| ■ 2004/01/23 世界に一つだけの自分の楽しみを |
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昨日の朝日新聞・文化欄に、男性である私にとっても気になるコラムが載っています。 「ゼロヨン時評」というコーナーで、作家の 書き出しは、昨今の音楽CD市場についてで、昨年ミリオンセラーを記録したシングルCDは、SMAPと宇多田ヒカルさんのCD2枚だけだったそうです。私自身は、いわゆる音楽のヒットチャートというものには昔も今も全く関心がないわけで、実際、現在どんな曲がヒットしているのかも全く知りません。 SMAPのヒット曲というのは、昨年暮れの「紅白歌合戦」で大トリを飾った『世界に一つだけの花』のことなんでしょうか。私はこの歌は毎度書いているNHK−FMのリクエスト番組「サンセット・パーク」でおそらく聴いているはずですが、どんな曲だったか正確に思い出すことができませんf(^_^;) それはそうと、SMAPに代表されるようなジャニーズ事務所所属の男性タレント・グループの歌というのは、どうしてああも芸がないんでしょうか。4人なり5人なりの男性が、同じパートを同じように歌っても仕方がないように思うのです。 彼らの大先輩格に当たるフォーリブス(※北公二・おりも政夫・青山孝・江木俊夫などで構成されたジャニーズ事務所所属のグループ。1970年代にデビュー)というグループなどは、もっとオーソドックスな歌唱力を持っていたように思うのですが。 そういえばこれを書きながら、朝日新聞の早野透さんが、朝日新聞のコラムでこの『世界に一つだけの花』について書いていたのを思い出しました。 そのコラムについては、いつか機会を見つけて書こうと思い、スクラップしてありました。1月6日付けの「ポリティカにっぽん」という彼のコーナーで書いていたもので、見出しはそのままズバリ「みんな『世界に一つだけの花』」です。 その冒頭には次のように書かれています。
早野さんのコラムはこのあと、元旦の出来事に移り、「まずまずのお天気だ」といい気分でいたところテレビにテロップが流れ、不意打ち(?)のように小泉首相の靖国神社参拝(→ 本サイト内関連ページ)を知り、途端に正月気分も吹っ飛んだというようなことが書かれています。 それにしても、その後に書かれている特攻(=特攻隊:特別攻撃隊の略称。特に、太平洋戦争中、体当たりの攻撃を行った日本陸海軍の部隊=広辞苑)で「心ならずも命を落とした」日本の若き青年たちも、日本軍と戦って命を落とした相手側の戦死者も、同じように「かけがえのないオンリー1」という書き方は、ちょっと美化しすぎているような気がしないでもありません。 さらには、元日の午後、東京渋谷の街頭で、「自衛隊のイラク派遣反対! 戦争NO!」というシールを貼った餅を配る晴れ着姿で反戦を訴える若い女性も、特攻によって命を落とした若き日本兵と同列の「世界に一つの花」であると書いているのが気になります。確かに、それぞれにかけがえのない存在には違いありませんが、何ていうんでしょう、両者の間には「覚悟」というものが決定的に違うように思います。 結局は、早野氏が書かれていることは、あまりにも綺麗事のように私には感じられてしまいます。 この論でいけば、アメリカのブッシュ大統領もテロリストのビン・ラディンも同等の「世界に一つだけの花」ということになり、両者の論理で「心ならずも命を落とした」罪なき市民も「世界に一つだけの花」になります。 「世界に一つだけの花」のある勢力が、敵対する「世界に一つだけの花」の人々を殺しているのが、現在置かれた世界の現実、といえそうです。 「花」というものはどれもが綺麗で、いい香りを放つだけではなく、中には虫を捕まえてそれを自らの栄養に換える食虫植物もあれば、猛毒を持った花(具体的には知りませんが(^_^;)もあるでしょう。 そんなことを考えるに、世界にたった一つの花だからといって、それが存在するだけで素晴らしい、とはなかなかいい切れない「花」もある、というのが現実なのではないでしょうか。実際問題、日本の隣り、北朝鮮の 早野さんがSMAPの歌を褒め称えるのであれば、そこまで踏み込んで書いてほしかったと思います。 いつもの私のことで、今日書こうと思っていたことからは大きく脱線してしまっています。話を“本線”に戻しましょう。 作家の石田衣良さんが指摘しているのは、CDの売り上げがここ数年毎年のようにダウンしているということで、そうした中で、大人の男性が同年代の女性に比べて極端に文化的なものから遠ざかってしまっているのではないか、ということです。 石田さんの指摘は確かにその通りと思わせられるもので、3、40代の女性はそれなりにそうした文化的なものに関心をまだ持っていますが、同年代の男性となると、非常に心 主たる原因は、仕事が忙し過ぎるということがいえるのかもしれません。ただ、世界を見渡してみれば、どこの国の男性も同じように家族を養うために必死になって働いているはずです。であるのに、ことのほか、日本の男性ばかりが余暇の時間を持てずにいるわけではないと思うのです。 一つには、日本の男性というのは生真面目すぎるということがいえそうです。 以前聞きかじったところでは、あれはどこの国の話でしたか、ヨーロッパでは、バカンスのシーズンになると、自分の仕事が途中であっても何の遠慮もなく放り出して、家族とバカンスへ出かけてしまうそうです。 彼らにとって人生とは楽しむためのもので、仕事はそのための手段という考え方なのでしょう。つまりは、楽しみのために、仕事に犠牲になる必要などない、という理屈です。 その理屈をすぐさま日本に当てはめることは難しいでしょうが、もう少し、ラテン系とでもいいますか、いい意味でのいい加減さが必要なことも確かです。 これも10年以上前の話ですので現在はどうかわかりませんが、元祖“ヘタウマ”(=一見下手なように見えて、実は上手いの意味。これから派生した「ウマヘタ」「ヘタヘタ」「ウマウマ」もあり?)といわれたイラストレーターの湯村輝彦さんは、早起きしてまずはアトリエの整理整頓をして仕事に取り掛かり、お昼頃までにはそれを仕上げてしまう日常を送っている、とのことでした。 でもって、そのあとはどうやって過ごすのかといえば、自宅のテラスで奥様であるタラさんとビールなどを飲んでゆったりと過ごす、とのことでした。これなども、ラテン的な日常といえなくはないでしょうか? それに比べて日本的な“美学”というものは、「男たるもの汗水たらして働くことが美しい」(タランティーノ監督の『キル・ビル』〔→ 本サイト内関連ページ〕の影響か、千葉真一さんのナレーションが聞こえてきてしまいました、、、(^_^;)というようないわれ方を往々にしてされます。 昆虫のカマキリのオスは、メスと交尾して子孫のタネをメスの胎内に宿したあと、自分の頭をメスにガリガリと食われて一生を終えるそうです。することだけしたら、あとは子孫の繁栄を願って喜んでメスの栄養源になる、というまことに潔い一生(?)なわけですね。 同じようなことを日本の男性にも強いているような気がしないでもありません。 ですので、この辺で日本の男性も自分がカマキリのオスのような存在であることに気付くべきです。楽しみを人間のメス、いや、女性陣にばかり取られていることもないでしょう。もっとも、カマキリのメスの場合、そのあとに産卵という大仕事が待っており、それが済むと同じように死んでいくわけですが。 石田さんが実際にお書きになっていることは、日本の男性の不甲斐なさで、「本どころか雑誌も読まない、映画も観ない、テレビも見ない、劇場にもいかない。そうやって何年もすごしたら、誰だって仕事しか残らない会社人間になる」と指摘しています。 こうした指摘は何も今に始まったことではなく、とうの昔から散々いわれていますが、一向に改善される気配がありません。どうしてなんでしょう? 石田さんも書いています。 ご同輩のみなさん、新年をまず1枚のCDやチケットから始めてみませんか。子どもだましばかりと文句をいっても、なにも変わらない。自分がいいと思うものに、しっかりと金をつかう。そこからしか、大人の文化は育たないのです。 石田さんの“提案”の中にヒントを見つけました。そうです。「自分がいいと思うもの」を仕事以外に見つける努力をすることです。それは仕事を離れた価値観を持つということで、それこそが大きくいえば文化というものにつながるのだと思いますが、いかがでしょうか? とりあえず、私は今年もせいぜい、いい映画を洋画・邦画問わずできるだけたくさん観たいと思ったところです。それも、ビデオやDVDでではなく、劇場の大きなスクリーンで。 「世界に一つだけの自分の楽しみ」をそれぞれが見つけたら、少しは世界の文化も少しは豊かになるような、そんな淡い夢を今見ました。 |