| ■ 2008/9/01 中西龍というアナウンサーについて |
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いつの世にも、またいかなる職種にも、人々からカリスマ的に見られる人間は現れます。 今の日本で遣われる「カリスマ」が果たして本来の意味でのものなのか、個人的には疑問を持たないでもありませんが、小難しい解釈は別にして、誰か他人から自分を「あなたはカリスマ○○(←自分の職業)です」といわれたなら、悪い気のする人間は少ないかもしれません。 本日これから取り上げる人物は、既にこの世の人間ではありませんが、存命中はカリスマと目されていた面がなくはなかったようです。 現代は世間の目が「やかましく」(「産経ニュース>『日本の消費者やかましい』太田農相が食の安全で発言」)感じられるほどに厳しくなりました。やかましいのは既存のマスメディアだけではありません。ネットの発達により、市井(しせい:ちまた=広辞苑)に生きる普通の人々のやかましさも加わりました。時には、マスメディア以上に厳しい目で行いが非難されたりします。 そんな現代ですから、もしも、新人の局アナが芸者(げいしゃ:歌舞や三味線などで酒席に興を添えるのを業とする女性。 逆にいえば、そうした振る舞いがそれ相当に許された時代の方が、今よりも暮らしやすかったと思えないでもありません。 さて、その昔、芸者上がりの女房を連れて初任地へ赴いたのは、NHKの ですから、中西さんがまだまだお元気であってもまったく不思議はないのですが、残念ながら21世紀を待たず、1998年に落命されています。区切りがいいといいますか(?)、享年は70歳ということになります。 中西龍という名アナウンサーがいたことを教えてくれたのは、NHKでディレクターやプロデューサーの仕事をされたあと、フリーになり、現在は小説家の三田完さんがお書きになった『当マイクロフォン』という小説です。私は新聞の書評欄に載っていたのに注目した段階で、まだ読んではいませんf(^_^) 私は、自分自身が世間から少々(←大分?)ずれた人間であることもあり、標準から外れた人間にどうしても興味が向かい、三田さんによって描写された中西龍という人間にも興味が向かっているということです。 さて、中西龍という人物ですが、1984年にNHKを希望退職しているということですから、「中西節」ともいわれた名調子を私も氏と意識せずに何度となく聞いているはずです(「YouTube>花のあすか組! Intro-ED Hana No Asuka Gumi TV Series Opening」)。 「中西節」の特徴は、たとえば、ラジオ番組の「にっぽんのメロディー」のオープニング挨拶。「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます。皆さんこんばんは、日本のメロディー、中西龍でございます」。しんみりと発するその語り口にあったようです。また、「リスナーから寄せられたリクエストには必ず放送日前に告知した」とあり、リクエスト1曲1曲に このたび中西龍という人物を小説にした三田さんは、局を去る中西アナとわずかに交差するように入局したようですが、中西のその語りの印象を次のように述べています(2008年8月24日付産経新聞より|「産経ニュース>【インタビュー】三田完 『当マイクロフォン』中西龍が伝えたもの」)。 句読点を無視する手法は、昔のラジオの徳川 おっと、無声、、、? いや、夢中f(^_^)になって書いていましたら、歯科医院の予約時間が目前に迫っています。いけない、いけない。急いで支度して出かけなければ。といっても、半ズボンから長ズボンに履き替え、サンダルを履いて出かけるだけですので、支度はチャチャッと完了しますが(^m^) ということで、この続きは治療が終わってからということにします。そだ。帰りに書店により、本日取り上げている本があったら買ってくるかもしれません。それでは、しばしお別れじゃ。行ってまいるゾ(⌒∇⌒)ノ ただ今戻り、さっきの続きを書き始めました。結局、書店には寄らずに帰ってきてしまいました。作り直した差し歯が今日入り、5000円強の請求があったこともありますが(´・ω・`)、今日は9月1日で、学校帰りの子供たちがウジャウジャしていたからです。 信号待ちしていたら、小学校低学年の男の子と女の子が。元気のいい女の子が道端の石っころを靴でコロコロやりながら、「ウンコみたいな石(^m^)」といっていました。その発想は大人の私(←一応大人のつもり。精神年齢は限りなく小学生?)にはないなぁ。さすが小学生。 おっと、何を書いていたか忘れるところでした。カリスマ・アナウンサーだった(?)中西龍についてでした。 ネットの事典「ウィキペディア」で簡単な経歴を確認しますと、芸者上がりの奥さんを連れて向かった初任地は熊本局です。その後も東京のアナウンス室にはなかなか戻れず、鹿児島、旭川、富山、名古屋、大阪と渡り歩き、最後に東京のNHK放送センターに転勤になっています。 NHK内部のことはわかりませんが、アナウンサーの配置を部外者の目で見ていますと、実力や能力だけで決まっているようには見えません。結局のところ、そのアナウンサーの背後にある“力”が多分に影響しているように思います。要するに、コネ入局したアナウンサーや職員は努力せずに甘い汁を吸っているのではないか? ということです。東京のアナウンス室から全然動かない人も少なくないような気もしますし、だからかといって、そのアナが飛び抜けて優秀だとも思えないからです。 そういった意味では、中西アナは冷や飯を食わされた(ひやめしをくう:冷遇される。能力が評価されずに低い地位にいる=広辞苑)といえなくもなさそうです。ただ、中西アナに限っては、それを逆に楽しんでいた部分もあったかもしれません。 三田さんの話では、異動する先々で「遊郭(ゆうかく:多数の遊女屋が集まっている一定の地域。いろざと。いろまち。くるわ。遊里。明治以後、貸座敷営業が許可された地域=広辞苑)に入り浸り、土地土地の女性と情を通わせ」(2008年8月10日付け朝日新聞より|「asahi.com>当マイクロフォン 三田完さん」)たとありますから。 どんな風に女性と情を通わせたのか知る それが恋の話でも愛の話でも同じこと。ニュース原稿でさえ流麗に聞かせ、内容よりもその声に惚れさせた中西ですから。 流麗といえば、産経の記事に、おもしろいエピソードが紹介されています。高校野球の地方大会を中継したときの話です。そこでも、肝心の野球中継の前に、「その土地の歴史や雰囲気を描写」すること延々。ふたり目のバッターがバッターボックスに入る段になってようやく「そうこう申しているうちに、先攻の○○高校は早くもふたり目のバッター○○君の打順…」といった具合の中継風景だったようです。 現代のNHKアナが中西龍を気取って真似てみても駄目でしょう。で、もしも、本気で真似る気があるのなら、まずは芸者上がりの恋女房を連れて初任地へ行き、異動先で有力者の娘と情を通わせぐらいのことがなければなりません。果たして、その意気はありや、です。 その覚悟ありで、それを実行したなら、同じように“節”を利かせた高校野球の中継でも何でもすることを許しましょう。まあ、今の時代、それだけ腹の据わったアナウンサーはなかなかいないでしょうが。だからこその中西龍だともいえます。 結局のところ、アナウンサー稼業に限らず、世の中には小者ばかりが増えました。小者はいくら頑張っても小者で、カリスマといわれるにしても「小カリスマ」が精々です。 今から何十年か経ち、後の世の人々に中西龍のように語られるNHKアナはどれほどいるでしょうか。 今読んでいる本の中に、今さら意外に思うようなことが書かれていました。サラリーマンになるのが当たり前じゃなかった時代は、時間で仕事の質は計れなかった、というような意味合いのことです。 どういうことかといいますと、今のサラリーマンのサラリーがどのように計算されるかといえば、実働時間が物差しになっているといいます。一日8時間なら8時間働くことで、1カ月で何時間。それに時給をかけることで、仕事の中身に関係なく給料が支給される仕組みが出来上がりました。 一方で、たとえば農民の仕事はどうでしょう。農民に時給はありません。米作農家であれば、自分の田畑で稲を育て、それを収穫することで収入につながります。その収穫時期までの実働時間から給料が計算されることはありません。サラリーマンと農民の働きを比較した場合、どちらがより人間的なのか、という問いかけです。 同じような意味合いで、局アナがサラリーマンとして働く例が一般的になりすぎているのではないか、と問題提起することもできそうです。そして、そうした問題意識を持ってアナウンサー業に向かっていたのが中西龍という男という気が私にはしてきました。 仕事だから時間通りに仕事場へ行き、渡された原稿を読み、時間が来たら原稿を置いて家に戻る。そんなことを繰り返すうち、声を“武器”に闘っていることをどこかへ忘れてしまっているのではないか。逆にいえば、そんなだから、女と情を交わすことにさえ夢中になれないのかもしれません。 今の仕事に疑問を感じたなら、逆に、異性と情を交わすことを始めることで、仕事の取り組み具合も変わってくるかもしれません。情交がすぎて仕事に支障を来すことがあるかもしれません。しかしそれも人生。何かを究めることで、他人からカリスマと呼ばれる人間となり、歴史に名を刻むようになれるかもしれません。 三田完が書いた中西龍を主人公に書いた小説『当マイクロフォン』の中に、富山の僧侶が語りかけたという次のような言葉が出てくるそうです。 人間は生きているうちに、たっぷり業を積んでおかんと(産経新聞記事より)。 これをどのように受け止めるか。それはあなた次第です。 以上本日は、途中歯科治療休憩を間に挟み、先頃発売になった小説『当マイクロフォン』を取り上げ、中西龍というたしかに生きた男を軸に、人の生き方について考えを巡らせてみました。 【本日の豆ボヤキ】:元NHKアナの宇田川清江さん(本サイト内関連ページ→ 1・2)はかなりヘン(?)です。今日の早朝、聞くとはなしに「ラジオ深夜便」の最終コーナーを聞きました。その時間帯に目覚め、本サイトの朝一番の更新をしながらラジオを聞く習慣があるからです。それにしても、宇田川さんの韓国狂いは確信犯的です。たしか、昨日の放送で、今日、宇田川さん担当の午前3時台は「韓流スター」に関わる曲ばかりがかかったはずです。私は当然その時間帯の放送は聞きませんが、そうした特集があると昨日の番組で告知されただけでお腹いっぱいとなりました。そして最終コーナー。まだ韓国関連の曲がかけ足りなかったのか、あるドラマの曲がかかりました。聞き慣れないドラマだったのでネットで調べたところ、しっかり韓国ドラマでした。そして番組の最後に選ばれた曲は「ワインレッドの心」です(「YouTube>1983名曲-安全地帯 ワインレッドの心 ANZENCHITAI」|本サイト内該当リクエスト…カード)。やれやれひと安心と思いたいところですが、それがオリジナルの安全地帯ではなく、韓国の歌手がカヴァーしたものと知り、愕然としました。「なぜにそこまで韓国に入れ込むのか!」。朝一番にいや〜な気分になりました。宇田川清江さんは完全にどうかしています('・c_・`) |