■ 2002/10/01 泡沫人?秋山祐徳太子

今日の地方紙・ブックレビューのコーナーに、私の関心を引く書評が載っています。

美術家・秋山祐徳太子(あきやま・ゆうとくたいし:1935年東京都生まれ。武蔵野美術学校卒。著書に『通俗的芸術論』など)さんの近著『泡沫傑人列伝(ほうまつけつじんれつでん)知られざる超前衛』二玄社/1500円)の紹介記事です。

まず、著者のお名前からして振るっているでしょ。

私が初めて秋山さんの存在を知ったのは、毎週日曜日に放送されています『新日曜美術館』の前身に当たる、芯のない、、、いや、「新」のない『日曜美術館』にゲストで出演されたのを拝見した時です。

忘れもしません。1989年5月21日の放送で、その日は画家・牧野邦夫(→ 本サイト内関連ページ)を紹介しました。私はそれまで聞いたことのない名前の画家でしたので、午前9時からの放送は寝転がって何の気なしに観始めました。

ところが、そのあまりに衝撃的な内容に驚き、始まって間もなくから正座をせんばかりの勢いで画面に見入ってしまいました。なぜか心臓がドキドキしたのを憶えています。私は慌ててその日の夜8時から再放送された番組をしっかりとビデオ録画し、未だに思い出しては繰り返し観ています(→ 「日曜美術館」録画テープ画像)。

で、その回にゲスト解説者として出演されていたのが秋山さんのわけで、以来、何度となく繰り返し観るビデオの中で秋山さんと“再会”を繰り返し、いつの間にかとても身近な存在として認識するようになっていきました。

秋山さんの話しぶりは、多少誇張された部分も感じないわけではありませんが、妙に聴く人を引きつける魅力に満ちています(→ 同番組冒頭部分の音声ファイル ※聞き手は、当時同番組の司会をされていた加賀美幸子さん ファイルの公開は終わりました)。

その後も、『日曜美術館』及び『新日曜美術館』ではたまにお姿を拝見する機会に恵まれ、そのたびに「変わった人だなぁ。でも、面白い人だ」と感じ続けています。

その見るからに、いい意味で、奇人変人然とした秋山さんですが、ご本人がおっしゃることには「奇人変人なんてごろごろいるんだよ。小泉首相もそうかもしれないけど」ということになるそうです。

では、秋山さんが特に心引かれる人々は「奇人変人」ではなく何というかといえば、当のご本人も含めて「泡沫傑人」がしっくりくるといいます。傑出した泡沫(ほうまつ:あわ。あぶく。うたかた。みなわ。はかない物のたとえ=広辞苑)人というような意味でしょうか。

そういえば、秋山さんご自身、1975年と1979年の東京都知事選挙に立候補した時には「泡沫候補」と呼ばれたそうです(→ 選挙ポスター)。

そういえば、その選挙を振り返って述べた箇所もあります。

「選挙を一種のポップアート化しようというのが僕の戦術で、演歌も歌ったり。あと(東京都知事選挙なのに、気がついたら)演説していた場所が神奈川県だったこともある」

「東京都知事候補が神奈川県下で演説していたらまずいでしょ(^_^;」といった感じですが、選挙のプロにはない泡沫候補(←好意的な意味)ならではといったところかもしれません。

そんなご自身泡沫傑人でもあられる秋山さんが、日本国中から選び抜いた50人の泡沫傑人について書かれたのが本書であるわけです。私はいわゆる変人の類が好きですので、実際に本書を買い求めるかどうかは別にして、大いに興味をそそられます。

でもって、ではそもそも「泡沫」とは何かということになると思いますが、独文学者の種村季弘たねむらすえひろ氏がおっしゃることには「本気で一生を棒に振る人」であるそうで、秋山さんもその説には納得気味のご様子です。

「的を射ていると思いますよ。目標があってそれに向かっているんだけど、どこか人生が減速していっちゃう人。だからどんどんズレていく。その美しさに自分で気がつかない。欲なし、金なし、力なし。それが泡沫の憲法じゃないかな」

その秋山さんはこんな意味深なことをおっしゃってもいるようです。

「今は倫理というものが日常まで入り込んで人間を狭くしていると思うんですよ。小さな権力をいっぱい作って自分たちの身を安全にしている。その中で、悠然と構えているのは泡沫だけ

私はこの秋山さんがおっしゃったことには大いに納得してしまいます。

そうですよねぇ。確かに世の中は常識的に振る舞う人が大半を占め、それらの人を中心に回っていることは疑いようもありません。ただ、あまりに常識的過ぎて、それ以外の非常識を否定してしまうと、世の中窮屈になってしまいます。

そしてまた、ガチガチの常識に縛られた人というのは保身についても手抜かりがなくて、せっせと地固めをしています。いわゆる「石橋を叩いても渡らない」といったところでしょうか。

一方、泡沫人(ほうまつびと)は、そんなことにはとんと無頓着で、ゴーイング・マイ・ウェイとばかりにわが道をまっしぐら、あるいはトボトボと往くのが常です。ハタから見たら、彼らには何の保証もないわけで、その危なっかしい生き方が心配になるかもしれません。しかし、泡沫人にいわせれば、世間の常識にがんじがらめにされた人々の方こそ「味気ない人生を歩んでいる」ように見えて仕方なかったりするものです。

泡沫の定義は「欲なし、金なし、力なし」ですか。他でもない私自身が泡沫人の端くれだと思っていますが、確かに上の三つには縁がないかもしれません。ただ、お金だけは邪魔にならない(?)ので、欲があるかも、、、ですがf(^_^;)

いずれにしても、定められた“レール”を一歩降りることで見えてくる風景があるように思いますが、いかがでしょうか?