| ■ 2003/07/28 ダメ男の魅力 |
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今日は、ストックしてあった新聞の切り抜きから三つの記事を取り上げ、それを一つにまとめてみようと思います。上手くいくかどうか自分でもわかりませんが、ま、やってみます。 で、冒頭は何でいくか考えましたが、6月8日付けの朝日新聞の記事から行ってみましょう。これはブックレビューの切り抜きで、そこにはガブリエル・コーエン(Gabriel Cohen:米国の作家。記者などを経て2001年に本書でデビュー)著の『贖(あがな)いの地』(北澤和彦訳/新潮文庫/705円)が紹介されており、その書評を文芸評論家の北上次郎さんが書いています。 私はその小説を読んでいないので内容はわかりませんが、主人公は50歳過ぎの男で、彼の仕事は刑事です。だからといって警察小説ではないらしく、北上さん曰く「正統的なダメ男小説といっていい」内容だそうです。 書評の出だしでは次のように北上さんは書いています。 「ダメ男小説である。たとえば、息子が暮らしているアパートの下に車を止めるシーンがある。息子が6歳のとき、一緒にプールで遊んだことを彼は思い出している。その息子も今はめったに電話すらかけてこない。だから、三階の明かりをじっと見上げている」 主人公のジャック・ワイトナーは、「自分のやるべきことが、ほかのなによりもはるかに重要なんだ」「父親でいることよりも重要なんだ。あるいは、夫でいるよりも」の考えを持つ男のようで、だからといって彼が典型的なワーカホリック(workaholic:〔work=仕事とalcohlic=アルコール中毒者とからの造語〕いつも働いていないと落ち着かず、仕事以外のことのできない人。仕事中毒=広辞苑)かといえば、そうではない、と北上さんは見ています。 根はもっと深いところにあるようで、それは主人公の少年時代の記憶へとつながります。彼は暴君的な父親の下、不幸な少年時代を過ごしたようで、それが元で他人との接触を必要以上に避けるようになり、それが家庭人としてもあらゆる場面でマイナスに働いてしまっているようです。 結局は、妻子とは別れ、一人で暮らし、どうしようもない欠落感の中で日々を過ごすことになります。 そんな主人公に評者の北上さんは親近感を覚え、「魅力的な女性と知り合うくだりでは、もっとまめに電話をしろよ、と応援していたりする」ほどだったようです。ダメ男だけに、同性でありながらも放っておけないといったところでしょうか。 私がこの記事をスクラップにまでしておいたのも、北上さん同様、主人公のダメ男にある種の共感を覚えたせいかもしれません。 私自身彼に多分に重なるダメ男ぶりです。ですので、同類の人間にはシンパシー(sympathy:同情。共感。共鳴=広辞苑)を覚える分、何事も器用にこなせる人間に対しては、妙な距離感を感じてしまいます。それは現世的な成功を収めた人、と言い換えてもいいかもしれません。この場合の成功というのは大成功だけを意味しているのではなく、世間一般のレールにちゃんと乗っかって、彼らのいう“常識”の範囲内で行動できる人間です。 そんな器用な人の反対は、生き方が不器用な人です。次の新聞の切り抜きの記事は、5月25日付け日経新聞の書評欄からです。 そこでは、ドイツ文学者の池内紀(いけうち・おさむ:1940年兵庫県生まれ。著書に『ウィーンの世紀末』、訳書に『カフカ小説全集』など)の近著『二列目の人生 隠れた異才たち』(晶文社/2200円)が紹介されています。 池内さんがこのエッセイで伝えたかったことは「身近な所にすごい人が隠れているかもしれない。そんな面白さ」であるようです。 本のタイトルは、学校時代の集合写真に由来しているそうです。今現在はどうかわかりませんが、池内さんの時代の集合写真といえば、最前列に学級委員や成績優秀な児童が並ぶのが常だったようです。で、二列目には最前列に劣る分、より個性を持った児童が並ぶことになります。 池内さん自身、短距離や野球に明け暮れるスポーツ少年として育ち、「そこそこは行くけれど決して一番にはなれない」もどかしさの中で少年時代を過ごしたそうです。つまりは、池内さん自身が“二列目”であることを自覚し、それへの愛着が後世の本著のタイトルにつながっていることになりそうです。 エッセイでは何人かの“隠れた異才”が紹介されているようですが、その内の一人に在野(ざいや:田野の間にいるの意で、官職に就かないで民間にいること=広辞苑)の植物学者・大上宇市(おおうえ・ういち)という人物についての記述も載っているようです。 彼は池内さんが生まれ育った兵庫県姫路市の隣町・ 大上は家庭が貧しかったせいもあったのか、小学校を中退すると、以後は全くの独学で好きな植物や菌類の研究に没頭したそうです。 そんな大上でしたので、終生学会で認められることはなかったようですが、池内さんはそんな大上の生き方に憧れの眼差しを注いでいます。 「戦争一色に染まる時代に背を向け、好きな研究にのめり込んだ自由な生き方にひかれた」 在野の植物学者で思い出しましたが、昨年、田中耕一さんが見事にノーベル賞を受賞して日本国中から喝采を浴びましたが(→ 本サイト内関連ページ)、あれなども田中さんがいわば在野の研究者であったことがその反応の一因になっていると思います。 庶民はとかく権威やお上は嫌いなもので、私も大嫌いです。ですから東大の名誉教授がノーベル賞を受賞したと聞かされても「フ〜ン、そうなんだ。ノーベル賞にも年功序列があるの?」程度の感想しか抱きませんが、地方都市の民間会社(島津製作所)の一研究員が受賞したと聞き、わがことのように嬉しく感じたのを憶えています。 もしかしたら、田中さん自身、研究者としては“二列目”に自分が位置していることを感じていたかもしれません。 三つ目の記事は、7月25日付けの朝日新聞「ひと」欄からです。もうこの欄については、何度か書いていますね。で、その日に取り上げられていたのは、映画監督の千野皓司(ちの・こうじ)さん(72歳)です。千野さんもいってみれば映画監督としては“二列目”の人生を歩んでこられたといえないこともないように思います。 監督としては、石原裕次郎の主演作『ある兵士の賭け』の監督に一旦は起用されながら、どんな理由からか製作の途中で解任された経験を持つそうです。 そんな千野さんの監督デビュー作品は東京ぼん太主演の『東京の田舎っぺ』(1967年)。東京オリンピックが開催された3年後のことで、日本が高度経済成長を続けていた時代のことです。 その後、テレビの普及によって映画人口が減り、会社が傾いた日活から「ポルノ映画を撮るか、テレビ映画を撮るか」と迫られ、結局千野さんはテレビを選び、以後、『密約−外務省機密 その千野さんが34年ぶりに監督した劇場映画『血の絆』がこのほど全撮影を終了したようです。総制作費は3億5千万円で、日本とミャンマーとの合作映画だそうです。 原作はミャンマーの作家ジャーネージョー・ママレーの同名小説だそうで、「太平洋戦争に従軍した日本兵が現地の女性との間にもうけた異母兄弟と、彼を捜し訪ねた日本人の姉との葛藤や心のつながりを描く」内容だそうです。 私はその作品の内容もさることながら、どうしても千野さんの生き様そのものに関心が向いてしまいます。当欄には次のような一文が添えられています。 13年間ほぼ無収入。「バレエ教室を主宰する家内に支えられました」 世間一般のサラリーマンは、決まって支給されるボーナスの額にさえ一喜一憂しています。それに対し、13年間無収入で生きる男は“ダメ男”にしか映らないかもしれません。しかし、何かを創造する信念の強弱で比較したら、世のサラリーマンは千野さんの足下にも及ばないでしょう。同じ空気を吸いながら、全く異なる次元で生きているといってもいいかもしれません。 以上、今日ご紹介した3人は、世間一般の常識からいったら落ちこぼれで、二列目に位置し、ダメ男の典型かもしれません。しかし、であるが故の魅力には計り知れないものが感じられます。 決められたレールの上を忠実に走り続けることを良しとする教育が行き渡り、それをちょっとでも外れることは即落伍者と見なされる現代の“常識”は、この辺で見直される必要がありそうです。 それにしても、世の中が不況になると公務員の人気が高まるそうです。でも、食いっぱぐれがないということだけで公務員を目指すなんて少し情けなさ過ぎではありませんか? 以前目にした調査でも、「親が自分の子供に就かせたい職業」の質問項目では公務員がトップでした。全てが安定志向。人はパンにのみ生きているわけではないハズなんですけれどね、、、(-_-;)ふぅ〜 |