| ■ 2007/04/24 テロル長崎? |
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本日は、遅まきながら、統一地方選のさなかに、九州の長崎市で発生した事件について書いておきたいと思います(「ウィキペディア>長崎市長銃撃事件(2007年)」)。 今になって私が思うのは、事件の背景がハッキリしていない段階で、この事件に「飛びついて」書かなくてよかったということです。新聞というメディアはもはや、速報性という点ではテレビばかりかネットにまで先を越され、情報発信メディアとしてはすっかり“鈍足チャンピオン”に成り下がっています。 その自覚があってか、何か事が起こると、慢性的な遅れを取り戻そうとでもするかのように先走りし、朝日を筆頭とする一部マスメディアは、真偽をよく確かめもせず(?)、「自分たち(にとって都合)の(良い)論調」を展開する焦りの兆候を 今回の事件の報道ぶりにも、その傾向が見て取れます。 それでは、事件が発生した翌日の朝日新聞「社説」を、“記念”の意味を込め(←皮肉でっす(^m^))、以下に全文転載させてもらうことにします。
お読みになっての感想はいかがでしょう。この事件がもし、未解決で、現段階で容疑者が捕まっていないのであれば、“この線”で自分たちにとって都合良く“持論”を展開することもできたでしょう。 現に、翌19日の社会面には、同じ被爆地である広島の秋葉忠利市長が、沈痛な表情で緊急記者会見する写真が添えられた記事が掲載されています。その秋葉市長が会見で、「暴力で政治活動を封殺する事件」「民主主義に対する明らかな挑戦」と述べたと報じています。 一方、事件発生直後に取材を受けた安倍首相のコメントが、一部勢力にはおもしろくなかったのか、批判の的にされました。 安倍首相がどのようにコメントしたのかといえば、「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」です。私個人としては、冷静で現実的なコメントであったと思います。が、どうしても、政治テロと決めつけたい勢力は、このコメントを批判し、「反応が鈍い」とばかりに早速やり玉に挙げようという気配が窺えます。 事件の翌日、朝日は「社説」で、この事件を「テロ」と決めつけました。そこで私は、念のためにと、「テロ」の意味を広辞苑でひいてみました。そこにはこうあります。 テロル・テロリズムの略。 そこで、「テロル」をあたると_ (恐怖の意)あらゆる暴力手段に訴えて政治的敵対者を威嚇すること。テロ。 「テロリズム」には_ 政治的目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義。テロ。 とあります。どちらにも「政治的」が含まれます。ということは、その行為を行う根本に、「政治的」言い換えれば「思想的」なものを含まない暴力行為、あるいは相手に脅威を与える行為を、正確には「テロ」と呼ぶべきではないということになりそうです。 そこで問題になるのは、今回、その時点で長崎市長だった(←選挙選の最中は、現職市長はどのような立場にあるんでしょうね? 私はその知識がありませんf(^_^))伊藤氏を射殺した指定暴力団山口組系「水心会」会長代行の城尾哲哉容疑者(59歳)に、政治的、思想的な動機があったのか? それとも、なかったのか?、ということです。 事件の一報を聞いた安倍首相が、マスメディアの取材を受けてまず答えたのが、「真相究明の必要性」です。一国の責任者としては、妥当なコメントでしょう。しかし、“鈍足チャンピオン”の新聞メディアのひとつ朝日は、日頃の遅れを取り戻そうとでもするかのように、一足飛びに事件の背景を「反核政策に対するテロ」と塗り染めたいようです。 首相は、先走りしがちなマスメディアに、「ちょっと待ちなさい。そう先走りしなさんな。事件の真相究明が先決だ」と冷静に答えていたんですけれどね。 肝心の、容疑者の現役市長襲撃の動機ですが、これまで明らかになっている(できている?)ところでは、市発注の歩道工事現場に落ちて破損した(≒落としてわざと破損させた?)車(=セルシオ)を巡る市側との交渉問題や、知人の解体業者への融資問題で市側に不満を募らせていた、とのことですが、これが動機の全てとは到底思えません。 一部には、“表マスメディア”が大っぴらに報じにくいアンダーグラウンドの利権話もあるやに聞きますが(→ 本サイト内関連ページ)、これとて、ここで先走りして私が書くわけにもいきません。もう少し掘り下げ、自分なりに納得できた時点でその“問題”にも分け入ることになるかもしれない、ということにしておきましょう。 こうした“テロ絡み”の事件が発生しますと、朝日は「阪神支局襲撃事件」を、あたかも「水戸黄門」の三つ葉葵の御紋がはいった印籠の如くに、懐から得意そうに取り出し、「だからね。これが目に入らぬか〜」とばかりに、“テロ被害者朝日”が得意満面で言論の自由の大切さを解く行為を、これでもか、これでもかと繰り返します。 が、これも、阪神支局襲撃事件の真犯人が未だに突き止められていないがため、決め手の“印籠”足り得ているに過ぎない、といういい方ができます。 朝日は自分たちを、言論の自由の守り神の如きに考え、その自由を奪う者の 未解決のまま時効が過ぎた阪神支局襲撃事件ですが、その真犯人の正体がいつの日にか明らかになった場合、果たして、それまで朝日が得意になって決めつけていた事件の背景が、そのまま通用するものかどうか。 今でこそ、北朝鮮当局による日本人拉致事件は、当の北朝鮮当局がその事実を認めてしまったため、「ないものはない!」といい張ることなどできはしませんが、小泉首相が訪朝し、その事実を金正日総書記の口から語らせるまで、朝日は、かつての社会党、今の社民党の片棒担ぎに専念し(?)、「北朝鮮による日本人拉致事件? 夢でも見ているんじゃないですか?」と社会の公器であるべき紙面で、小馬鹿にし、突っぱね続けていたのです。 阪神支局襲撃事件発生原因のひとつの可能性として、「被差別部落」に絡む問題がないとはいえなさそうです。実は、この事件に絡めて部落問題を書こうと思ってはいるのですが、事件があまりに 社説では、「容疑者の動機がなんであれ、反核運動が萎縮するのではないかと心配だ」と書き、論点を「反核運動の是非」へと誘導しています。そして、「暴力で封殺するようなことがまかり通れば、言論の自由が封じ込められた結果、国の針路を誤った戦前の暗い時代に後戻りすることになりかねない」と話を得意の「言論の自由」へと引き込んでしまっています。 今回の事件の容疑者が、反核運動を萎縮させるような脅しを市側にしていたのであれば、こうした論を採れたでしょうが、それが事件の動機といっているのですか? 現時点では、そのような報道はなされていません。とするなら、これは、朝日がこの事件を都合のいいように利用して、自分たちの日頃の こんなことがあの世の伊藤前市長に通じたら、嘆かれるだけですよ(?)、朝日さん。 今回の事件が発生したその日朝の「天声人語」は、その夜に今回の事件が発生することも(もちろん)知らず、アメリカの大学で発生した銃乱射事件(「ウィキペディア>バージニア工科大学銃乱射事件」)を受ける形で、「銃が人を殺すのではなく、人が殺すのだ」とする銃擁護派を批判し、「(やはり)銃が人を殺すのだ」と書いています。 ならば、伊藤前市長を殺したのも銃で、銃さえなかったら発生しなかった、ということになるのでしょうか? そのことを、伊藤前市長のご遺族の前で主張されたとしても、「そうですね。銃があるからいけないのですね」とはなかなかならないような気が私はするのですが。 それでいけば、交通事故を起こすのは車があるからで、世の中から車をなくしましょうということになります。これに限っていえば、私は自分で車を走らせることもないため、車のない社会が実現できたらどんなに素晴らしいだろう、と夢想することもあります。が、これも現実的には、夢想だけで終わってしまいます。 今回は、暴力団の問題にも触れ、それとつながりがあるテレビ局の問題も書こうと思いましたが、これはまた日を改めてじっくり書いてみることにします。
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