| ■ 2002/07/14 流奈君と韓国問題の共通点 |
|
サッカーのワールドカップ(「2002 FIFAワールドカップ」)が幕を閉じて早くも半月ほどが経ち、その話題はすっかり影が薄れています。しかしここで敢えてその話題を持ち出し、さらには別の気になる話題を絡めて少し書いてみたいと思います。 絡めたい話題というのは、4月28日に「NHKスペシャル」の枠で放送され、その内容を巡って賛否両論意見が寄せられ、依然として関心を呼び続けている「奇跡の詩人」絡みの話題です。 この問題については、本サイトでも放送後に疑問を呈しておきましたが(→ 本サイト内関連ページ)、ここでもう一度おさらいをしておきたいと思います。 この「NHKスペシャル」は、れっきとしたドキュメンタリー番組で、放送するからには真実であることを確認してある、はずです。 そこで描かれていたのは、生まれつき脳に重い障害を持った日木流奈(ひき・るな)君という少年です。 彼は両親、特に母親の献身的な介護・リハビリを受け、非常に重い障害を抱えながら人々に勇気を与えるような詩を発表し、それを読んだ人々に感動を与えている、と番組内では紹介されました。 新聞の番組案内で関心を持った私は当日の放送を視聴しました。が、観始めてそれほどしない内に、疑問が自分の中で大きく膨らんでいきました(「2ちゃんねる>【アヤシイ】日木流奈くん【疑惑】」)。 言葉を発せない流奈君が家族や他人とコミュニケーションする手段は、唯一、文字盤の文字を指し示し、それを母親に読みとってもらうことなのですが、その行為が信じがたいほど謎に満ちていたからです。 これは私の先入観からなのかもしれませんが、普通、同様の障害者の方が他者と意思疎通を図ろうとした場合は、健常者の数十倍もの時間を費やして一文字ずつ指し示すか、あるいは、自身で文字入力するかが一般的のように考えていました。しかし、流奈君の場合は全く異なっていました。 流奈君自身では腕を動かすことが出来ないのだそうで、母親にしっかりと抱えられた流奈君の腕、手、指は、文字盤の上を目にも止まらぬ速さで移動し続けていたのです。それは、のちに疑問を抱いた視聴者に対し、実際に文字を指し示していることを実証するためにNHKの番組担当者が行ったスローモーション再生でやっと確認できるほどの速さです。 そして、そのものすごいスピードで指し示された文字を、母親は、神業ともいえる読解力で、流奈君の意思を言葉に変換していきます。 話はそれで終わらず、そのようにして生み出された詩は大人顔負けの言葉遣い、内容で、小学生の書いた詩とは到底信じられません。そしてその詩は一冊の詩集となって書店の店頭に並び、それを読んだ一般読者は心を癒され、励まされたとして一大ブームを巻き起こしているというのです。 今これを書きながら、放送された番組の断片が思い出されてきました。いくつか気になった点を上げてみたいと思います。 今も書きましたように、流奈君の意思は母親が読みとって言葉に発し、それを傍らの父親がワープロで打ち込むのですが、ある時、一つの言葉を巡って代筆役の父親と、流奈君(=母親)との間で、言い争いが生じました。 ま、言い争いというほどのものではなかったかもしれませんが、一つの単語を漢字で書くかそれともひらがなで書くかでもめ、流奈君は そのシーンを正確に記憶しているわけではありませんが、流奈君自身は全く平静であったと思います。苛ついていたのは流奈君の意思である言葉で、それを伝える母親でした。 「何遍同じことをいわせるんだ。いい加減憶えてくれ」 というような意思表示を示し、それを観ていた私はドキリとしたのを憶えています。 またある時、家族ぐるみで付き合いのある家庭を流奈君一家が訪れたシーンがありました。そこで、流奈君と同い年ぐらいの女の子に流奈君が話しかけるわけですが、母親の口から発せられる言葉は、小学生の男子の言葉というよりも、その年代の子供を持つ母親(=流奈君の母)の言葉そのままで、「流奈君の言葉に流奈君の意思は本当にあるのか?」とそこでも強い違和感を持ったことを思い出しました。 少し振り返るつもりが長々と書いてしまっていますねf(^_^;) 今回私が書きたいことは、流奈君の能力云々ということではなく、その番組をどのように受け取るかという問題です。そしてそれが、今回のワールドカップを巡る問題の受け取り方とも共通点があると思えたのです。 サッカーの話題でいえば、日本との共同開催国であった韓国の試合での審判疑惑問題があり、ネットを中心に大きな関心を集めました。 問題はここからです。 誤審問題も含め、日韓共催の大会をどのように受け止めるかということです。もっといえば、それは大会が開幕する以前の問題にまで遡る必要があります。 そもそもは当初、今大会は日本単独での開催が本決まり直前までいっていたそうです。そこへ突如割り込んできたのが韓国です。その後はFIFA(=国際サッカー連盟)の副会長を務める韓国の組織委員会の某氏の力が裏で働いたのかどうか知りませんが、韓国主導へと大きく変化していきました(※日本側の関係者のだらしなさもその一因であることはいうもでもありませんが)。 気付いてみれば、試合配分は日本と韓国で半々にされたばかりか、開会式はソウル、大会の正式名称も韓国が先に来るという、あからさまな韓国優位な情勢となりました。 さらには、競技場建設のための費用もなぜか日本持ちと実にヘンなことまでが現実のものとなり、一体「何が何だかわからない大会」となりました。 しかし、やれ「アジアで最初の大会だ」「初めての共催による大会だ」と散々持ち上げられ、自らも持ち上げ、大会は無事に開幕しました。 不可思議な意識は、大会期間中にも充分に働きました。日本がベスト8進出がならずに敗退が決まったあとの展開です。「待ってました!」とばかりマスメディアが前にしゃしゃり出て、「共催国の韓国を応援しましょう!」キャンペーンが繰り広げられることになったからです。私が密かに危惧していた展開がまさに現実のものとなりました。 ♪テー・ハン・ミン・グク・・・・・ドドンガドンドン♪(←永遠に続く)
真っ赤に染まった韓国サポーターと一緒になって日本人も応援しろというのです、、、(-_-;) 私はみんなと一緒に云々というのは根っから受け付けない ここでもう一度繰り返しますが、私がいつも聴いていますNHK−FMのリクエスト番組「サンセット・パーク」火曜日のパーソナリティを務めている石井庸子アナ(※この問題以降、石井アナに対する私の評価は低いままです)に至っては、公共の電波、それもスポーツとは全く関係のない音楽番組(←強調)の中で韓国の応援を呼びかけ、私を唖然とさせました(→ 本サイト内関連ページ)。 それにしても、何故にそこまでして韓国の応援に熱を入れるのか、入れたのか、未だに理解できずにいます。 そんなことに思いを巡らしていたときに、ふと自分の頭の中で結びついたのが、以前書いた「奇跡の詩人問題」でした。 韓国の勝利を日本人が我がことのように喜び、流奈君の詩に心底癒されたと感動できた人がいることに改めて驚くと同時に、そのようには到底思えない自分とのギャップに悩んだことも一つあります。 そして世間の風潮としては、韓国の勝利を喜んだり一緒に応援する人が善で、そうしない人は悪。また、流奈君問題でも、疑いの目を持たずに素直に彼の“才能”を認めてやる人が善で、こちらも疑いを持つ人は悪の図式が出来上がりつつあります。 私はそんな風潮に、「ちょっと待ってよ〜」と意義を申し立てたい気分なのです。 二つの問題が似ているといえば、それに対するマスメディアの対応も似通っています。 NHKなど、サッカーの中継をした局は、なぜかその後試合の再放送は一切行っていません。特にNHKの場合、オリンピックのあとなど、これでもかというくらい再放送をしたと思うのですが、不思議なくらい今回のワールドカップに関してはその種の放送がありません。再放送したらまずい理由が何かあるのでしょうか? 流奈君の問題でもそうで、「NHKスペシャル」は深夜放送枠などで再放送するのが通例ですが、この番組に限ってはなぜか 真実をオブラートにくるむようにして直接触れず、温かく見守ることを善だとするのなら、人々は真実から遠ざかることになるばかりではないでしょうか。 韓国問題、障害者問題は共にマスメディアが進んで関わりたくない問題で、それがひいては対応を及び腰にしている面が強くありそうです。しかし、それが美談報道へつながり、真実の いっそのこと、国会議員の疑惑追及の手も緩めて、彼らの良い点を美談仕立てにしてみてはいかがでしょうか? |