■ 2004/12/12 受験勝者はイエスマンになるだけ

以前の本コーナーでも書きましたが、私は最近やたらに涙もろくなってしまっています(→ 本サイト内関連ページ)。しかし、これは正確な表現ではないとも思います。なぜなら、私は昔も涙もろかったからです。

12年前に母親を亡くしたとき、4年前に父と姉を亡くしたとき、いずれもの告別式における親族挨拶では人一倍号泣した経験があるのですから。いずれのときにも、義兄の父親が挨拶をしてくれたのですが、中学校の校長を務めたこともあって話し方が上手で、それが私の涙腺をさらに緩めたという要素はありますが。

そうした素地(そじ:さらに手を加えて仕上げるもととなるもの。したじ。土台。基礎=広辞苑)があるとしても、今回の入退院後の私はそれに磨きがかかってしまった状態です(?)。

例の北朝鮮に拉致されていた曽我ひとみさんが数十年の歳月を経た末に、ようやくにして故郷の佐渡へ夫のジェンキンスさんと娘たちとともに帰ることができたことを伝えるニュースがありました。その帰郷の模様を伝えるニュースを翌朝に観ていた私は、またしても涙腺を刺激されました。

「涙腺がこれまで以上に敏感になっている・抵抗力が衰えている」ともいえます。

そんな私の涙腺をまたしても刺激するテレビ番組がありました。といって、それは何も視聴者の涙腺を刺激するために作られたものではありません。私が勝手に感応(かんのう:心に感じこたえること=広辞苑)しているだけです。

その番組とは、私がいつも観ています「真剣10代しゃべり場」で、10日は第16期最終討論の週に当たり、議題はIさんが提案した「義務教育には進級試験が必要だ!」でした。なお、この日のゲストは劇作家・演出家の平田オリザさん(1962年生まれ。桜美林大学助教授。こまばアゴラ劇場支配人。国際基督教大学在学中から劇団青年団を主宰)です。

提案者のIさんは、現在の義務教育を3年単位のブロックに分け、そのブロックごとに進級試験を設け、それに合格できなければ上級学年に上がれない仕組みにすべきだと主張します。その彼の主張を、ゲストの平田さんは気乗りがしなさそうに下を向いて聞いています。

もちろんIさんの提案にも一理あり、昨今いわれている「ゆとり教育が学力低下の最大原因だ」というマスメディアや有識者の考え方にも通じるところがなきにしもあらずです。

しかし、どんな方法であれ、「点数第一主義の頂点に立つことで、人は本当に幸せになれるのか」という大問題があります。

提案者のIさんの発言だったか、試験問題出題者の傾向を研究することで、試験でよい点を取ることは難しくないといいます。いわゆる受験テクニックです。そのテクニックだけにけた人が受験戦争の勝者となることが、果たして本人のため、大きくは日本という国にとって本当にいいことなのか、という疑問がおそらくは誰の心の中にもあると思います。

私はこの受験テクニックというヤツが大、大、大嫌いで、受験戦争は自分の方から“リタイア”した経験を持っています。この受験システムに何ら疑問を持たず、順調に通過して“受験競争勝者”になれる人は、結局のところ“イエスマン”にしかなれない、というのが私の持論です。

そんな私の涙腺を刺激したのは、討論終了間際の以下の部分です。PCで番組録画したものから音声データに変換してみましたので、もしよかったら聴いてみてください ファイルの公開は終わりました)

「真剣10代しゃべり場 16期最終討論より」>本当の幸せって何?(4分58秒)

この中で沖縄でのエピソードを披露してくれているのはMさんという金髪の青年です。彼は四国の生まれで、高校時代までは野球に情熱を燃やしたものの、夢破れて野球から離れます。その後、自分を賭けられるものはないかと模索して消防士になったものの、またしても自分の理想とは違って離れていきます。その彼が行き着いた先は縁もゆかりもない沖縄で、のんびりした風土の中で今、自分自身を解放させて生きているようです。

そんな彼だからこそいえるのでしょう。受験競争も受験テクニックもいらない。分数計算ができなくたっていいじゃないか。そんなもので人は幸せを手に入れられない。馬鹿になって踊ろじゃないか、と。

私はMさんの発言を聞いているうちに、またしても涙腺を刺激されてしまったんですね。「そか。そうかもしれない、、、」と思いながら。

とはいえ、いきなり“馬鹿”にはなれるものではありません。しかし、その路線が自分の中にも着々と整いつつある気がしないでもありません。その一つが昨日の本コーナーで書いた「洒落っ気のイメージチェンジ」(→ 本サイト内関連ページ)で、まずは外見からでも変えようという意識の表れと見ることもできます。

とにかく、泣きたくなったら馬鹿になって泣けばいい。泣いている自分を恥じることはない。これぐらいは自分でも実践できそうです。そうして、自分の馬鹿さ加減を少しずつ増していきたいと思ったりしているのです。