| ■ 2007/07/29 現実主義的選択 |
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このことは本コーナーでも何度も書いていますが、私は他人との交流を好まない性格です。 それを時には「人嫌い」というひと言で済ませたりします。が、内情はそれほど単純なものではなく、それでは私の性格を正しくは伝えていないことになります。ここで、私の性格の“分析”めいたことをしてもしようがないのですがf(^_^)、私は人間を完全に嫌っているわけではありません。その証拠となりますか(?)、たまに相手をする親類の3歳になるボクちゃんと遊ぶのは嫌いではありません。ボクちゃんも間違いなく「人間」です。 もっともこれは、自分が「人嫌い」ではないことの証明にはならないかもしれません。これで証明されるのはむしろ、私の精神年齢の低さかもしれません。私が3歳のボクちゃんとそれほどの違和感もなく遊べるのは、私がボクちゃん程度の精神年齢だからだ、といえなくもない(?)からです(´ω`) もっと別のことを書くつもりで、本日分の話の枕で、他人との交流を好まない自分の性格から書き出してみました。そんな性格ですので、それがネットの世界であっても、他人と交流を持つことは極めて少ないです。 私の基本的なネットとの関わり方は、第一に本サイトの更新をすること。その時々で考えたことを一方的に書きなぐっています。また、ネットを介した買い物も能動的(のうどうてき:自ら働きかけるさま=広辞苑)な態度になります。今思いつくのはそれぐらいで、ほかはもっぱら受動的になります。サイトやブログは「見てるだけ」。その「見てるだけ」対象のひとつに当然のように「2ちゃんねる」(「ウィキペディア>2ちゃんねる用語」|「2ちゃんねる>過去ビデオ 2ちゃんねる事件」)(→ 本サイト内関連ページ)も含まれます。 私の行動には偏りがある(?)ため、その掲示板に通い始めたら毎日通います。そして、通わない“周期”になったら全く通わない、そんな幹事です、、、幹事? いえいえ、私は他人との交流を避けていたいのですから、自分から進んで幹事など引き受けるわけがありません。て、すぐに横路に逸れてしまうのが私の悪い癖です。そんな感じで「2ちゃんねる」も見ているだけ。能動的に他者と関わることはありません。 「2ちゃんねる」というのは、似たようなアンテナを持つ者が集まって、ひとつのテーマで会話を楽しむ“広場”、といったところでしょうか。テーマはスレッド(「ウィキペディア>スレッドフロート型掲示板」)を立てたい人の数だけあることになり、誰もが思いつくような話題はほとんど用意されている、といってもいいでしょう。 と、まあ、ここまで自分の性格や「2ちゃんねる」、その掲示板との私の関わり(関わらない)方について書いてきました。 ここで唐突に、本日分で書きたいことの本題へGO!ε=ε=ε=ε=ε=(o゜ー゜)o あれはどなたにでしたか、少し(かなり)前の朝日新聞に、「真の右翼とは?」というようなことを訊く特集記事が載りました。その記事は当然切り抜いて持っているはずです。が、何分にも記事のスクラップが大量にあるため、すぐに引っ張り出してこれないのが残念です。それで、ここではその記事に書かれていたことを思い出しながら書いてみることにします。 この「右翼」そして「左翼」ですが、「2ちゃんねる」でも 今日29日は参院選の投票日で、未明には大勢が決していることでしょう。その選挙戦を受け、「2ちゃんねる」でも「バカウヨ」と罵倒する書き込みを嫌というほど見せられました。通常は「バカサヨ」が多い印象ですが、最近ではネットの影響を無視できなくなったようで、「バカウヨ」攻撃の急増は、「左派勢力の工作員による書き込み」と受け取られています。 安倍首相を罵倒する書き込みをする人の中には、そんな“工作員”とは別に、真に右翼的な考えを持つ人も含まれるかもしれません。朝日新聞に載った特集記事の中で、「真の右翼とは?」と訪ねられた知識人は、「反米であること」をひとつの条件に上げていた記憶(←記憶はあやふやですf(^_^))があります。 いうならば、「アメリカに隷属する日本は許せない」という立場ですね。そんな彼らから見れば、靖国神社への参拝をうやむやにしたり、 朝日新聞的マスメディアは、安倍首相を右翼的で危険な首相という見方で一貫していますが、私個人は、安倍首相は「現実主義者」なのではないのかなぁ、とボンヤリ捉えています。で、σ(^_^)私自身もどちらかというとそういう部類に入ると思います。 たとえば、先のイラク戦争(→ 本サイト内関連ページ)における日本政府の対応を巡っても、“理想主義者”の多くは「戦争は絶対にダメ!」という立場を声高に主張しました。物事を理想形(=綺麗事)でばかり捉える習慣のない私は、その考えに与する(くみする:賛成して仲間となる。味方する。力をかす=広辞苑)ことはできません。「ならば、フセインの独裁体制(→ 本サイト内関連ページ)は温存ではいいの?」と。 安倍さんが首相の座に就いた時、真っ先に採った行動を記憶されていますか? 中国と韓国に飛び、両国の首脳と握手を交わし、小泉前首相の時代にギクシャクしていた中韓との関係を緩和しました。これも、安倍首相の現実主義的な考えによるもの、と私は考えています。もっともこれは私がそう“認定”しているだけで、実際は違うかもしれませんf(^_^) ともあれ、安倍首相がもしも原理原則を曲げずに中韓との関係が冷却したままであれば、今参院選で「異様」なまでに内閣を叩く朝日は(→ 本サイト内関連ページ)、200%異常、いや、以上確実に「安倍首相の外交姿勢(=中韓への不忠義)」を最大の争点に仕立て上げたことでしょう。それが就任早々に握手をされてしまったため、朝日は計画の変更を余儀なくされたのでした(→ 本サイト内関連ページ)。 靖国参拝の問題でも同じことがいえます。「真の右翼」というものがあるとしたら、中韓との関係を冷却させてでも「正々堂々靖国へ行け」というかもしれません。それでも、実際には行き(?)ながら、表沙汰にしないことで関係国の利害が一致するのであれば、「うやむや」というのも現実的で有効な選択になります。 これが外交戦術というもので、現実的な考え方を好む私は、安倍首相が採った行動を評価しています。 考えるに、「奇妙」なものだと思います。 「真の右翼」の条件のひとつが「反米」である一方、朝日新聞的勢力もこれまた「反米」であるという事実があることです。「反米」をよりどころにすれば、対局に位置するはずの思想が、互いの思想を共有させることができてしまいそうです。「奇妙」だと思いませんか? 国際政治の舞台では、「理想・正直」一辺倒では必ず割を食い(わりをくう:損をこうむる。不利を受ける=広辞苑)ます。自分が正しいと思い、実際に正しいことであっても、その時の世界が「正しくない」と決めれば、正しいことも「正しくない」ことにされてしまいます。 これに対抗していくには、その時々で「正しさ(※情勢で「正しさ」は変わります)」を見極め、それに上手く対応していくことだと思います。それには現実主義的な感覚が求められます。 現在、日本はアメリカの核の傘に護られています。それが、現段階では日本の国益に 現実的な対応の結果、日本が中国の核の傘の中に入る、という選択肢もあり得るということです。いってみれば、いつでもニュートラルな状態に置き、国益に適う政治選択をしていこう、ということです。 困ったことに、朝日新聞はこの「国益」という言葉がことのほかお嫌いだそうです(→ 本サイト内関連ページ)。一方、安倍首相は「国益」を優先して、首相就任直後、中韓を訪問して「国益」を有利に導きました。この政治判断を、「国益」大嫌いな朝日は認めようとはしません。 いってみれば、朝日新聞的勢力は、原理原則を決して譲ろうとしません。視点を換えれば、それは自分たちの権利を守る故の選択なのであり、年金記録問題で国民からバッシングを受けている社保庁とその職員が所属する自治労が既得権益に終始する態度(本サイト内関連ページ→ 1・2・3・4・5・6・7)と違わないことになりそうです。 とここまで書いてきて、気になっていた「真の右翼とは?」について書かれた朝日の記事を見つけ出しました。ああ、私の記憶違いでした。「保守とはなにか」について、評論家で劇作家の山崎正和さんに朝日の記者(?)がインタビューする記事(2006年10月25日付け)でした。 この中で山崎さんは、「(近代社会で)保守というものが成立するとしたら、それは広い意味での『文化』の領域に限られるだろう」と答えています。ここで語られていることはいずれまた取り上げてもいいと思いますが、山崎さん曰く、近代化以前の政治は文化と結びついていたから保守という立場もあり得たが、「政治と文化の区別」が進んだ近代以降、本来あった意味の保守はなくなった、というようなことを述べています。 それでは、と聞き手が「戦後の自民党に『保守』よりも適切な呼び名を与えるとしたら、何がいいでしょう」と質問し、山埼さんは次のようにお答えになっています。 「現実対応型政党」だろう。自民党は政権を担当しているので、観念的なことを言っていられない。たとえば吉田茂(元首相)は戦後の講和(「ウィキペディア>日本国との平和条約」)に際し、早期独立を果たすためには自由主義に歩調を合わせるしかないと考えた。そうなると次は自主防衛か日米同盟かという選択になり、そこで後者を選んだ。立派な理念に基づいて決めたのではなく、それしかないとういう消去法、つまり現実対応だった。 今参院選の投票を、私は先日、期日前投票で済ませました(→ 本サイト内関連ページ)。その中で、私は「私の支持政党は自民党ではありません。これは消去法による結果です」と書きました。これも、私の現実主義的な考えで説明することができると思います。 理想論をいえば切りがありません。誰だって戦争は望みません。それでも、その理想に近づけるために現実的な選択が必要になることがある、ということです。 山埼さんは記事の最後、「世界レベルでも、対立軸は見あたりませんか」という質問に対し以下のように答えてみせました。
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