■ 2003/10/23 東電OL殺人事件の判決

本コーナーでも以前に幾度となく書いたある事件の判決が、このほど下りました。その事件とは、当時世間の耳目(じもく:多くの人の注意・注目=広辞苑)を一心に集めた「東電OL殺人事件」です。以下は、それについて書いた本サイト内のページです。

  1. 東電OL殺人事件の背景
  2. 東電OL・泰子
  3. 事件現場を訪ねて
  4. 「東電OL殺人事件」で人権問題を見れば

事件のあらましについては、上に挙げた本サイト内の各ページを読んでいただくことでほぼわかっていただけることと思いますが、事件が起こったのは今から6年半ほど前の1997年3月8日深夜から翌9日未明にかけてです。

私はこの事件について、実は、発生当時はほとんど関心がなく、当時の事実関係は全くといっていいほど記憶にありません。ただ一点、被害者となってしまった渡邉泰子(以下、泰子)さん(殺害当時39歳)が東京電力のキャリア職にありながら、本業とは別に、連日のように売春婦として夜の街で客引きをしていたことが明らかになるや、俄然マスメディアの関心を呼んだことがかすかに記憶として残っています。

そんな私がこの事件について詳しく知ったのは、上の本サイト内関連ページでも書いているように、ノンフィクション作家の佐野眞一氏がお書きになった『東電OL殺人事件』とその続編ともいえる『東電OL症候群(シンドローム)』の2冊を読んでからで、“周回遅れ”状態でようやく関心を持ったといったところです。

事件は捜査が進み、遺体発見からおよそ2カ月後の5月20日にネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ(2003年10月時点で37歳)被告が逮捕されました。

この事件にひときわ関心を寄せたのがノンフィクション・ライターの佐野氏で、取材を重ねて上に挙げた2冊の書籍にまとめられました。

この事件は、「被告と犯行を直接結びつける物証がないうえ自白もない」ことが災いし、一審では一旦「無罪」の判決が下されながら、二審では一転して「有罪」という逆転判決となり、今回の最高裁の判決が注目されていました。

その判決結果を22日付けの新聞各紙が伝えているわけですが、当時あれほど世間の関心を集めた事件の判決にしては扱いが一様に小さいのが気になります。

その理由の一つには、事件発生当時、多くのマスメディアがこぞって被害者である泰子のプライバシーを暴いたことへの行きがかり上、控えめな扱いに徹したともいえます。他方、泰子の勤務先の東京電力はマスメディア各社にとっては大切なスポンサーでもあり、それへの配慮ということも想像にかたくありません。そんなこんなで、マスメディアとしては事件を早く風化させたいのでは、というのはいささか深読みしすぎでしょうか。

それは別にしても、問題の最高裁判決は、「二審の判決を支持する有罪」で、ゴビンダ被告に無期懲役の判決が下されました。

私たち一般的な立場の部外者としては、被告が無罪とも有罪とも判断できる立場になく、最高裁判所が「有罪」と判決を下した以上、「ゴビンダはやはり有罪だったんだな」と思うだけです。そこには別段、何の感想もありません。

しかし、それを伝える各社の記事を読んで実に不思議に感じさせるのがゴビンダ被告の弁護団の話とやらで、各紙にはほぼ同様に次のような談話が掲載されています。

「決定に対しては激しい怒りを覚える。マイナリ(=ゴビンダ被告)さんが無罪であることは証拠上明らかであり、決定は客観的事実を無視した誤判だ。冤罪(えんざい:無実の罪。ぬれぎぬ=広辞苑)を放置することはできず、再審(さいしん:刑事訴訟法上、確定判決に対して主として事実認定の不当を是正するために認められた救済手続き。有罪の言い渡しを受けたものの利益にのみ許される=広辞苑)請求の準備に取りかかるつもりだ」(2003年10月22日付け日経新聞記事より)

う〜ん、弁護側のこの“悪あがき”はどうなんでしょう。

被告が有罪であるか否かを双方の弁論で証明し合うのが裁判という公的な場であるわけで、用意されたその場で、結果的に弁護側が検察側をいい負かせなかったのですから、素直に自分たちの敗北を認めるしかないのではないでしょうか。それなのに、裁判所以外の場所でこうした発言をするのはいかがなものでしょう。自分たちに不利な判決が出るたびにこんなことをいい出していたら、裁判を行う意味が薄れてしまうというものです。

ゴビンダ被告が無罪であることを信じるのは勝手ですが、それがそのまま真実であるかどうかは別の話です。

私がこの事件でほぼ一点に関心が向かうのは、被害者となった泰子という存在のみです。

彼女は、唯一ともいえる尊敬の対象であった父(彼女が慶応大学2年の時に病死)の意思を継ぐ形で東電に就職し、そこで実績を上げることに邁進していきます。しかし、同僚との出世争いに敗れたことが直接の引き金になったのかどうかは別にして、ほぼその時期に相前後して、娼婦として夜の街頭に立つようになりました。

その“娼婦業”にしても、彼女の生来の几帳面さがいかんなく発揮され、自分に重いノルマを課し、自宅に帰るのはいつも終電であったようです。なぜ、彼女はそうまでして自分自身を追いつめたのか。

どうにも気になって「2ちゃんねる掲示板」を当たってみたところ、次のような生っぽい書き込みがありました。

「この人、神泉(しんせん→ 周辺地図)の駅にいつも居た人だよね。ベンチすわって弁当食ってた、キチっぽい人。こんな女買う奴いるんだな」

書かれた内容が真実かどうかはわかりませんが、彼女を間近で見ていた人間が実際にいて、良かれ悪かれ、彼女の存在が彼らの印象に残っていたということにだけにはなりそうです。

彼女は人生最後の日となったその日(1997年3月8日)は土曜日で会社は休みでした。彼女は勤勉なことに、休日のその日の午後も登録してあったSMクラブへ出向き客待ちをしました。しかし、夕方まで待機していても結局客がつかず、夜の渋谷に出て最後の客となった犯人を客に取りました。几帳面な泰子は、“ノルマ”を果たしたら母親と妹の待つ自宅へ帰っていくつもりだったに違いありません。しかし、彼女が生きて自宅へ辿り着くことは叶いませんでした。

それにしても、真犯人がゴビンダ被告で、たった数万円と引き換えに命を奪われたのだとしたら、彼女の人生は一体何だったということになるのでしょう。

おそらく、両親にとっては何の問題もない優等生として有名大学を優秀な成績で卒業し、父の意思を継いで念願の東電へもキャリア組として就職も果たしていたというのにです。

事件当時、彼女には母親と妹がおり、今も書いたように、彼女はどんなに夜が遅くなっても必ず終電で自宅に帰り、外泊はしなかったといいます。遺体発見の連絡を警察から受けた母親と妹はどれほどのショックを受けたでしょうか。

佐野氏の2冊の書籍でも、彼女の家族への取材は実現されていません。私としても一番知りたいのは肉親による彼女の証言で、少しでも生前の彼女の生き様を知りたいと思います。今回の判決を受け、佐野氏が再び取材を再開され(ずっと取材活動は続いているのかもしれませんが)、続編で、肉親の証言が聞けることを期待したいところです。

時は流れ、テレビでは幾度となく、渋谷の街で男たちに声をかけておごってもらいながら時間を過ごす少女たちを取材した番組が放送されています。

その中でインタビューに答える少女たちは、外見上は実にあっけらかんとしたものです。が、その内面は、外見から受ける印象ほど単純ではなさそうです。一人の少女は、両親が離婚をし、家に帰ってもつまらないといい、遊び仲間と夜遅くまで街に居続ける生活を続けているようです。

いつ、事件に巻き込まれても不思議でないような行動です。

だからといって、第三者が少女たちの行動を止めることはできるでしょうか。仮に1度は止めることができたとしても、少女たちの中で処理しきれない「やり切れなさ」まで解消させて上げることは不可能のように思えます。それほどに、内面に抱える問題の根は深く、複雑であるに違いないと考えるからです。

皆が皆とはいえませんが、多かれ少なかれ満たされない心を抱えながら街をさまよっている、と書いたらいささか文学的すぎるでしょうか。

実をいって、私はそんな、さまよう人間が嫌いではありません。何しろ、自分自身がさまよってばかりの人間なのですから、、、(-_-;)