■ 2002/01/31 表現の自由と猥褻判断の狭間

昨日の新聞の片隅に、裁判の小さな記事が載っていました。ある写真集の扱いをめぐる裁判の判決を報じる記事です。

問題とされたのは、エイズを発症して若くしてこの世を去ったアメリカの写真家・ロバート・メイプルソープ(→ 本サイト内関連ページ)の写真集です。ご存じの方には今更説明するまでもありませんが、メイプルソープという写真家は、生前ニューヨークで活躍しました。

私の手元にある彼の写真集の解説には、彼について次のように書かれています。

ロバート・メイプルソープは、陽気な微笑をたたえて、甘い琥珀こはく色の目をしたニューヨークのフォトグラファーである。(※当写真集が初版された1984年の)10年ほど前、まるで何かに憑かれたように女性のポートレイトと、ゲイ達の宗教的儀式と思えるポーズや動作をとらえたセックス写真とで、一躍有名になってしまった。悪魔に魅了されたように、闇の世界を独特のエレガンスとメランコリックなダンディズムを通して見る作品作風。ヴィジョンはあくまでも冷たくシャープだ。昼の世界では夢遊病者のような不安定さで歩む足取りも、陽が沈むと再びエネルギーがメイプルソープには充電されるかのようである。写真スタジオの照明器具は、彼の人工の月である。マンハッタンが陽光を浴びてギラつく暑い日には、歩道に這い出して『太陽は大嫌いだぜ』とつぶやく男だ。(ブルース・チャトウィン・著/高野育郎・訳)

今回の裁判の記事に戻れば、そもそもは、1994年、東京都内の会社の社長である浅井隆氏(2002年現在46歳)が日本国内で出版したメイプルソープの写真集(約9百部を販売)をアメリカに持ち出し、1999年、同写真集を海外から持ち帰った際、「猥褻わいせつ物にあたる」として輸入禁止処分を受けたことに対し、国と東京税関成田支署員に処分の取り消しと損害賠償を求めていた裁判です。

1月29日、東京地裁で下った判決によりますと、当写真集への輸入禁止行為は違法だということで、輸入禁止とした処分を取り消し、その上で、浅井氏へ70万円支払うようにを命じた、ということです。

まずは、浅井氏側の主張が認められた、といったところでしょうか。

いずれにしましても、この表現の自由とそれを取り締まる側との軋轢あつれきは何も今に始まった話ではありません。ただ、「表現の自由」というようないい方をしますと、何だかわかったようなわからないような感じになってしまうかもしれません。

要するに、作者の中にある強い表現の欲求の対象が、一般的には猥褻に当たるような場合にはどうしたらいいか、ということです。

話は変わりますが、先日(27日)の「新日曜美術館」(NHK教育/日曜09:00〜10:00 再放送20:00〜21:00)を観ていましたら、オーストリアの画家エゴン・シーレクリムトと共に取り上げられていました(※渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにおいて、2002年1月2日〜2月24まで『ウィーン分離派1898-1918 〜クリムトからシーレまで〜』を開催)。

彼は人間の内面をえぐるような作品を残し、若くしてこの世を去った画家ですが、彼も生前、“猥褻問題”(?)を起こしています。

彼は都市近郊の(?)村に移り住み、そこで少女を自分のアトリエに招いては、時に丸裸にし、無我夢中になって数多くのデッサンを残しました。先日の番組でもその内の何点かが紹介されましたが、少女の性器の割れ目までもがクッキリと描かれていました。

それでは、それらの作品や彼の創作行為を、猥褻作品、猥褻行為と判断するかどうかです。

以前、本か雑誌かで読んだ記憶によりますと、その件でエゴン・シーレは警察の厄介になったかのように憶えているのですが、定かではありません。

いずれにしても、彼は己の欲求に忠実に従って作品を造り上げたわけですが、それを真っ向から否定され、自信を失い、深く傷つく結果となりました。

また、ポーランドにはハンス・ベルメール(1902〜1975年)というアーティストがいます。

彼は、何とも形容しがたい人形を何体も制作しては、それを彼自身が写真に収めています。「形容しがたい」と書いたのは、彼が“産み落とす”人形たちというのがあまりにも艶めかしいからです。

たとえば、胸から上を抜き取られたような少女のトルソー(torso/イタリア語:首および四肢を欠く胴体だけの彫像=広辞苑)の股間にはどれも、深いクレバスが刻まれています。

メイプルソープにしろ、エゴン・シーレやハンス・ベルメールにしろ、彼らはみな自身の内面から強烈に沸き上がる表現欲求に忠実に従って作品を生みだしていったことだけは確かである、といっても間違いではないでしょう。

あとは、それらの作品を受け取る側の問題です。

私個人としては、美しいと思うばかりです。