| ■ 2007/02/28 ちあきなおみという歌い手 |
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本日は、希有(けう:めったにないこと。まれにあること=広辞苑)な歌い手について書くことにします。 本来であれば、「歌手」と書くべきところを、敢えて「歌い手」という書き方にしてみました。「歌手」も「歌い手」も意味に違いはなく、どちらでもいいようなものですが、彼女について書こうと思ったとき、この表現が私の中でひらめいたのでした。 「彼女」というからには、その歌い手は女でなければなりません。芸名をちあきなおみというその歌い手に、私は心底驚かされました。 これまで長いこと、ちあきなおみといいますと、タレントのコロッケさんの物まねによって染められた“色”に邪魔をされ(?)、特別注目に値する歌い手ではない、ように私は誤解してきました。 これは明らかな誤解、とんでもない誤解であったことを思い知りました。 きっかけは、何の気なしに観た娯楽番組です。2月16日に放送になった「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京)。私は胸騒ぎを感じ、念のためにとPC録画しておきました。それを、放送の翌日に観た私は、その内容の濃さに衝撃を受けました。 その日の録画は、すぐさまDVD−Rに焼き、永久保存としました(→ 同番組のDVD画像)。 番組は、「たけしの」と冠がつくビートたけしこと北野武をメインに、渡辺満里奈、篠原勝之 、今田耕司らがレギュラーで出演しています。そこへ、ゲストとして招かれたのは作曲家の船村徹さんです。 その日のスタジオの雰囲気を、私がここで → 「ちあきなおみ特集」(「たけしの誰でもピカソ」2007年2月16日放送・一部音声ファイル):6分52秒 ゲストの船村さんを囲んで話をふくらませているわけですが、切り口がいくつもあるといいますか、どの角度からも語れるいうのが、ちあきなおみという歌い手なのかもしれないです。 ここでの話の最初に出てくるのが『夜へ急ぐ人』で、この曲が今回、私がNHK−FMのリクエスト番組「サンセット・パーク」宛てへカードを出し、昨日の番組で採用してもらった曲です(→ 該当リクエスト・カード)。 【本日の豆感想】:番組でリクエスト曲が採用されただけで嬉しいのですが、リクエスト・カードに書いた文面をほとんどそのまま紹介してくれたのが輪をかけて嬉しかったです。これまで、パーソナリティの東涼子さんには3回ほどカードを紹介してもらっていますが、そのいずれも、カードを丁寧に読んでもらっています。その分、いい加減なことを書けないという気もしますが、リクエスター冥利につきるとはこのことです(^-^; 作詞・作曲は、番組のレギュラー“クマさん”こと篠原勝之さんの友人(?)友川かずきさんだそうです。そのクマさんいわく、作曲者の友川さんをして「こんなになるとは思わなかった」といわしめるほど、ちあきさんはその曲を自分のものにしてしまっています。 番組では、NHKの「第22回・紅白歌合戦」(1977年)でその曲を熱唱する映像が流されました。 「紅白」の舞台でこの歌を歌い終わると、司会の山川静夫アナウンサーの口から、「何とも気持ち悪い歌ですね」という感想が漏れたという曰く付き(いわくつき:何か特別の事情のあること。また、そのようなもの=広辞苑)の曲(?)であります(「YouTube>ちあきなおみ さだめ川 酒場川 夜へ急ぐ人」)。 歌詞に目を通しましょう。 あたしの心の深い闇の中から 人間の奥深いところに手を突っ込んで、それを白日の下に そして、それを我が歌とできたちあきなおみという女には、その禍々しさが似合うだけの力があります。 同じような禍々しさを持つ歌が『朝日の当たる家』です。これはアニマルズが歌ってヒットしたアメリカ民謡に、浅川マキが日本語の詞をつけたものでした。 こちらも詞を見ておきます。 私が着いたのは ニューオリンズの ちあきと浅川マキの経歴を見ると、ふたりの間に、奇妙なほど重なる部分があることに気がつきます。浅川マキが1942年生まれで、ちあきは1947年。浅川マキが米軍キャンプやキャバレーなどで歌手の活動を始めれば、ちあきは米軍キャンプやジャズ喫茶で歌を歌います。 番組のゲストで、細川たかしの歌でヒットした『矢切の渡し』を作曲した船村徹さんは、「ちあきクンも若い頃、アメリカ軍のキャンプなどで、そういう仕事をしていた人なんですよ。だから、この人もそういう経験のある人なんですね。ですから、こういうものは、小さいときからどこかで慕っていたんですよね」と述べています。 「そういう仕事」…「そういう経験」…「こういうもの」…。 歌に出てくる「朝日楼」という名の女郎屋。 ちあきは「妹に言っとくれ。あたしみたいになったらおしまいだって」と歌います。同じ歌を、ただ上手いというだけで、その“匂い”も感じさせない歌手が歌っても、歌が持つ凄味を聴く者に感じさせることは難しいでしょう。 ここには、「心の深い闇の中から、おいで、おいで」をするかのような、底なし沼の如き、深い人生経験に裏打ちされた何かが表現者には求められます。誰が歌ってもいい、というものでもないということです。 日本歌謡界には、美空ひばりという女王がいます。その女王に肩を並べられる歌い手がいるとしたら、ちあきなおみをその候補として挙げてもいいのではないか、と私は考えました。船村徹さんは、美空ひばりとちあきなおみの決定的な違いは、裏声の出る、出ないだといいました。 裏声を綺麗に出せる美空と、出せないちあき。しかし、違いがあるからこそ、双璧のもう一方になれるような気がしますが、どうでしょう? ただ、今のところ、ちあきに対する世の評価は高くありません。私自身、この番組を観るまで、そんなことを考えもしませんでした。それでも、一部では(?)彼女の評価は高く、ご主人に他界されて以来、芸能活動を止めているにも拘わらず、復活を望む声は根強く、過去に出したアルバムのセールスも順調であると聞きます。 私はといえば、ここへきてようやくちあきなおみを再認識したばかりで、彼女の理解はこれから、というところです。 そういえば、横尾忠則さん(→ 本サイト内関連ページ / 「にんげんドキュメント・横尾忠則」のDVD画像)は、日本的な情感を出したい時はアトリエ内で古い歌謡曲をかけるということです。それでいえば、ちあきなおみの歌をアトリエに流したら、また違った、奥深い何かを感じながら絵筆をふるうことができそうです。 何はともあれ、あとは受け手の側の問題です。ちあきなおみという歌い手をどのように受け止めることができるか。 |