■ 2007/05/20 秋にGWは必要か?

国民から選ばれた代議士が集まって、どんな素晴らしい構想を練っているかと思えば、「秋にもゴールデンウィークを作ろうじゃないか」とか話を進めている(?)らしく、まったく嫌になるじゃありませんか。

そこまでして、休みたいですか?

私が学校へ通っていた時代、私は春闘が楽しみでした。電車通学していたからです。といって、鉄道会社の労働者の賃上げ闘争に関心を持っていたわけではありません。

私の願いは、労使交渉が決裂し、ストに突入してくれることでした。電車が止まれば、学校は休みになったからです。私は、できるものなら、学校へは通いたくありませんでした。ストになれば、親にも大いばりで家にいられます。だからです(^m^)

てことは、私も「休み」は嫌いでないことになります。ということで、本日書こうとすることは、限りなく説得力をなくしそうです( ;^ω^) が、ま、今の私の意見ということで、せっかくの休日のところ申し訳ありませんが、しばしお付き合いいただければと思います。

で、肝心の「秋のGW構想」ですが、自民党と連立を組む公明党から、今月中に提示されたようです。

当初の具体案は、11月3日の「文化の日」を“連休の核”に据え、前後に「体育の日」「勤労感謝の日」を移動させてきて3連休にし、これに土日が絡めば5連休になって「秋のゴールデンウィーク」の一丁上がり! というものです。

この17日、公明党の斉藤鉄夫政調会長は、「有給休暇を取りやすくなる上、金のかからない景気対策になる」(5月18日付け産経新聞記事より)と強調し、自民党の中川秀直幹事長も「与党の公約にすべきだという意見が出れば、真剣に考えればいい」と同調する姿勢を見せ(?)、一気に実現に動くか、と思われました。

が、直後、自民党内でこの案に反発する声が続出し、当初の案がすんなり実現する道は閉ざされました。

当たり前です。

そんな、ちんけな経済効果のためだけに、意味のある祝日を簡単に移動してしまっていいものですか? 国民に選ばれた議員がつどう国会が、そんな無用の案件実現のために“汗”を流すなんてバカバカしいでしょう。と、かつては“スト休校”を待望したf(^_^)私が“正論”を述べさせてもらいます。

そもそもが、移動対象とされた祝日がどんな意味合いを持つかおわかりですか?

まず「体育の日」ですが、これは多くの人が知っていると思いますが、時は1964年。アジアで初めて開催された東京オリンピックの開会式を記念して設けられた祝日です。

ですから、1964年10月10日に合わせ、毎年10月10日に祝ってこそしかるべき、なのですが、浅はかな国会議員によってハッピーマンデーなどという実にばかげた制度が作られ、その影響をもろに受けた「体育の日」は、由緒正しい10月10日とは縁もゆかりもない、土日に続く月曜日に移動させられてしまいました(本サイト内関連ページ→ )。

その理由が、「3連休を設けたいから」というのですから、開いた口がふさがりません。

一方の「勤労感謝の日」への抵抗にはさらに強いものがあります。なぜなら、皇室神事の新嘗祭にいなめさいに当たるからです。と書きつつ、実のところ、私はこの「新嘗祭」とやらが、どんなものなのかよくわからなかったりしますf(^_^)

そこで、困ったときの辞書頼みで、広辞苑で当たると、次のようにあります。

天皇が新穀を天神地祗にすすめ、また、親しくこれを食する祭儀。古くは陰暦11月の中の卯の日に行われた。近時は11月23日に行われ、祭日の一とされたが、現制ではこの日を「勤労感謝の日」として国民の祝日に加えた。天皇の即位後に初めて行うものを大嘗祭だいじょうさいという。にいなめまつり。しんじょうさい。

いかがです? 新嘗祭がどんなものか、ご理解いただけましたか? エ? 私は理解できたか? ええ、その、まあ、、、理解できたんじゃないかなぁ、ぐらいでお願いします。

ともあれ、その、本来は「新嘗祭」であった「勤労感謝の日」を、秋のゴールデンウィークだか何だかで連休をこしらえるために移動させようとは何ごとだ(`ε´) ! との声が上がるのは当然といえましょう。

ぶっちゃけた話。私は春のゴールデンウィークも要らないんじゃないかな、なんつーことを日頃から思っています。私がなぜそう思うかといえば、私は世間がワーワー騒ぐようなことが大嫌いだからです。ですから、たとえばサッカーのワールドカップ(→ 本サイト内関連ページ)だといって、朝から晩までドンチャン騒ぎをするような現象は大の苦手です。

私は普通の日が好きです。取り立てて何ということもなく、スーッと流れていくような時間が好きです。

ですから、今度、東京でまたオリンピックを開催しようなどという動きがあるやに聞きますが、私個人はご免です。

そういえば、東京オリンピックの開催が決まり、東京がオリンピックに向けて大きく変貌へんぼうしようとしていた時代、ひとりの画家は、それを嫌い、東京を捨てたことを思い出しました。

高島野十郎です(本サイト内関連ページ→ )。

野十郎は九州久留米くるめの出で、東京帝国大学(※現在の東大)を主席で卒業後、画家に転じ、東京・青山にアトリエを持つ時代がありました。それが、オリンピックのための開発が進んだ東京を嫌い、当時はまだ農村だった千葉のかしわへ逃げ、その地で晩年までを送ったということです。

ついでながら、そこでは電気も引かない“原始的”な生活(?)を好み、一本の蝋燭ろうそく、太陽、月などの絵を遺しています。

現代にもし野十郎が生きていたら、必ずや、人為的な祝日を好まなかったと思います。

今考えるべきは、祝日を増やすことではなく、生活時間がバラバラになっている家族のあり方ではないでしょうか(→ 本サイト内関連ページ)。

私は先週日曜、ドキュメンタリーの「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ/14:00〜14:55)を観ました。その週取り上げられた素材は、性同一性障害を自覚しつつ、それでも認められた結婚生活を夢見る男女(※女になりたい男と男になりたい女による20代のカップル)と彼らの治療に当たる精神科医院です。

個人病院を経営する院長であり医師の男性は、毎日家に戻るのは深夜。取材したその夜は、疲れ果てて家に戻り、風呂も入らず顔も洗わず、そのままベッドに身体を捨てるように眠りに就きました。

そんな毎日を送る精神科医が、肉体的・精神的に疲労が極限に達すると、ある場所を訪れるといいます。私はてっきり、精神科医が別の精神科医院を訪れるのかと思っていました。が、私の予想は外れました。

彼はとある一室で、独り座り、瞑想にふけったかと思うと、次はこうべを垂れたりします。彼の前には金ぴかの仏像(だったかな?)が鎮座ましましています。

彼はチベット仏教によって、自身の身に降りかかる負荷を軽減しているようでした。

世のサラリーマンの働き方は、人それぞれでしょうが、大なり小なり、“負荷”がかかった毎日を過ごしているように想像できます。にしても、「マイホームには寝に帰るだけ」では虚しくはないものか、とサラリーマンではない私は考えます。

仕事は定時に終わり、カレンダー通りの休日以外にも、自分の裁量で休みが取れるような社会の実現にこそ、代議士たるもの時間を使って欲しいと思うのですが、これはあまりにも要求が過ぎるでしょうか。

毎週土曜日の産経新聞に掲載されるコラムに、阿久悠あくゆうさんの「阿久悠 書く言う」があります。その昨日分に、「互助新婚」という言葉が出てきました。

私は初めて聞く言葉でしたが、これは、阿久さんがおっしゃるところでは、「2007年問題」ともいうべき、大量退職する団塊だんかいの世代の消費を当て込んだ巧みな風評(ふうひょう:〔あるひとについての〕世間の評判。うわさ。風説)の類であるようです。

資本主義というものは、あの手この手で人々に金を使わせることで経済の歯車は回っていきます。そのための仕掛けとして、取っ替え引っ替え新しい風評が必要になるというわけです。

で、今盛んに流され始めた風評が「互助新婚」となります。

定年退職した夫と妻を「互助新婚」とおだて上げ、たとえば、「人生の春が今訪れました。今こそ、夫婦水入らずで長期旅行に出たらいかがでしょうか。必ずや、充実した夫婦生活が待っていますよ」などと誘って、退職金の紐を緩めさせます。

この風評に冷や水を浴びせるのが阿久さんで、「30年以上も『飯! 風呂! 寝る!』の会話で済ませてきた夫婦が、毎日顔をつき合わせて旅するとどうなるか。美しき発見ならいいけれど、嫌悪の確認では悲劇である」と“風評被害”を心配(?)されています。

考えてみれば、退職して会社から開放された夫にとり、毎日が祝日のようなものです。しかし、毎日夫婦が同じ屋根の下で顔を付き合わさなければならないとなれば、いつまで「祝日」気分が続くことやら、といったあんばいでしょうか。

本日取り上げた「秋のゴールデンウィーク構想」ですが、与党執行部は18日、「体育の日」だけを11月に移動し、「文化の日」とで2連休にする妥協案で調整に入った模様です。上手い具合に土日と連なれば別ですが、でなかったら、2連休ではさすがに「秋のゴールデンウィーク構想」とは呼びにくいでしょう。

ところで、当初、「秋のゴールデンウィーク」の中核とも目された「文化の日」ですが、元々はどんな日だったご存じですか? 私は全然知らなかったのですがf(^_^)、明治天皇の誕生日なのだそうですね。明治も遠くなりにけり、ということにしておきます。