■ 2008/9/11 京都フリースクール事件報道の問題点

たとえば今ここで、「あれは昨日の朝のことじゃった…」などと昔話風な書き方をしてみますと、途端に、昔々のその昔の話のように思えてきたりすることはありませんか? ねぇ? 昨日は昨日でも、数百年前の昨日で、その朝に起こったことも、川上から桃が流れてくる話だったりする感じといえましょうか(^m^)

私がこれから書きたいことといいますのは、正真正銘の現代の話です。今日があって明日があるそんな昨日9月10日の朝の出来事です。いつものように昨日の朝も、朝一番に本サイトの更新をしながら、NHKラジオでニュースを聞くともなく聞いていました(→ 本サイト内関連ページ)。そこで報じられた事件について書いてみたいと思います。

一応耳からはラジオの音が入ってくるとはいえ、私の意識のほとんどは更新作業に向かっています。そのため、伝えられているニュースは、細部までには注意が回らないことがほとんどだったりします。これは、ニュース原稿を読むアナウンサーの声をひとつのサウンドとして楽しんでいる感覚、とでもいえましょうか。

人の視界には全てのものが入ってきますが、知らず知らずのうちに、結局は自分が一番注目する対象物に焦点を合わせているものだそうです。同じように、耳から入ってくる情報も、無意識のうちに取捨選択して聞いているのかもしれません。

アナウンサーの声(→ 本サイト内関連ページ)はある事件を伝えています。その事件の容疑者の名前をアナウンサーが発した瞬間、私の耳は取捨選択したのでしょう。ニュースが読み終わったあともその名前が記憶として残りました。

その事件の容疑者とされるのは、「ボク」という苗字を持つ人間です。

アナウンサーがその容疑者を「ボク容疑者」と発したため、「σ(^_^)僕、容疑者」と活用できるように思え、それを耳にした私は朝っぱらからひとりで受けてしまい、印象に残ってしまったわけです。

さて、日本語で「ボク」と発せられる苗字ですが、一般的には「朴(=パク)」で間違いないでしょう。ここから連想されるのは在日朝鮮人(「ウィキペディア>在日韓国・朝鮮人」)です(「苗字 その真実」)。

【本日の通名豆知識】:朝鮮名が「朴(=パク)」の場合は、日本では「木下」という通名であることが少なくないようです。漢字を見てみればなるほどで、「木」と「下」で2文字を合わせると「朴」に見えないこともありません。そこから派生したのか、「木村」というのも通名として遣われることが多いという話を耳にします。もちろんすべてのケースがそれに当てはまるわけではありませんので、これはあくまでも可能性の話です。そういえば、やたら反日的だった印象の元NHKアナも木村知義さん(「21世紀社会動態研究所」|本サイト内関連ページ→ )と木村姓ですが、これは偶然なのかなぁ…(´・ω・`)?

私には、本サイトの更新を済ませたあとは、朝食を摂りながら新聞を読む習慣があります。新聞は4紙(=朝日・産経・日経・地元紙)取っており、朝食のときには朝日と日経に目を通す習慣です(※あとの2紙は日課であるエアロバイクを漕ぎながら目を通します)。そこで、NHKラジオで報じられた事件の詳細を確認しようと朝日新聞を広げました。

それらしい事件の記事はすぐに見つかりました。京都のフリースクールで起きた傷害容疑事件です。

事件の詳細などにつきましてはネットなどで確認していただくとしまして、私が確認したかったことを中心に書いてみます。私が関心を持ったのは容疑者の苗字である「朴」です。それを確認するσ(^_^)僕、ってもういいですね?

ところが、その事件について書かれた記事であることは間違いないのですが、朝日の記事にはなぜか「朴」という容疑者の名前が出てきません。代わりにあるのは、「江波戸聖烈えばとせいれつ」いう氏名です。「江波戸」。この苗字では、どのような読み方をしてみても、「ボク」という読みにはつながりません。

「おかしいなぁ。NHKニュースでは間違いなく『ボク=朴』といっていたんだけれどなぁ…」と朝からまるきり腑に落ちない気分になりました。と一応わからないふりをしてみましたが、このように朝日が報じる姿勢はよく承知しています。いつもの“法則”でいつものように報じられただけの話です。

終戦前後のどさくさに紛れるように日本で暮らし始めた彼らには、いつの頃からか私は知りませんが、本名以外の「通名(つうめい:一般に通じる名称=広辞苑)」で呼ぶ約束事が出来上がってしまっています。その通名で日本の社会を生きているのが在日朝鮮人と呼ばれる人々ということです(→ )。

私はそうした在日の人々を個人単位で否定するつもりはありません(→ )。が、彼らの存在を真に認めようというのであれば、通名という“逃げ道”は彼らのためにも逆に排除すべきだと思います。彼らに同情的な素振りを示すいわゆる進歩的な勢力の態度からは、彼らを理解する振りをして自分たちの側に取り込もうという魂胆だけが私には見えてしまいます(「YouTube>左翼イデオロギーに感染していった在日コリアンと沖縄」)。

そうした似非(えせ:似てはいるが、実は本物ではないこと。まやかし。にせもの=広辞苑)進歩勢力の朝日の記事においては、在日の彼らが日本国内で起こした事件を報じるときには、彼らに媚びへつらうように日本人のような通名をそのまま用いることになっているようです。そうしておきながら、「犯罪が増加し、住みにくい国になったものだ」云々と嘆いてみたりするのですから始末に負えません。

もちろん犯罪の大半を彼らに押しつけることはできませんし、そうするつもりもありませんが、そのうちの何割かを実は生粋の日本人以外が起こしているのだ、と割り引いて考えなければならない現実が世間から隠されるようにあるということです。

同じ事件を産経新聞では朝鮮名で報じていました。が、こちらも問題がまったくないかといえば、そうともいえません。こちらはこちらで、事件の扱いが、誰かに気でも遣っているのか、消極的です。

朝日の記事では、名前こそ通名を使っていますが、鉄格子で覆われた窓越しに外の様子を窺う入所者の写真を添えるなど、それなりに目立つ記事にしています。一方、産経は、ごくごく小さな扱いです。紙面に締める面積で比較すれば、産経は朝日の3分の1にも満たないのではないかと思います。

【本日の豆追記】:私が読んだ産経の記事がたまたま小さい扱いだったのかどうかわかりませんが、ネットには写真入りでそれなりに報じた記事がありました(「MSN産経ニュース>少女に殴るける 京都のフリースクール経営者ら逮捕」)。

片や本名で伝えているものの扱いが小さく制限(?)され、もう片方の扱いはそれなりなものの本名を隠して報じています。テレビのワイドショーはチェックしていませんが、この事件を各ワイドショーは積極的に取り上げ、在日朝鮮人が起こした容疑の責任を厳しく問う姿勢を見せているでしょうか。

おそらくはそうした態度は採っておらず、同じような事件が起こっても、日本人と彼らとでは扱いが極端に異なる現実だけが残ります。今後も在日が起こす事件を、極力世の人々の眼から隠すような報道姿勢を採る限り、報道機関が強い信頼を得ることはないでしょう(→ 本サイト内関連ページ)。