■ 2002/01/06 ガラクタ経済

昨日の朝日新聞「私の視点・ウィークエンド」には「変われるか日本人」というテーマで、数人の知識人の意見が載っています。その内、「ガラクタ経済から脱却を」と見出しがつけられた意見に私の関心は向きました。経済学者・ダグラス・ラミス氏が寄せた意見です。

連日、テレビや新聞のマスメディアでは、日本国内の不況ぶりを伝えるニュースが流れています。ならば、好景気にするにはどうしたらいいか? 答えはある意味簡単です。メーカーの商品を消費者がドンドン購入すればいいだけの話です。

しかし、とダグラス氏は疑問を呈します。

「ほとんどの日本人は、本当の意味での必要品は手に入れている。経済制度を救うために、必要でないもの、つまりガラクタ、を買わなければならない」のか? と。

さらには、ガラクタを買うお金を稼ぐために残業し、他方、ガラクタを生産するためにも残業をする。ガラクタを生産するために資源を浪費し、ガラクタが文字通りガラクタになったなら廃棄され、環境を破壊する。

いいことは何もないじゃないか、と。

話は変わりますが、今日の地方紙に鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ:1922年東京生まれ。米ハーバード大卒。著書に『期待と回想』『鶴見俊輔集』『鶴見俊輔講座』など)氏と鷲田清一(わしだ・きよかず:大阪大大学院教授。1949年京都市生まれ。京大卒。著書に『モードの迷宮』『聴くことの力』など)氏の対談が載っているのですが、その中に、印象的なくだりがありますので以下に抜粋してみようと思います。

鷲田「1970年代に米国留学した友人が、初めてスーパーマーケットに行って卒倒するくらい驚いたっていうんです。アメリカ人の客のかごに、本と食料品と女性用の生理用品が一緒に入っていた。『まるでシュールレアリスム(surrealisme:1920年代、ダダイスムにつづいてフランスに興った芸術運動。〔中略〕意識化の世界や不合理・非現実の世界を探求し、既成の美学・道徳とは無関係に内的生活の衝撃を表現することを目的とする。超現実主義。シュール=広辞苑)だ』って」
鶴見「ハッハッハ」

本や食料品、生理用品といった本来は別々の用途と価値を持ったものが一緒くた(いっしょくた:雑多なものをまぜ合わせること。同一視すること=広辞苑)に製造され、そしてまた、それらが一緒くたに消費される、という極めて現代的な“風景”が1970年代のアメリカではすでに現実化していた、というところかもしれません。

話を元に戻しますと、今の不景気な状況を打破しようとすれば、今後も大量生産・大量消費を延々と続けていかなければならなくなります。

不景気を伝えるマスメディアの多くは、一方で自然破壊を嘆いても見せます。でもこれ、どこか矛盾してはいませんか? 

そうです。一方では好景気を願いながら、他方ではそれによる弊害も説いている訳なのですから。

ダグラス氏は、「この際ガラクタ経済の悪循環からは脱却すべき」といっています。私もその意見には大賛成です。

これ以上潤う必要はないじゃないですか。豊かになる必要はないじゃないですか。便利になる必要はないじゃないですか。今のままで十分と覚悟を決めるべきです。

昨日の朝日新聞の天声人語に書かれていたと思いますが、地方の高速道路沿いの標識に「慌てるな。昔はみんな歩いてた」というのがあったそうです。私は車の免許さえ持っていませんが、今以上に車をビュンビュン飛ばしてどこへ行こうというのですか?

ダグラス氏は、現在の日本経済のマイナス成長をマイナスとは捉えず、むしろ人々の意識を変えるチャンスなのではないか、とも指摘しています。

人々の意識変革に大きな影響力を持つものにマスメディアの存在があります。

そのマスメディア自身が、不景気をマイナスに捉えたアナウンスを流し続ける限り、そのチャンスを生かす空気は生まれようもありません。マスメディアは、ことあるごとに例のアフガニスタンの問題(「ウィキペディア>アフガニスタン侵攻 〔2001〕」)の根底には貧富格差の問題があるといっておきながら、自分の国だけはなおも富む必要があるかのごとき報道を垂れ流しています。

それはともかく、今も書いた自然破壊を嘆く姿勢が偽善でないのなら、いまこそ「不景気もまた良し」と声を挙げるべきです。

「今の中学生は宮沢賢治が嫌い」と先の対談の中で鶴見氏がおっしゃっています。

賢治が書く「一日ニ玄米四合ト、、、」などが偽善的に感じられるのがその理由のようです(「YouTube>宮沢賢治 星めぐりの歌〔歌〕」)。そう感じる彼らの感性が健全なのか、それとも彼らの感覚の方こそズレているのか、意見の分かれるところでしょうが、若さ故に偽善をも敏感に感じ取れるだけの感性がまだまだ健在なのだ、ともいえそうです。

マスメディアも、次代の日本を担う低年齢層の嗅覚能力を見くびら(見くびる:力や価値がないと見きわめをつける。軽くあなどる。みくだす=広辞苑)ない方がいいかもしれません。