■ 2007/07/05 垂れた頭(こうべ)を踏んづける土足

久間章生きゅうまふみお前防衛相の「しょうがない発言」によって、図らずも照射された格好の問題(本サイト内関連ページ→ )について、なおも、自分なりに考えを巡らしてみようと思います。ただ、勉強不足甚だしい私が考えるわけで、果たしてどこまで考えを突き詰めることができるのか。ま、期待せず、しばらくの時間、お付き合い願えればと思います。

朝日新聞は、狙いをつけた大臣を辞任に追い込んだことで当初の目的を達成したとでも考えたか(?)、それとも、ここへ来て世論の風向きが自分たちの望まない方向へ変わりつつあるのを察知してか、この問題の扱い方を変えてきたのを感じます。

久間前大臣の発言が問題というのであれば、大勝負の参院選が今まさに始まろうとしているわけで、ここから逆に与党への追及を強めて行けばよさそうなものを、騒動勃発からたった4日しか経っていない今日の朝日の紙面では、34面の社会面へシュルシュルシュル〜〜〜と“降格”扱い(?)です。

当初、朝日などマスメディアが盛んに喧伝(けんでん:世間に言いはやし伝えること=広辞苑)していたように、国民レベルで「この発言を断じて容認できない!」という空気が充満するというのであれば、こんな短期間でその怒りとやらが収束してしまうのは合点できません。

ということは、所詮しょせん安倍政権を蹴散らすだけの打ち上げ花火だった、てことですか?

私は世間との付き合いが乏しいためf(^_^)、この問題を庶民レベルがどんな風に受け止めているのか今ひとつ実感できていません。また、普段からテレビは観たい番組だけをPC録画して観て、リアルタイムで“ながら視聴”する習慣もありません。

そんな個人的事情で、毎日の新聞に報道されていることから世の中の動きを仕入れることになります。その新聞がこの問題の扱いを急速な縮小傾向にあるということは、事態が沈静化へ向かっていることになるのでしょうか。

目前に迫った参院選で、民主党など野党勢力の後押しをしたい(?)のであろう朝日としても、久間前大臣を辞任させただけで事態が沈静化することは望まないでしょう。それもあってか、今日の社会面の片隅にかろうじて、「根強い『原爆肯定論』」「広島市長『もっと理解を』」と見出しをつけたコーナーを設け、せめてもの抵抗(?)を見せています。

そこでは、当事者である秋葉忠利広島市長と長崎の田上富久たうえとみひさ市長らの談話をまとめた細切れの記事にしつらえ、朝日の論説委員が執筆した「原爆観の違い 明白に」という解説記事を添えて一応の体裁ていさいを整えています。

まず、秋葉広島市長ですが、この方は、1990年から99年まで、社会党、のちには社民党と一貫して野党勢力の衆議院議員をされた経歴を持ちます。ということで、現広島市長の政治姿勢はおおよそ想像できそうです。

基本姿勢としては、原爆被害者のための平和記念公園の慰霊碑に刻まれた「安らかに眠ってください。あやまちは再び繰り返しませぬから」に近い政治姿勢ということでよろしゅうございますか。

ただ、どうなんでしょう。55年体制とそれに続くしばらくは、そうした自らの姿勢に悩むことは少なかったかもしれません。自民党に何でも反対。かつての社会党で党首をした土井たか子さんの言葉を借りれば、「ダメなものはダメ!」と自民党を吊し上げていさえすれば、おのずから支持者から拍手喝采をもらえた時代が長いこと続きました。

先の大戦についても、日本の軍部が望んでもいない戦争に国民を引っぱり込み、アジア諸国の人々に甚大な被害を与えてしまった。その挙げ句の果ての原爆投下。いうなれば、日本に原爆が投下されたのは自業自得じごうじとく。日本の軍部が自ら投下したに等しい…なんちゅう理論武装をしていたのではなかろうかと思います。

これはアジア諸国、中でも中国や韓国に対する日本の対応姿勢と共通するもので、彼ら野党勢力も同じ日本人でありながら、自分たちの反省は棚に上げて、自らの立ち位置を小ずるく被害者側に変え、中国や韓国と一緒になって、あるいは当事国以上に声を張り上げて、「小日本よぉー!中国さま、韓国さまにさっさと謝りやがれー! 」とやり込める役回りを戦後一貫してとり続けてきました。

そんな光景を見せられるたび、私は「あなたたちも同じ日本人なら、どうして被害者面してそっち(=中国・韓国・北朝鮮)に回っているのだ。早くこっち(=日本側)へ来て一緒に頭のひとつも下げたらどうか」と苦々しく思ったものです。

そんな彼らの政治姿勢の象徴として、広島の慰霊碑の一文「安らかに眠ってください。あやまちは再び繰り返しませぬから」はあることになりそうです(本サイト内関連ページ→ )。

それが造られたいきさつを私はよく知らなかったりするのですがf(^_^)、想像するに、反体制の側の勢力が時の政府に迫って刻ませたに違いありません。

「あやまちは再び繰り返しません」。

繰り返し読んでも納得できるような解釈は得られません。原爆を落とされた日本人に、同胞がなぜ加害者意識を持つよう迫るのでしょうか。この一文を見るたびに私は、ある一場面を思い浮かべます。

慰霊碑にひとりの男がひざまずいています。男を取り囲むように、同じ日本人の男女が、腕組みして男を見下ろしています。男は取り囲む男女を不安そうに見上げます。すると、「生意気に見てんじゃねぇーヨッ! コラ! 反省が足りねぇーつッてんだろッ! このヤロー(o ̄∇ ̄)=◯)`ν゜)・;'!」の怒号が飛び、それが合図だったかのように、男女は土足で男の頭を憎々しげに踏んづけ、男のおでこを地面にこすりつけさせる…そんな残忍な者たちの光景です。

秋葉市長は4日、アメリカのロバート・ジョゼフ核不拡散問題担当特使(前国務次官)の、アメリカの原爆投下を正当化する発言に早速かみついて見せたといいます。

確かに、「原爆投下は日本の終戦を早め、犠牲者を少なくした」式のアメリカ側の言い分はあまりにも一方的で、すんなり認める気にはなれません。ただ、そのアメリカに抗議する気持ちがあるのであれば、なぜ、慰霊碑に「あやまち」の一文を刻ませることを迫ったのか。自分たちの政治姿勢に矛盾点を見出すことはできないのですか?

反体制勢力は、自分の国の首相が靖国神社を公式参拝することには大変なアレルギーを示します(本サイト内関連ページ→ ・)。そんな彼らが何とかのひとつ憶え(?)で決まって口にする反対理由は、「A級戦犯が祀られているから」です。

ここで実に素朴な質問なのですが、あなたたちのいう「A級戦犯」の定義は何ですか? 日本軍はどこかの国へ原爆を落としたことはありません。日本に原爆を落としたアメリカに敗れ、戦争の終結を認めました。そのアメリカが敗戦国の日本を裁判(「ウィキペディア>極東国際軍事裁判」)にかけました。

先日の本コーナーでも取り上げさせていただいた月刊誌「WiLL」(2005年8月号)の中で小野田寛郎おのだひろおさんは率直なお気持ちを次のように語っています。

そもそも「A級戦犯」なんて、戦勝国が勝手に決めただけでしょう。東京裁判なんか、まともな法律からいったら、茶番劇です。

ラグビーの試合が終わってから、勝った方が負けた方に、「お前はボールを持って走ったからいけない」と文句をいうようなものです。自分たちだってボールを持って走っていたのに、負けた相手に「サッカーのルールでは違反だ」といい出すようなものですよ。

「平和に対する罪」なんて戦前にはなかった。それなのに、占領中に一方的に裁かれて処刑されてしまった。受難者ですよ(処刑されたA級戦犯は7人、BC級戦犯では約千人)。

百歩譲って、戦犯の定義は置いて日本側の戦争責任を認めたことにしましょう。ならば、と今度はこちらから戦勝国を裁かせてもらいたいのですが、勝ち戦とわかっていながら原爆を2発も投下した行為は犯罪行為には当たらないのですか?

いや、原爆だけを絶対視することは、戦争理解のために有効でない気がしてきました。

日本兵が対戦国の兵士と一対一で向かい合ったとします。今、相手を殺さなければ自分が殺される。戦争とはそういうものです。日本兵はいち早く引き金を引いて相手の兵士を殺しました。また、その逆のケースも同じようにあります。

戦争が終わって戦争犯罪を裁く場を設けます。戦争に勝った国も負けた国も条件は同じです。相手方の兵士をひとりでも殺したら即戦争犯罪人。これなら公平です。

ならば、先の大戦後に東京で開かれた軍事裁判はどうだったでしょうか。なぜ、結果的に戦争に敗れた日本側だけがその責任を問われたのでしょうか。おまけに、日本を懲らしめる目的で、戦勝国が日本をがんじがらめにする憲法を作り、日本に押しつけました。

それを有り難がって、「憲法に指一本触れてはならぬ」と60年以上主張し続けてきたのが、今回の久間前大臣を辞任に追い込んだ側の政党でありマスメディアです。

彼らはまた、戦勝国が裁いた裁判に忠誠心が強いといいますか、A級戦犯と決めつけられた“戦争犯罪人”が祀られている靖国神社への日本の首相の参拝は絶対に許せない、と反対の手を緩めません。

60年経ってなお戦勝国以上(?)に強硬な日本の反体制勢力。

かつての社会党の流れをむ今の民主党に社民党。そして、共産党。朝日新聞をはじめとする反体制的思想を持つマスメディア。

いつまでこうべを垂れている者を土足で踏んづけていれば気が済むのですか? 自らの「あやまち」にそろそろ気づきませんか?