拘わらず、スチール写真のフィルムにはコダックを選んでいます(→ 本サイト内関連ページ|「富士フイルム>8mmフィルム」)。 私がコダクローム64を好んだのは、被写体を重厚な色彩で定着させることができるからです。このフィルムだけが当時唯一の外式というタイプのフィルムで、現像の行程が複雑であるといわれていました。同じコダックでも、エクタクロームは内式フィルムで、こちらは今も発売されています。一時期、試しにエクタクロームを使ったことがありましたが、コダクロームに比べて人工的な色彩に感じられ、すぐにコダクロームに戻りました。ただ、一時期発売になっていた「エクタクローム・パンサー」というフィルムは、内式フィルムであっても結構好きなフィルムでした。また、富士フイルムのポジ・フィルムはすべてが内式フィルムです。 コダクローム64というぐらいですから、ISO感度(※昔は「ASA感度」といわれていました)は【64】です。そのあと、富士フイルムから「ベルビア」(「富士フイルム>ベルビアシリーズの性能・特長」)というポジ・フィルムが発売になって人気を博しましたが、はじめに出たフィルムのISO感度は【50】だけでした。ISO感度が【100】というのが標準とされ、それよりもコダクローム64は幾分低いフィルムでした。 この感度が低いほど、フィルムの粒状性に優れるとされています。しかしその分、撮影時の露出が1段分ほど下がってしまいます。要するに、レンズの絞りであれば【2.8】から【2】に1段分ほど開ける必要があり、シャッタースピードであれば、【125分の1】から【60分の1】へと1段分ほど遅くしなければ適正露出を得られなくなるということです。 デジカメのフル・オートで撮影されている方はほとんど意識されないかもしれませんが、写真を撮影する場合、「ISO感度」「レンズの絞り」「シャッタースピード」の3つを組み合わせることで適正な露出を得ているのです。 レンズの絞りとシャッタースピードの関係は、水道の蛇口の開閉にたとえられたりします。絞りは開けるほど光量が多くなります。蛇口にたとえれば、開いて水量が多い状態です。また、シャッタースピードは、水を流している時間と考えれば間違いではないでしょう。 透明なコップにマジックで線を引き、それを「適正露出」としますと、蛇口を開いて勢いよくザーッ! と水を流せば、短い時間で線の位置まで水が溜まります。一方、蛇口を閉じ気味にして水をチョロチョロ流せば、線の位置に水が到達するまでより長い時間を要します。フィルムの表面に像を定着させる際の、絞りとシャッタースピードの調節にも同じような関係性があります。 いつものことで、思いつくままに書いていましたら、肝心の『アサヒカメラ』2月号について書くのをすっかり忘れていましたf(^_^) 私が『アサヒカメラ』2月号をどうして読んでみたいと思ったかといえば、50ミリの単焦点レンズを再評価する特集を組んでいたからです。題して、「魅惑の50ミリ標準レンズ」(※「FMニッコール50ミリレンズの描写力」という特集も)です。 今はズームレンズが花盛りです。デジカメについているレンズといえば、コンデジ(=コンパクト・デジタル・カメラ)でもほとんどすべてといってもいいほどズームレンズがついています。昔は単焦点レンズに比べて性能が劣るといわれ、事実劣っていたのでしょうが、今は性能が向上しています。第一、ズームレンズは便利この上ありません。レンズを交換せずに、ズーム比が大きければ、広角から望遠までを1、2本のズームレンズでカバーできてしまうからです。 それでも、私はズームレンズというのがどうにも好きになれません。私は今もフィルム・カメラを使っていますが、それに装着するレンズは、昔買った単焦点レンズの【35ミリ】【50ミリ】【85ミリ】【200ミリ】だけです。まあ、私の場合、通常は50ミリの標準レンズをつけっぱなしですが。 私がズームレンズが好きになれない理由のひとつには、ズームだと安直に撮影してしまうように思うからです。まあ、私の撮影スタイルそのものが安直といえば安直ですが、それでも、撮すときには50ミリなら50ミリのレンズをつけて撮影しているのだ、というような意識は最低限持ちたいと思っています。 それがズームレンズですと、どうでしょう? 同じ場所にいて、引いて広角にしたり、望遠で寄ったりといったことが簡単にできてしまいます。そうすると、単焦点レンズを使うときには必ず意識せざるを得ない、それぞれの焦点距離のレンズが持つ特徴が抜け落ちてしまう危険性があります。 同じ被写体を同じようにフレームの中に収めるにしても、標準レンズで被写体に寄って撮影したのと、望遠レンズで遠くから引き寄せてフレームに収めたのでは出来上がった写真はまったく異なります。そうであるため、表現に合ったレンズが必要になるわけです。 それが、便利なズームレンズを手に入れてしまったがために、そのレンズの特徴を度外視してただフレームに被写体を収めるためにズームで焦点距離を変更することが増えてしまっては、レンズの表現力を無視しているのと一緒です。そうした危険性がズームレンズには付きまとうということです。 私は9年前に買ったデジカメを1台持っていますが、それに付いているレンズもズームです。焦点距離は、35ミリ・フィルムに換算すると35ミリから105ミリで、ほぼ3倍ズームです。私がこのデジカメを気に入っているのはレンズが明るいことです。レンズの明るさはF値で表しますが、私のデジカメに付いているレンズのF値は【F2.0〜2.8】です。この数字が小さいほど明るいレンズとなり、背景をぼかすような表現ができます。 私はデジカメに付いているズームレンズを、通常は50ミリのあたりに固定したままにしています。本当は35ミリ・フィルムに換算して50ミリの単焦点レンズが付いたデジカメが欲しかったのですが、そうしたデジカメは見当たらず、それならと自分で50ミリに固定して使用しているわけです。 ここまで私もこだわっている50ミリのレンズですが、それをつけた一眼レフカメラのファインダーを覗きますと、被写体がほぼ同じ大きさに見えます。それで標準レンズというのだと思いますが、見える範囲は肉眼よりもうんと狭まり、メガホンを目に当てて覗いている感覚です。ということで、感覚的には望遠レンズに近い印象です。肉眼で見た視野に近いレンズということであれば、35ミリのレンズが該当すると思います。 ともあれ、標準とされる50ミリのレンズで得られる視野と遠近感が基本となり、それを会得することで、広角や望遠など焦点距離のレンズの応用が利くことになります。 『アサヒカメラ』で今回の特集の文と写真を担当されているのは赤城耕一さん(「赤城耕一プロフィール」)ですが、最後のページに「編集後記」ならぬ「特集後記」のような感想が記されています。その冒頭で「私はかなりへこんでいる」と正直に書かれています。思うようにピントが合わなかったからだそうです。プロの写真家にしてこうです。 単焦点の50ミリ・レンズを使おうというからには、F値の明るいレンズです。私の愛用レンズも【F1.4】ですが(→ 本サイト内愛用レンズ画像)、開放に近い絞りで撮影しようとしますとピントの合う範囲、被写界深度は、赤城さんの表現をお借りすれば「紙のように薄い」範囲になってしまいます。それを私のカメラはマニュアルで合わせなければならないのです。 プロ競技の撮影を職業にしているカメラマンがマニュアル・カメラで撮影することはもはや現実的ではないでしょう。超望遠レンズをつけてピント合わせをしていたら、それこそ神業を持たない限り、ピントがピタッとくる写真をものにできないでしょう。 ということで、デジ一(=デジタル一眼レフカメラ)が普及しているといっても、大口径の50ミリ標準レンズを使いこなすアマチュアが増えてこない限り、プロの写真家は安泰と赤城さんは締めています。逆にいえば、アマチュアが50ミリのレンズを使いこなすようになったら、プロも真っ青というわけです。 『アサヒカメラ』2月号ではほかに、タテとヨコの構図についての特集もあり、これについても取り上げる予定でしたが、今回はここまでにしておきましょう。構図については続けて明日の本コーナーで取り上げようかな? 以上、本日は、ひと月遅れで手に入れたカメラ雑誌を手がかりに、レンズやカメラについて書いてみました。今日、関東南部はいい天気になりました。カメラを持ってどこかへ出かけるには絶好の日和です。風もないですしね。と、どこへも出かけず、カメラを脇に置いて眺めながら、駄文を書いているσ(^_^)私なのでした。 |