| ■ 2002/06/06 裸のマハ |
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昨日、今まで観ようと思いつつ、根っからの重い腰をなかなか挙げることが出来ず、先延ばしにしていた映画をようやく観てきました。 『裸のマハ』という映画(1999年|スペイン・フランス合作|1時間35分)です。 その映画を上映する銀座テアトルシネマでは、毎週水曜日は通常の半額に近い【1000円】で観ることが出来るサービスを設けており、それに合わせて水曜日の昨日、出かけたというわけです。 事前の情報では、水曜日は安く観られることもあってか、土日と同様に、各上映ごとに整理券が配られることもあり、上映の1時間前ぐらいには行った方がいいということでしたのでその時間に合わせて行きましたが、幸いなことに思ったほど込み合ってはいませんでした。お陰で、前から3列目のド真ん中の席で映画を堪能することが出来、作品を独り占めしたような気分を味わいました。 その映画の内容に入る前に、そこまでの途中の電車の中でのちょっとした出来事を書いておきます。 昨日の関東南部は日中の気温がグングン上昇し、東京都心で【30.7℃】と今年初めての真夏日(最高気温が30度以上)を記録しました。そのせいもあってか(?)、私が電車で座っていますと、私の目の前に“ヘソ出しルック”をした若い女性が立ちました。 背がスラリと高い女性で、彼女のおヘソは私の顔の真正面にあります。ヘソは男女に共通する身体の部位で、珍しいものではありませんが、他人のヘソをまじまじと見る機会はありそうで、なかなかあるものではありません。まして、電車の中で間近にヘソと“対面”する幸運(?)に 結局は、それとなく視線を走らせましたが、、、(^_^; それにしても、ああしたファッションをする女性当人は、他人に見せることを前提としているものなのでしょうか。それとも、ただ単に当人がヘソを出すのが好きなだけで、他人に見られるのは不愉快なものなのでしょうか。機会がありましたら、実際にお出しになっている女性に伺ってみることにします(答えはケース・バイ・ケースでしょうけれど)。 話が別の方向にずれてしまいましたが、今回の映画のタイトルは、スペインの代表的な画家・フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya/1746年〜1828年)の有名な作品『裸のマハ』から来ていることは、お気づきの方は既にお気づきのことでしょう。 内容もまさにそうで、それもあって、5月3日に公開が始まってから「観よう、観よう」とは思い続けていた作品なのでした。 映画の舞台は、1802年7月のスペインです。 今まさに、スペイン社交界の華としてその地位に君臨するアルバ公爵夫人(「ウィキペディア>マリア・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド」)を座の中心に置く宴が繰り広げられています。 その座の中には、彼女の愛人であるスペインの時の宰相マヌエル・デ・ゴドイをはじめ、スペイン宮廷の面々が顔を揃えています。そして、その当時宮廷画家として絶大な信頼を勝ち得ていた画家・ゴヤの姿もあります。 話は戻りますが、映画のオープニングでは、タイトルにもなっているゴヤの作品『裸のマハ』が映し出されます。カメラは、モデルである“マハ”の各部位をオーバーラップで映し出します。脚、腰、顔、そして絵画史上初めて描かれた横たわるマハの股間の陰毛。 やがて画面は、陰毛が形作る三角形の2次元の平面から実写へとオーバーラップしていくのですが、カメラをズーム・アウトすると、それは宴の席のテーブルに置かれたグラスの“股”のクローズアップであったことがわかる仕掛けになっています。 映画は、リアルタイムの時間軸をバラバラにして、それらが相前後しながら複雑に絡み合いながら表現されていきます。宴の半ばで、社交界の花形で人々の視線を一点に集めるアルバ公爵夫人が伴奏に合わせて情熱的な踊りを披露するのですが、そこにもう一人、若い女性が踊りに加わります。 ウェーブのかかった長く黒い髪に濃い眉毛。そして、強い光を放つ女性です。見るからに気性が激しそうな、そして情熱的なその女性は、宰相ゴドイが地方へ遠出した際に一目で 彼女は、社交界の華よりもさらに情熱的な踊りを披露し、その後、力を使い切って(?)その場に倒れ込んでしまいます。 宴がお開きになった日の翌朝早く、宮廷内(?)には時ならぬ声が響き渡ります。アルバ公爵夫人の急変を告げ回る声です。知らせを受けて駆けつけたゴヤは、公爵夫人のたっての願いで、ベッドの傍らに一人駆け寄ることを許されます。 あなたの髪を触らせて。こうして髪を撫でるのは何より気持ちがいいの。この幸せな気持ちのまま息を引き取りたい、、、。 などというような台詞が、青息吐息の彼女の口から漏れます。 その後激しく咽せ込み、居たたまれなくなったゴヤはその場をそっと立ち去りますが、それから間もなくして、彼女は息を引き取ります。死の直前まで健康そのものであった彼女の急死は、何物かによる毒殺であったことが判明します。 では一体誰が彼女を殺したのか? しかし、この作品は真犯人捜しへは直接向かいません。それよりも、当時のスペイン宮廷の乱れた実状の方がより強く観るものに迫ってきます。 ありえない話ですが、もしも自分がゴヤの立場だとしたら、とてもではありませんが、1週間とその地位を保つ気にはならなかったことでしょう。それほど、宮廷内を包む空気は淀んで感じられます。 現実問題、ゴヤの実人生でも、彼は宮廷画家という最高の名誉を捨て去り、宮廷を後にしています。 ところで問題のゴヤが描いた『裸のマハ』ですが、ゴヤは裸体はペピータから借り、その身体の上にアルバ公爵夫人の顔を乗せて一つの作品にしました(それが事実かどうかは別にして)。ペピータはその事実を知り、アルバ公爵に、そして宰相ゴドイに嫉妬の炎を燃やしていくのでした_。 ゴヤによって描かれたマハの絵には『着衣のマハ』が同じ構図とポーズによって描かれており、通常は『着衣のマハ』だけが壁に掛けられ、『裸のマハ』は宰相自身だけが観たいときに観られるようにと、その作品の背後に一目から遠ざけるように隠されていました。 ということは、宰相ゴドイは二重の意味で“マハ”として描かれた陰毛を人々の目から隠していたことになりそうです。なぜなら、『裸のマハ』は『着衣のマハ』の背後に物理的に隠されていた上に、その『裸のマハ』自身に描かれた陰毛も、アルバ公爵夫人の顔にカモフラージュした愛人ペピータの陰毛だったのですから。 そのように幾重もの仕掛けで人々の目から隠されていた愛人の裸体画が、現代では世界的な名画となり、プラド美術館を訪れる そしてそれを観る側の人間にとっても、そこに陰毛が描かれていることに特別違和感は覚えません。 本来は見せる意識のなかった部位であるのに、それを目にする側に何の抵抗もないことは、考えてみると不思議な事象であるといえそうです。 もっともこれらは絵画という描かれた世界だからこそ成り立つ話であって、現実世界の中で、たとえば電車に乗っている自分の目の前に突如“ヘア出しルック”の女性が立ったら話は全く別なものになりそう、、、ですが(^_^; 【本日の豆情報】当時のスペイン宮廷では、陰毛を抜くことが流行っていた(?)そうで、映画の中ではアルバ公爵夫人もその流行に倣っていたようです。そしてその行為は“フランス風”といわれていたようです。 |