| ■ 2003/05/12 青木繁展 |
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昨日の「母の日」は、とある展覧会へ出かけてきました。東京の北の丸公園にあります東京国立近代美術館で開催されていた「青木繁と近代日本のロマンティシズム」という展覧会です。実は昨日が会期最終日(2003年3月25日〜5月11日)で、「見のがしてはならじ」と出かけてきたわけです。 ちなみに同展が開催されていた美術館は、営団地下鉄東西線の竹橋駅で下車し徒歩で数分のところにありますが、出口を出たすぐのところには現在何かと関心の的になっている毎日新聞本社ビルがそびえています。 新聞社には日曜も祝日もないとは思いますが、昨日の日曜日は妙にひっそりとしているように見えました。毎日新聞社の記者がイラク戦争の報道から日本へ帰国する際、記者が戦場で拾ったクラスター爆弾が手荷物検査の最中に爆発し、ヨルダン・アンマンの国際空港で警備担当者が一名亡くなる(他に重態など負傷者が数名)事故(事件?)を起こしています。それにしても、ゴミならぬ爆弾を拾った記者の名前が「五味」とは笑えないブラック・ジョークのようではあります。 話を昨日観た展覧会の話に戻しましょう。今さっきも書きましたが、同展は昨日が最終日でしかも日曜日に当ったこともあり、駅から同美術館を目指す人が多く見受けられました。私もその人波に混じって美術館を目指したわけですが、到着した私を思わぬ幸運が待ち受けていました。 私は入り口でチケットを買おうと財布を取り出すと、一人の年配の男性が近寄ってきました。何だろうと思っていると、「これを使ってもらえませんか」と同展の入場券を差し出されました。普通に購入したら1200円する券です。 聞くところによりますと、その男性は今回の展覧会を主催する日経新聞から招待券2枚を入手されたのだそうで、その1枚があまったので譲ってくれるというのです。あとでその半券の裏面を見ると、確かに「招待券(非売品)」と印刷されていました。 私は何度も美術展には出かけてきましたが、こんな幸運に遭遇したのは今回が初めてです。私はお礼をいって喜んで招待券を受け取りました。ということで、無料で同展と常設展示の鑑賞をすることができました。「残り物には福あり(人が先に取って残っている物に思わぬ利得がある(=広辞苑))」とはよくいわれることですが、それでいけば、今回の場合は「残り日(展覧会最終日)に福あり」といったところかもしれません。やったね(^-^)v おじさん、ありがとう。 貴重な作品がタダで観られるのかと思うと、足取りも軽くなります(←現金なヤツ)。 会場に一歩足を踏み入れると、そこはちょうど百年前の世界のようで、1900年代の初頭に描かれた作品が会場の壁面を埋めています。展覧会の主役はいうまでもなく、名前も作品もよく知られた「明治浪漫主義の旗手」の画家・青木繁(1882〜1911年。洋画家。福岡県久留米生れ。東京美術学校卒。窮乏と肺患に苦しみながら明治ロマン主義を最もよく代表する作品を遺した。作「海の幸」「わだつみいろこの宮」など(=広辞苑))です。 実をいって彼の作品を実際に観るのは今回が初めてでしたが、テレビの美術番組や印刷媒体を通してよく知っていた作品ばかりが展示されていました。中でも圧巻だったのが彼の代表作「海の幸」(1904年・明治37年)です。 これは彼が東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業した年に制作されたもので、友人の坂本繁二郎や森田恒友、そして恋人の福田たねとで訪ねた千葉県 その作品を実際に観ると、私が事前に予想していたよりも小ぶりであることにまず驚きました。作品を紹介する画集などでサイズは確認できたはずですが、私の中のイメージとしてはもっと大作で、そこに描かれた裸の猟師たちは等身大で描かれたように思っていました。 画面は極端な横長で、現在の映画のシネラマ・サイズのようです。その横に長い画面の中に赤銅色(しゃくどういろ:赤銅のようなつやのある黒味を帯びた紫色(=広辞苑))の肌をした素っ裸の猟師10人が、捕獲した大きな魚を担いで運んでいます。 絵柄的にはそれまでに様々な媒体によって観て知っていましたが、実物を間近で観ると、その独特ともいえる油絵具の扱いが手に取るようにわかります。ひとことでいえば極端な薄塗りで、まるで水彩絵具で描かれているかのようです。 作品の下地に描かれたのであろう構図を決める木炭による格子状の直線や人物の輪郭線もはっきりと見て取れ、そうしたこともあって「未完成作品」の印象さえ与えます。 またこれはよく知られたことですが、10人の男たちの中でたった一人だけこちら、つまりそれを観る鑑賞者の方を向いている人物がいます。それは青木があとから描き直したいわれていますが、そのひときわ白い顔を持つ人物こそが青木の恋人であった福田たねの似姿であるといわれています。 彼にとって恋人・福田たねは、創造の泉であったことも含めて、運命の女でもありました。「海の幸」によって一躍画壇の寵児(ちょうじ:時流に乗ってもてはやされる人(=広辞苑))へと上り詰めた青木でしたが、彼にとってはその時が人生の絶頂期で、その後彼の人生は一気に終幕へと向かっていってしまいます。 本展でも展示されている「わだつみいろこの宮」(1907年・明治40年)で再起を図った青木でしたが評判は芳しいものではありませんでした。さらに父親の死によって郷里である久留米に呼び戻され、その後、恋人の福田たねとも両親とも縁を絶った彼は、放浪ののちに28歳の若さでこの世を去りました。 会場には青木から福田たねに送った巻物のような手紙も展示されており、およそ百年前に生きた人間であるにも拘わらず身近に感じられるという不思議な感覚に襲われました。 また、同展では同時代の他の画家の作品も多数紹介されています。中でも関根正二の作品は特別の思いを持って眺めることになりました。というのも同展を訪れる前夜、いつも観ている美術番組「美の巨人たち」(テレビ東京/土曜22:00〜22:30)で彼の作品と人となりを観たばかりだったからです。 彼は9歳の時に福島から東京の住吉というところに越してきました。それは深川の東に位置する街で、現在では地下鉄の都営新宿線と営団半蔵門線とが交差する住吉という駅があります。 彼は絵画の専門教育を受けたことはありませんでしたが、画家になりたい野望だけは強く抱き続けていました。しかし、画材を買うお金にさえ不自由する生活をしていました。そんな彼の一番のお気に入りの絵具がヴァーミリオン(vermilion:硫化水銀を主成分とする朱色の顔料。また、その色=広辞苑)というオレンジ色に寄った赤色の絵具です。 この絵具はアンバーやオーカーといった土を原料とする絵具類に比べて格段に値段が張ります。今回の展覧会でも展示されていた「 そして亡くなる年に描かれた「子供」という作品では、子供が身に着けた衣服にヴァーミリオンがふんだんに使われており、いやが上にも強く印象に残ります。関根にとっての「哀しみの赤」とでもいったらいいでしょうか。 関根正二はその作品を描いた年、ヨーロッパで猛威を振るったスペイン風邪を患い、わずか20歳でこの世を去りました。ちなみにこのスペイン風邪は全世界で3000万人もの犠牲者を出し、同時代の画家で将来を期待されていた さらに本展では、同じく短命に終わった画家・中村彝(なかむら・つね:1887〜1924年。洋画家。水戸の人。中村不折・満谷国四郎に学ぶ。肺を病んで短命に終わった。作「エロシェンコ像」「老母像」など=広辞苑)の作品も展示されています。 彼の作品は、同時代の画家の中では技術的には最高のレベルにある、と私は観ていて感じました。中でも自分自身を描いた「自画像」などはまるで私個人にとっての唯一最高の画家・レンブラントの作品を思わせるほどの出来栄えで、西洋から入ってくる情報が現在に比べて極端に少なかったにも拘わらず、その域にまで理解が及んでいることに驚かされます。 ともあれ、展覧会の最終日になって出かけたことは決して無駄ではなく、得るものも少なくありませんでした。しかも、冒頭で書いたように思わぬ幸運によって無料で鑑賞できたのですから、これ以上のことはめったにないでしょう。 昨日は「母の日」でしたので、亡き母が私に恵んでくれた幸運であったのかもしれません。 お母さん、ありがとう。 |