| ■ 2004/10/22 生き物との共生と被差別部落問題|2ちゃん>謎薬販売 |
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今年は例年になく台風の被害が多いせいなのか、野生の熊が人里に現れ、時に山里の人間が被害を受けたとのニュースを聞かない日がないほどです(「Yahoo!ニュース>国内トピックス>クマ出没」)。 で、それに合わせたかのように、おとといの朝日新聞「ひと」コーナーでは、熊との共生を訴える人物が紹介されています(取材:大和田武士)。この朝日のコーナーでは、有名無名を問わず、各界で活躍する旬の人々が取り上げられ、紹介されています。 今回そのコーナーで取り上げられた人物は、米田一彦(まいた・かずひこ/56歳)さんという方で、現在は「日本ツキノワグマ研究所」の理事長をされているとのことです。 まさに熊に直接関わる仕事をされているわけですが、米田さんは元々は大学で生物学を専攻され、1973年、郷里近くの秋田県庁(「美の国あきたネット」)に入られたそうです。 そこでは、大学時代に学んだことを生かすべく、自然保護課で熊などの生態調査の仕事に従事されたそうですが、多分十分な満足が得られなかったのでしょう、「行政の限界」を感じるようになり、結局、13年間務めたのち、県庁を去られたそうです。 退職後の米田さんの人生を決めたのは、県庁に勤め出した頃に経験したある出来事でした。 有害鳥獣として頭を撃たれたツキノワグマを目撃したのがソレで、その瞬間、米田さんは「魂が揺さぶられた。殺さずに、何とかクマと共存の道を探したい」を痛感するところとなります。 その、米田さんの原点とも思える出来事が、現在も理事長を務められている「日本ツキノワグマ研究所」を開かせることへとつながります。 現在、この研究所では、「国や各県から委託された熊の生息状況調査をしながら、保護活動を実践」されているそうです。 そんな米田さんに、昨今の熊の出没の感想を尋ねると、次のような答えが返ってきたようです。 「クマたちは人を襲おうとして人里に下りたのではない。何度もの台風で、エサがなくなり、仕方なく山を下り、そこで人と遭遇してパニックになった」 つまりは、パニックになっている熊を殺したり、生け捕りにしたりするのは人間の身勝手というもので、熊も生き物の仲間として、一緒に仲良く暮らしたらいいではないか、といういい分になるのでしょう。 確かにこのいい分にも理があり、納得できないではありません。が、あまりにも綺麗過ぎる話は疑ってかかることも必要です。 仮の話、熊本人(?)はパニックに陥っているのかどうかわかりませんが、人里に下りてきてしまった一頭の熊が、今まさに、すやすやと眠っている可愛い赤ちゃんに襲い掛かろうとしているのを見つけた場合、その人はどういう行動を採るべきでしょうか。 その熊に向かって、「熊ちゃん、一緒に仲良く暮らそうよ」とでもいわなければならないのでしょうか。あるいはもっと残酷なたとえをすれば、赤ちゃんをエサにして、ムシャムシャとかぶりついている場面を目撃した場合はどうでしょう。それでも、熊との共生を考えるべきなのでしょうか。 いや、話を今社会を賑わす熊の出没だけに限る必要はありません。 あらゆる生き物との共生を訴えることは時に必要で、美しい話ですが、それでは、私たちが日夜食卓に載せている牛や豚、鶏などの肉についてはどう説明がつきますか。 共生とは共に生きると書くわけで、殺してはいけないことになります。なのに、一方では、人間の“エサ”にするためだけに、毎日どれほどの牛や豚などが殺されて食肉に加工されているのでしょう。そうしたことを考えると、安易に生き物との共生は主張できないように私は思ってしまうのです。 さらにいえば、この食肉問題を語ろうとした時には、日本における別の“暗部”も意識に上ってきます。 ここでそれを具体的に書くことは控えますが、漏れ聞くところでは、食肉業界はその裏で被差別部落(ひさべつぶらく:身分的・社会的に強い差別待遇を受けてきた人々が集団的に住む地域。江戸時代に形成され、その住民は1871年〔明治4年〕法制上は身分を解放されたが、社会的差別は現在なお完全には根絶されていない。未解放部落=広辞苑)(「部落解放同盟中央本部」)問題(「ウィキペディア>部落問題」)(→ 本サイト内関連ページ)とリンクしてくるのだそうで、問題が厄介なだけに、政治家も行政もマスメディアもそれに意識して近づかないといいます。 逆にいえば、“逆特権意識”が彼らの中に形成される結果となり、時にそれを悪用して好き放題しているケースもあると聞きます。つまりは、人々のタブー意識を逆手に取っているわけです。 私が被差別部落の問題を意識させられたのは、阪神・淡路大震災の時であったように思います。 あの大震災の被災地の一つであった神戸市 しかし、私がそのように現実とは違うイメージを抱くに至った“責任”の一端はマスメディアにも多分にあるといえます。なぜなら、そうした現実はマスメディアからは伝えられることが決してなかったからです。 ただ、私が神戸の現実を知ったからといって嫌いになったということは全くありません。むしろ、街の成り立ちを知り、いい意味で“奥深さ”を感じるようになりました。今でも好きな街です。 そんなこんなで、いってみれば、タブーをタブーのままで放置しておく限りは、タブーの本質的な解消にはつながらないと思います。聞くところでは、日本の芸能界で活躍している芸能人にも、そうした被差別部落の出身者や在日韓国人・朝鮮人が少なくないといわれています(※NHKの「紅白歌合戦」などは、そうした人を抜きにしては成り立たないそうですし)。個々の名前をここで挙げることは控えますが、有名なところでは、あの力道山は朝鮮半島から日本にやって来て、“日本人”としてヒーローになりました(「無限回廊>力道山刺殺事件」)。 と、話が脱線してしまっていますが、被差別部落問題へもつながる食肉業界の話を抜きにして、「生き物との共生」を訴えられても、気持ちよく納得できないことも事実であるということです。 そんなことをいい出したら、全ての肉は食べられなくなり、しまいには、「植物にも命がある」などといい出す人も出てこないとはいえず、人間は何も食べられず、生まれたあとは餓死するしかなくなります。 話が極端すぎましたかね(^_^; 熊騒動を巡って、やたらに理想論を述べたがる人(※いわゆる“識者”といわれている人に多い)が急増しているように感じ、それにちょっとばかり異議を唱えたかった私σ(^_^) なのでありました。 【本日の豆オマケ】:いくら仕事とはいえ、生きている牛を殺せといわれても、私にはできそうもないです、、、。
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