■ 2002/02/17 岡崎宏三カメラマン|世田谷事件被害者のサイト

昨日の産経新聞に、83歳(2002年現在)にして未だ元気にご活躍中の映画カメラマン・岡崎宏三氏(「allcinema ONLINE>岡崎宏三」)についての記事が載っています。

記事には、愛用の、これは撮影の際のアングルを決める時に使用する器具なのでしょうか、広角・標準・望遠それぞれのレンズが並んでついているカメラのようなものを手にし、少年のようなはにかみを覗かせる氏のポートレイトが添えられています。

一般的に、映画を観る際やそれについて語るときには、どうしても役者や監督ばかりが取り上げられることが多く、撮影カメラマンにはなかなかスポット・ライトが当たりません。

今回の記事で紹介されている岡崎氏は、昭和11(1936)年といいますから、戦前ですね、その年に当時の新興キネマという映画会社に撮影技師として入社し、以来60年余の長い期間、撮影現場一筋に生きてこられた方です。

記事には次のような岡崎氏の談話が紹介されています。

単にカメラをのぞいて画調、構図だけを考えればいいというのは過去のこと。ライトの付け方や配置を工夫し、たとえば黒いビロードの上で黒いカラスを、雪の上で白いウサギをきちんと撮れなければだめですね。光を操れなければカメラマンとはいえません。

実をいえば、私は子供の頃から映像には人一倍関心を持っていまして(← 映像フェチ?)、自分でも家庭用ムービーの8ミリ・カメラを回していた時期もあります。今はそれがデジタル・ビデオに移行していますが。

そんなこともあり、以前、ほんの短い期間ではありましたが、テレビ映画の撮影現場で撮影助手の仕事に就いたこともあります。確か撮影所は京王線沿線にありましたね。

結局は自分の肌に合わないことを直感して辞めてしまいましたが、もし続けていたとしても、岡崎氏のような情熱を保ち続けることができたかどうかははなはだ疑問です。

ただ、そのあとも映像に対する興味は薄れることはまるでなく、逆に思いは募るばかりです。いつの日にか、ストーリーを持たない一編の“映像詩”を作ってみたい、というのが夢の一つとしてあります。

私自身のことなどはともかく、岡崎氏は高齢になられた現在も「賞味期限が切れないように」と、映画館はもとより、ファストフード店やコーヒーショップなどへも足繁く通い、現代を生きる人々の感性を吸収し続けることを日課になさっているようです。

そうした積極的な行動が若さを保つ秘訣となっているのでしょう。

そしてまた、そのようにいくつになっても現役で仕事ができることこそが、サラリーマンとは違い、定年がない物作りの現場に働く者にのみ与えられた“特権”といえるものなのかもしれません。

英語は話せません。映画人同士、“あうんの呼吸”ですね。

60有余年、日本映画が一番輝いていた時代にムービー・カメラのファインダーを覗いて過ごすことができた岡崎氏の人生は、映画人としては、幸福そのものといっていいでしょう。


まだ、人々の記憶に新しいところだろうと思いますが、2000年12月30日深夜から31日未明にかけて東京都世田谷区で発生した事件に「世田谷一家惨殺事件」があります。

その事件については、私も本コーナーで、事件発生からちょうど1年目に当たる昨年末に書きました(→ 本サイト内関連ページ)。

その後も事件は解決せず、犯人は未だに捕まっていません(2002年2月17日時点)。

そうした中、被害者のお一人である宮澤泰子さん(当時41歳)の実の姉に当たる方ご本人によるサイトが開設された、との記事が今日の朝日新聞に載っています(※現在のサイト名「『輝いて今…』世田谷事件から3年」)。

■ → 「世田谷事件・・・・一年目を迎えて」

今回の記事によれば、事件後、彼女は事件前まで被害者家族と共に住んでいた世田谷の二世帯住宅を離れ、都内でひっそりと暮らしてきたそうです。

当サイトのトップページには次のような文章が掲載されています。

何か普通でない過去があったからとか、異常者につけこまれる隙があったからだとか、負の側面を見つけて安心したがる安易な姿勢にも憤りを感じました。

負の部分のみをことさら強調する一部マスメディアに対する憤りが感じられる文章です。

また当サイトには、数は少ないながらも、被害者家族の遺品の画像が掲載され、どこにでもいる普通の家族の一面を伝えています。

いずれにしましても、ネットが生まれる以前であれば、このように被害者の関係者自身が世の中に対して声を上げる手だては全くなかったといってもいいでしょう。

その意味では画期的なことですが、それをこうした哀しい事件に対して使わなければならないというのは誠につらいことでしょう。