| ■ 2008/4/24 無用の刺激の中を生きる現代(いま) |
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このことは、もちろんσ(^_^)私だけでなく、おそらくは多くの人が考えるだろうと思います。「昔は良かった、今よりものんびりしていて」と。 便利になるのに比例してやること(≒やらなければならないこと)は増えるもので、今よりも昔の方が、やることが少なかった分、のんびりとしていたことは確かであろう(?)と思います。それでも、何でも何かんでも昔がよかったというのは、多分に現代人が等しく持つ“郷愁”のようなものが影響している面があります。 個別に比較しますと、今の方が「良い」と思えることだっていくらでもあります。先日の本コーナーで書きました妊娠できない女性に対する世の中の見方などは、昔よりも改善されました(→ 本サイト内関連ページ)。 それでも、「昔の方がよかった」とつい考えてしまうのは、現代があまりにも忙しいからです。 こんなことを考えるきっかけとなったのは、先日、たまたまある番組に遭遇したことにあります。この日曜日(20日)、私は観るつもりもなくその番組を観ました。私はこれまでその番組に全く注目してこなかったのですが、NHK教育で日曜の午後6時から1時間「日曜フォーラム」という討論番組を放送しているようです。 で、日曜日の同時間帯、私はPCに録画してある番組を観る(→ 本サイト内関連ページ)つもりでテレビのスイッチを入れました。本サイトで“私なりの気象コーナー”(^_^;「空模様でボ・ソ・リ」を更新している関係上、朝と夜の気象情報チェックは欠かせません。それで、その番組が始まるまでのわずかな時間を利用して録画してある番組を観ておこうと考えたのです(←こうした考え方が、毎日を自分で気ぜわしくしているのかもしれません)。時刻は午後6時半ぐらいだったと思います。 で、スイッチを入れますと、NHK教育が映り、同番組が放送されていました。いつもでしたら、すぐに【ビデオ】へ入力を切り替えるところですが、その時は妙に気になり、気がつくと最後まで観てしまっていました。 番組が終わってから、「はじめから観るんだった」と後悔したほどです。 同番組は「討論番組」と銘打っているようですが、私が観た回がたまたまそうだった(?)のか、討論という雰囲気ではなく、舞台に並んだ識者がそれぞれの思いを静かに語っていました。どこかのホールで収録されたもので、舞台の上にはいずれも作家の井上ひさしさん(→ 本サイト内関連ページ)、佐野 NHKの古屋アナといいますと、阪神・淡路大震災を伝える番組の生放送中に泣いてしまったことで話題になったことがあったことを思い出しました。 同番組を、私は途中から観始めたので討論の趣旨を了解してわけではないのですが、亡くなった作家の 司馬さんが『街道をゆく』という旅行記の執筆を始めたのは1971(昭和46)年といいますから、日本の文化や伝統を大きく分けることになった東京オリンピックのあとになり、日本が高度経済成長の真っ直中にあった時代といえます。 おそらくは、その時代に生きる人びとは、今の私たちと同じように、日々の暮らしに慌ただしさを感じ、「昔はよかった」と郷愁に浸っていたかもしれません。 それを裏付けるような音声ファイルをここで紹介することにします。少しの間耳を澄ましてみてください。なお、これをお聴きになるにはWindows Media Playerが必要です。
いかがでしたか? いつの時代でも“現代”を嘆く識者はいます。音声ファイルに登場する (今を生きる私たちは)昔の人の文化をちっとも引き継がないで、とんでもないペラペラな文明を作り上げ、その中で私たちはあくせくするばかり。心は貧困になり、イライラ、そわそわしているだけだ。 これを聴きながら、「そうだ。その通りだ。今の生活はあくせくしている。百年前に戻れとはいえないけれど、せめて今から2、30年前までは、人々の心も豊かだったはずだ」と思った人もいるかもしれません。が、このように嘆いたのは今から28年前の1980(昭和55)年だったというオチです。 19日に放送の「NHKアーカイブス」で紹介された1980年放送の「ルポルタージュにっぽん−一日江戸時代・わが省資源論」から締めくくり部分を抜き出して音声ファイルに変換したものです。 それにしても、現在進行形のような嘆きが実は30年近く前のものだったと知ることで、今も昔も今を嘆き、昔を懐かしむ気持ちは変わらないのだな、というような感想を持たれたことと思います。そういえば古代の遺跡を発掘し、そこから石版のようなものが現れ、そこに「今の若い者は云々…」と刻まれていた、というような話を聞いたことを思い出しました。 いつもの癖で、また話が横道に 井上さんは、今の人々は忙しく動き回っているけれど、それによって浮いた時間を有効に使うかといえば、そんなことはない、というようなことを話していました。なるほどです。いや、これは私が今頭の中でイメージしたに過ぎず、空いた時間をきっちり有効に使っている人もたくさんいると思います。私がそういう人をイメージできないだけでしょう、多分。 井上さんはまた、半分冗談でおっしゃっているのかもしれませんが、「JRがあまり好きではない」というようなこともおっしゃっていました。新幹線に代表されるような高速で走る列車を競うように生み出し、その結果、私たちはのんびりと旅をする贅沢を忘れてしまった、と。そんな中、司馬遼太郎は丹念に各地を旅して回った、というような話があったと思います。メモを取りながら観ていたわけではありませんので正確なことは書けませんが、まあ、だいたいこんな話でした。 阪神・淡路大震災を48歳の時に体験した作家がいます。宮本輝さん(→ 本サイト内関連ページ)です。 私は宮本さんにはこれまであまり関心を持ってこなかったのですが、本コーナーでも書きましたが、産経新聞のインタビューに答えられた体験談(→ 本サイト内関連ページ)を読んで興味を持っていたところ、タイミング良くといいますか、NHK教育で放送された「人生の歩き方 宮本輝・流転の歳月」が再放送になることを知り、私は全て録画し、すぐさま自作DVDにしました(→ 同番組の自作DVD画像)。 どの回も興味深い内容で、本コーナーでいつかその感想を書こうと思いつつ、なかなかきっかけがなくて今日になってしまいました。今回もついでの話になってしまいますので、いずれまた少しずつ書いていこうと思っています。ちなみに、宮本さんからお話を聞き出しているのは、本日分に登場していますNHKの古屋アナウンサーであるというのは奇遇です(?)。 その4回目(最終回)のタイトルは「五十を過ぎた情熱」です。これは宮本さんが30代の頃、ある人にいわれてずっと心に引っかかっていたそうです。その人は、「自分は五十を過ぎた人間が見せる情熱しか信じない」というようなことをいったそうです。 その真意がわからずにいた宮本さんが50歳を目前にした48歳の時、阪神・淡路大震災を体験します。当時も神戸に暮らし、地震の発生時刻にもしも書斎にいたなら、間違いなく死んでいただろうと語っています。 生かされたと感じた宮本さんは、1700年ほど前、ひとりの僧侶が歩いた道を辿ることを決意し、実行に移します。僧侶の名は その僧侶が自由の身になった50歳を過ぎてから歩き始めたというシルクロードの行程を宮本さんも辿ろうと現地へ出向いたそうですが、想像を絶する過酷さに、初日で「日本へ帰りたい」と思ったそうです。結果的には6700キロほどを約40日かけて走破したそうですが、その旅で、昔ある人にいわれて心に引っかかっていた「自分は五十を過ぎた人間の情熱しか信じない」の意味が、言葉には表せないけれど、わかってきたといいます(「amazon.co.jp>ひとたびはポプラに臥す〈1〉:宮本輝」)。 何もない道を行く旅の間は、テレビもラジオも何もない日々です。夜になれば空に月と星しかありません。そんな状況の中で、「自分がどれほど無用の刺激の中にいたか」を実感したそうです。 宮本さんのお話はとにかく興味深いものばかりです。宮本さんの幼年時代から、振り返る機会をそのうち持ちたいと思います。 宮本さんの体験談を聞いていても感じることですが、私たちの暮らしは日に日に便利になりますが、それが進むごとに、何かが少しずつ失われていることに気づく瞬間があります。 今、関東南部の当地では、一旦上がっていた雨がまた降り始めました。この雨ひとつにしても、もしも屋根のないところにいたなら、それから逃れるために大変な思いをすることでしょう。雨さえも、人間には大敵なのです。雨で思い出しましたが、あの小野田 だからといって、今から雨に怯えなければならないような生活に戻りたいとは誰しも思わないでしょう。しかしその一方で、「無用の刺激」に溢れた現代の生活というものも考えさせられるということです。 【本日のオマケ画像】→ にゃんこおチビちゃん(=^ω^=)(12) |