■ 2002/06/01 政治家占い|ロビンソン・クルーソー

登録をすることによって自分好みのニュースだけをチェックできるサイト「ichimy(イチマイ)」「マイコミジャーナル>産経、欲しいニュースをカスタマイズできるニュースサイト「ichimy」開設」)に含まれるコンテンツ「ザ・政治家占い」というのを暇に任せて(?)やってみました。

これは自分の生年月日を入力するだけで占ってもらえるもので、ま、お遊び半分であることはいうまでもありません。

で、私の占われ(?)結果ですが、私の星は「人間になりたかったチンパンジー」なのだそうで、あろうことか、私と同じタイプの政治家は鈴木宗男議員(2002年6月1日時点)だそうです。そして、私の政治家度は【88%】と弾き出されました。

さらに詳しい“分析”は以下の通りです。

・苦労をものともせず、強い信念と根性で最後までやり通すタイプです。

・力のある人物を見抜く力に長けています。実力者にうまく取り入り、卓越した実行力を示して信用を勝ち取ります。

・先の先まで綿密に計算して行動できるタイプです。単なる慎重派でなく、決断力もかね揃えています。

・苦労人タイプですが、頭の回転が速く、社交的な面もあり、周りを魅了します。本来の慎重さを貫けば成功しますが、自分の能力を過信すると思わぬ落とし穴にはまります。

・非常にタフなタイプです。夜の生活では、果てしないスタミナに相手は辟易してしまうことがある程です。

ま、私に限っていえば、他人のために何かをするというのは性分に合わないので、「本来的には他人のために汗を流す」政治家は向いていないと思います、ね。

いつも自分のことだけで、いっぱいいっぱい、、、(;^_^A

ただ、昨今の日本の政治家を見ていますと、いわゆる「二世議員」が多いのが気になります。断っておきますが、“ニセ”ではなくて二世です。親が政治家で家業を継ぐ感覚で議員になった政治家のことです(「ウィキペディア>世襲政治家一覧」)。

もしかしたら、現役の二世議員の方がこの「ザ・政治家占い」をされたら、案外「政治家には向いていない」という結果が出る方も少なくないかもしれませんよ(?)。

言い換えれば、本人の意思とは関係なしに議員になられた方々です。

その点だけでいえば、鈴木宗男氏は、その目的は何だったのかわかりませんが、強固な意志を持って政治家になられたことだけは疑いないと思います。

私個人の趣味でいえば、事なかれ主義で悪いことはしない代わりにいいことも何もしない二世議員(別に二世議員には限定していませんが、えてして二世議員にありがち?)よりは、たとえば鈴木宗男議員に代表されるような、ダーティーなイメージを持ちつつ一方で強い力を発揮する議員により魅力を感じます。

ちなみに、占い結果によりますと、私と一番違う政治家の代表は辻元清美氏(今現在は政治家を辞職され、一市民に戻られていますが)だそうで、これは妙に説得力があります(^_^;


ちょっと前のコラムになりますが、今手元にその新聞の切り抜きがありますので、それから少し書いてみることにします。

それは5月18日付けの日経新聞土曜版・「NIKKEI プラス1」の中の「女のものさし・男の定規」というコーナーに書かれていたものです。

これは毎週土曜日に連載されているコーナーで、その日の分の見出しには「家事・『孤独』の方が大変」とあります。

そのコラムの執筆者である足立則夫氏(日本経済新聞編集委員)は、18世紀、イギリスの作家・デフォー(Daniel Defoe 1660年頃〜1731年:イギリスの作家・ジャーナリスト。初め、個人新聞「レビュー」を刊行して政治評論家として活躍し、のち、「ロビンソン=クルーソー」など、写実的小説を開拓。イギリス近代小説の先駆者=広辞苑)が書いた小説『ロビンソン=クルーソー』の主人公を引き合いに出して、人間の孤独と自立について書いています。

で、それが小説という作り話ではありますが、主人公がどのように孤独を克服していったが書かれていて、興味を引かれます。

まず主人公のクルーソーですが、彼は貿易商の三男坊として何不自由なく育った、とあります。そしてそんな環境が災いして(?)、自分では何一つ道具を扱えない人間として成長していきます。ただ、それは都市に生活する人間に共通する傾向で、彼だけが特別に珍しかったわけではありません。何しろ、必要な道具はお金が出せさえすれば容易く手に入ったのですからです。

正直にいえば、私は『ロビンソン=クルーソー』という小説は、これまで実際に読んだことがなく、従ってその粗筋あらすじもよく知りません。

ですので、彼がどういういきさつで孤島に漂着する羽目に陥ったのかさえ知らないわけなのですがf(^_^;) 、ともあれ、彼はその島で独り生きていかなければならない事態に直面しました。

彼はその不運を大いに嘆きましたが、かといって誰も彼を助けてくれる人はいません。嘆いて野垂のたれ死ぬか、それが嫌なら何としてでも生き延びるよりほかに選択肢はありません。

彼は「生きたい!」という本能のままに躊躇なく後者を選びます。

時が経ち、環境に順応していった彼は、その勤勉さと努力も手伝って、生きていくのに必要な衣食住を全てたった一人でまかなえるまでに“成長”を遂げました。

小説の中には、次のような彼の台詞があるようです。

欲しいものならなんでも(自分で)作れることを知った。(平井正穂まさお 訳『ロビンソン・クルーソー』岩波文庫)

とここまでは、衣食住という生きていく上での基本的な問題について書いてきましたが、それは小説の中のクルーソーではありませんが、「人は必要に迫られれば何とかなる」と結論づけることができそうです。

そして問題はここから先です。それ以上に厄介な問題があるのですから。

それは、「一人になっても平気という精神的な自立」をいかにして獲得するか、という大難問です。

その点についても、クルーソーは小説の中で次のような台詞を吐いているそうです。

孤独の生涯にあってもなおそれ以上に幸福になれる可能性がある(と自覚するまでに相当な時間を費やした)。

彼にとっては、生きていくすべを身につけること以上に、孤独と付き合う方が大変だったようです。そしてそれは、大げさにいえば、人類共通の“課題”といえるかもしれません。

先日(5月30日)もNHKの『クローズアップ現代』では、30代の独身女性の問題を取り上げていました(「クローズアップ現代 〜結婚したい、でも・・・〜」2002年5月30日放送分)。彼女たちは仕事に生き甲斐を持つ一方、結婚に踏み切る機会を失い(失いかけ?)、三十路みそじを迷いの中で生きています。

ただだからといって、それでは無事に結婚をし、子供を授かった女性はその後の人生に何も心配はないのかといえば、そんなことは全くありません。

条件的に見たら大して変わらない、といえるのではないでしょうか?

むしろ、“孤独”を差し引けば、子供や配偶者、配偶者の親や親戚の将来の心配をしなくてもいい分、気が楽といえなくもありません。「人生、楽であればいいのか?」という問題は別にして。

少なくとも、どちらのケースでも共通していえることは、平均寿命が延びた現代においては、いずれ自分がたった一人で生きていかなければならない境遇になる可能性が非常に高い、ということです。

現代の日本はどこの地域にもコンビニが普及し、住むところさえ確保できれば、衣食住には困らないかもしれません。

そこで頭をもたげてくるのは、クルーソーをも長年苦しめた“孤独”との付き合い方といえるでしょう。

ただ、ここで私の身勝手な印象ですが、人生の半分を過ぎた辺りでもし一人きりになった場合、男性よりも女性の方が、いい意味で、たくましい印象があります。

現に、次のようないい方もありますし。

男鰥おとこやもめに蛆(うじ:ハエ目・ハチ目などの昆虫の幼虫の総称。蛆虫=広辞苑)が湧く。女寡婦おんなやもめに花が咲く。

ちなみに、男鰥は「妻に死別あるいは生き別れして再婚しないでいる男=広辞苑」、女寡婦は「夫をなくして再婚しないでいる女=広辞苑」の意味です。

女性の場合は、「夫に先立たれた女はかえって身ぎれいになり、男にもてはやされる機会も多い=広辞苑」ということで花が咲くのに対し、男性はウジ虫が湧いてしまいかねないということで、その差は歴然としていますね(^_^;

そして、そうした傾向は昔からイギリスにもあり、それが作者デフォーに男性の主人公を選ばせたのかもしれない、などと勝手に想像してしまいました。

女主人公ではすぐに環境に順応してしまい、逆に孤島での生活をエンジョイされてしまっては、人間の孤独を描けやしない。

、、、なんて理由で(^_^;

途中から半分冗談めかして書いてしまいましたが、いずれにしましても、これからの高齢化社会を考えた場合、孤独とどのように向き合って生きていくかという問題は、誰にとっても避けては通れない問題であることだけは確かといえるでしょう。

ついでまでに男性に限って考えると、特に定年制があるサラリーマンである場合、定年後の生き甲斐を現役中に見つけておかないと、定年後に一人きりでなく配偶者との“二人きり”になった場合も、生き甲斐を家の外に持つ配偶者に置いてけぼりを食い、一人きりで味わうよりも深い孤独に直面してしまうケースもなきにしもあらず、といえそうです。