■ 2006/09/12 日曜美術館30年展

本日は、一昨日の日曜日に観てきました展覧会についてでも書いてみようと思っております。

思えば、その日は今年最後の真夏日(?)になるのではないかというような、残暑の厳しい日でした。それが、今日になってみれば、最高気温の予想が25℃です。であれば、その日とは10℃ぐらいの開きが出てきそうです。

そんなこともあってか、たった二日前のことなのに、ある夏の日に見た“幻影”のように思えてしまうのは、何とも不思議な気分です。

今回私が足を向けたのは、現在、東京藝術大学大学美術館(→ 本サイト内関連ページ)で、そこで現在、「NHK日曜美術館30年展」(9月9日〜10月15日 ※月曜休館。ただし、9月18日、10月9日は開館し、9月19日、10月10日が閉館)が開催されているのです。

今の「新日曜美術館」(日曜/09:00〜10:00 再放送20:00〜21:00)へと続く「日曜美術館」が放送開始から30年ということで、始まったのは昭和51(1976)年ということになります。会場には、初代から現在まで、番組を担当された歴代のアナウンサーとアシスタントが、世相とともに紹介されていましたが、メモしておくべきでした。うーん、初代の担当者さえ思い出せません(^_^;)

以前本コーナーでも書きましたが、私は同番組をビデオで録り溜めていまして、一昨日放送になった「イングランド美の旅」でちょうど18本完録となりました。すべて3倍速で録画しているため、1本につき6回分、都合、収録放送回数は【108回】となります。

ちなみに、記念すべき(?)第1回目の収録は、1989年2月5日放送の「魂の歌 ウィリアム・ブレイク」です。その回のスタジオ・ゲストは大江健三郎氏で、当時司会をされていたのは加賀美幸子NHKアナウンサー(※当時)です。

ついでまでに、今後はビデオ録画ではなく、PC録画したものをDVD−Rに焼いて残す方式に変えようかなと思っているのですが、地上デジタルのみになった場合、コピーワンスという懸念材料があり、果たして今のようにDVDメディアに焼けるかどうかなど、気になる点が残されています(→ 本サイト内関連ページ)。

「日曜美術館」の録画ビデオ・テープの1本目には、忘れがたい放送も録画してあります。1989年5月21日に放送された「牧野邦夫 幻想の人間曼荼羅まんだら」がソレです。私はその日の放送を観て初めて牧野邦夫「牧野邦夫web美術館」)(→ 本サイト内関連ページ)という画家を知り、その生き方、作品に大いに興奮し、以来、その録画分は何度繰り返して観たかわかりません(→ 本サイト内関連ページ)。

今回の展覧会で、牧野邦夫の作品にも再会を果たせたらよかったのですが、展示スペースの関係上からか、選ばれませんでした。同展の展示は、以下の4つの章、展示作家に区分されています(作品リストより、展示順。期間中、一部展示替えあり)。個人的に興味を持って観た画家にはマーキングしてみました(^_^;

【本日のお笑い豆誤変換】:×「秋の服」→ ○「秋野不矩」(^O^;

今回の展覧会をザッと観ての印象は、残念ながら、それほど強いものではありません。ひと言でいえば「総花(そうばな:すべての関係者に利益・恩恵を与えること=広辞苑)的」で、「これは!」という作品に出会えなかったように思わないでもありません。

そんな中で、結果的に、中川一政(→ 本サイト内関連ページ)、熊谷守一(本サイト内関連ページ)、松本竣介(→ 本サイト内関連ページ)などの作品に興味を持って観ました。

そしてそして、今回の展覧会で私に何よりの“贈り物”となったのは、展示空間の最後の壁を飾っていた高島野十郎(本サイト内関連ページ→ )の『りんごを手にした自画像』『蝋燭』『からすうり』です。野十郎の作品に再会できたため、それまで感じていた物足りなさは幾分解消されました。が、わずか3作品であったため、物足りなさが増してしまったのは皮肉な結果といえましょう(*´д`)

展示会場である地下2階と3階には、展示映像のスペースが6つ設けられており、それぞれのスペースでは、30年間の間に放送にされた膨大な映像データの中から、今回展示されている画家について著名人が語る映像がエンドレスに上映されています(※映像の上映時間はそれぞれ10分程度)。登場される方々は以下の通りになっています(「展示映像の案内」より。敬称略)。

これらの“展示映像”で個人的に印象に残ったのは、藤山愛一郎氏、武満徹氏、手塚治虫氏(本サイト内関連ページ→ )、濱田庄司氏でしょうかね。手塚さんは漫画家の観点から、『鳥獣人物戯画』の先見性について語っていらっしゃいます。

陶芸家の濱田庄司さんは、晩年、長い年月の末につちかわれた手業により、たらし込みのようにして模様をつけるのに、速いときで10数秒しかかからなかったといいます。それを見た人が、「たった10数秒で絵付けした皿が高く売れるんですね」というと、濱田さんは「絵付けには10数秒と60年がかかっています」と答えたそうです。なるほど、ですね。

また、藤山愛一郎氏からは、ご自身が安井曾太郎に肖像画を描いてもらったときのエピソードが披露され、安井の創作の一端を知る思いで、興味深く観ました。

藤山氏によれば、安井は藤山氏のスケッチを何百枚も描いたそうです。おそらくは、スナップ写真を撮るようにして、次から次にスケッチ・ブックにスケッチをしていったことでしょう。そのようにして、藤井氏の善い面も悪い面(?)も手と眼に焼き付けていったのだと思います。

そうしておいて、安井は画室に独りこもり、本作を描いていったのでしょう。同時代に安井と共に日本人画家の双璧を成す梅原龍三郎はといえば、これもつい数カ月前の「新日曜美術館」の中で紹介された生前の制作過程を紹介する白黒映像で観ましたが、梅原は女優の高峰秀子をカンヴァスの前に座らせ、いきなり油絵具で描いていました。

現代、油絵具で人物や風景を描くというと、実際のモデルや風景を前に描くことを想像されがちですが、そうした制作行為が採られるようになったのはモネ(→ 本サイト内関連ページ)に代表される印象派が“現場主義”を採るようになって以降のことでしょう。

それはそれで心楽しいことに違いなく、今回の展覧会でも紹介されています中川一政の『駒ヶ岳』や創作過程を紹介する映像を観ていますと、大自然の中で大きなカンヴァスにペインティング・ナイフで絵具を盛り上げるように塗り込む行為には、心躍るものがあります。

しかし、こうした“現場主義”的描法は、広い意味でのスケッチなのであろうと思います。で、安井曾太郎は本作のためにスケッチを積み上げていったものを、印象派や日本の梅原龍三郎はいきなり油彩で始め、ソレを本絵としてしまったわけです。

ここで、今回の展覧会とは直接関係のない画家について書いてしまいますが、上の両極端な制作態度を考えているうち、私にはそれぞれのタイプにひとりずつ、ふたりの画家の名前が思い浮かびました。

一人目は筧忠治かけいちゅうじという画家です。筧さんという画家を知ることになったのは、1998年8月15日に放送になった「土曜 美の朝」(NHK総合)という番組でした(→ 同番組ほかを収録したビデオ・テープ画像)。

同番組の放送当時、筧さんの年齢は90歳で、その1年前から奥様は病気で入院されているということで、猫と一緒に独り暮らしをされているということでした。筧さんはサンドイッチで簡単な朝食を済ませると、すぐに画紙に向かいます。

筧さんは専門の絵の教育を受けていません。少年の頃から絵の道を志していたものの、高等小学校を卒業すると愛知測候所(※当時)に就職し、以後、仕事のかたわら、絵を描き続けることになります。

そんな筧さんの絵の題材は己の姿『自画像』です。筧さんはある野心を抱いて、自分の姿を描いて、描いて、描いたのです。筧さんの野心とは、「画家として有名になる」ことではありません。「古今東西の名画と並べても遜色のない作品を描けるようになりたい」ということです。そのために、自分を鏡に映し、描いて描いて描き続けてきたのです。

そんな筧さんは、その日も、取材でやって来た山根基世もとよアナウンサーに見守られながら、鏡に映る己の姿を息を止めて凝視するや、息んで(いきむ:息を込めて腹に力をいれる。いきばる=広辞苑)発した「ウンッ!」という声とともに、画紙に自分の姿を木炭で描き込んでいきます。

筧さんは、「自分にはスケッチは1枚もない」といい、視て描いた作品はすべてが「本作だ」といいます。

もうおひとり思いついたのは、熊田千佳慕くまだちかぼさん(「有隣堂>熊田千佳慕の世界」)(→ 本サイト内関連ページ)です。

筧さんが視て視て視て描いたのに対し、熊田さんは視て視て視るだけです。熊田さんは日本のファーブルのようなお方でして、昆虫を克明にお描きになります。しかし、その克明な絵を、熊田さんは記憶だけで描くのです。その“記憶の蓄積”のため、熊田さんは自宅近くの草むらで、虫と同じ目線で腹ばいになります。そうして、飽きることなく虫を観察するのです。

その現場に行き会わせた人から、熊田さんが行き倒れ(ゆきだおれ:病気や空腹、疲れや寒さのために路上に倒れ、あるいは死ぬこと。また、その人。いきだおれ=広辞苑)の人ではないかと勘違いされたことも一度や二度ではなかった(?)ようです。

ともあれ、そのような記憶の蓄積をしたのち、熊田さんは家に戻り、1日につき2時間ほど(※「2時間が限度」とは熊田さんのお言葉です)、神経を集中して筆を走らせるということでした。

以上、ここでは筧さんと熊田さんというおふたりを例に出させていただき、絵の取り組み方をふたつの方向から見てみました。どちらがより優れているということではなく、私自身、どうあるべきなのか、未だに答えが見つけられずにいるというのが正直なところです。

展覧会とはまったく関係ありませんが、この9月から、NHK教育の「知るを楽しむ」火曜日の「私のこだわり人物伝」(本サイト内関連ページ→ )では、唐沢俊一さんが案内役となった「円谷英二 特撮の神様」が始まりました。

その第1回目は「ゴジラは日本人である」(「YouTube>ゴジラ予告集No.1」)と題し、欧米の特撮とは根底から異なる円谷英二つぶらやえいじが生み出した日本流特撮のスゴさについて語っていました。何がスゴいのかといえば、欧米の特撮がコマ撮りの形式を採るのが譲れないスタイルとなっているのに対し、円谷が生み出したソレは“かぶりもの”であることです。

つまりは、着ぐるみの中に人間が入って演技をしてしまう手法です。そうした手法を一般的には欧米では受け入れ難いといいます。なぜなら、リアリティを感じられないからです。欧米の観客は、着ぐるみの中に人間が入っていることに頭がいってしまい、結果、スクリーンに映る怪獣に感情移入できない(?)、というわけです。

しかし、日本人はそれを違和感なく受け止めることができます。なぜでしょうか? そこには、日本の伝統文化が息づいている、と唐沢さんはいいます。

たとえば、日本の伝統芸能であるの場合、面は当然のことながら動きません。欧米人からすれば“凍り付いた表情”といえましょう。しかし、日本人の観客は、その凍り付いた面に豊かな表情を見て取ることができる、といえます。そしてそれこそが、日本独特ともいえる、“想像の補完”の証明ともいえます。

これは日本のアニメでも同じことがいえ、日本製アニメ(=ジャパニメーション)のキャラクターは、省いた動き(「ウィキペディア>リミテッド・アニメーション」)をしていても、それに違和感を感じることはありません。元々は予算の削減のために採られた手法であったわけですが、それが日本の文化では受け入れられたのでした。一方、アメリカのアニメはどんな場面でも、しゃべっているのであれば、口は動かさなければなりません。でないと、しゃべっているように向こうの観客には受け取ってもらえないからです。

こうした文化的背景の違いがあって、欧米ではなかなか受け入れてもらえないチェコのアニメ(→ 本サイト内関連ページ)が、日本では何の抵抗感もなく受け入れられた、という話も唐沢さんはされていました。この話が、今回の展覧会の話とどうつながるのかわかりませんが、突然思いついたので入れてみました。この脈絡のなさを、さあ、あなたは受け入れることはできましたか(*´д`)∩

以上、本日は思いつくままに、一昨日観てきた展覧会に絡めて書いてみたりしちゃいました。ここで強引に締めにもっていけば、「美術の秋」といわれる秋になったことでもありますし、暇ができたときには、気の向く展覧会を見つけ、足を運んでみるのも楽しいことのように思いますが、いかがでしょうね。

私にとっての秋は「美術」、それから、、、「高校野球」でしょうかね(σ'∀`)σ