■ 2001/09/03 デジタル昆虫標本

年ごとに売り上げを伸ばして来たPCの販売が、ここへ来て急激な足踏み状態にあるようです。

その上、業者間、販売業者間での熾烈しれつな価格引き下げ競争もあり、関連業界は青息吐息の状態にあるそうです。実売価格が下がっているわけですから購買者にとっては嬉しい悲鳴(?)ですが、売り手側にとっては死活問題で、まさに苦しい悲鳴を上げたいところかもしれません。

そんなこんなで売り上げが激ダウンしているPCですが、ではそれを購入したユーザーが、では実際にどんなことに使っているのかといえば、ほとんどはネット接続ではないでしょうか?

かくいう私ももっぱらの利用はネットがらみです。ただ、自分のサイトを持っていることもあり、その更新のためにほとんどの時間を費やしています(?)。

ただ、そうしたネットでのサイト閲覧やメールの交換は、PCが出来る機能の内のほんの一部分である、といえそうです。ということは、使いこなせていない多機能の電化製品と同じ、あるいはそれ以上に使いこなしていないのがPCであるのかもしれません。

そんな自戒も含めた気持ちで今朝の産経新聞をペラペラとめくっていましたら、PCの機能をフルに活用している人の例が目に留まりました。

「わたしの第二の人生」というコーナーに載っていた小檜山賢二こひやまけんじさんという方で、小檜山さんはPCを用いてデジタル標本作りに没頭されているようです(「小檜山賢二の微細構造の庭園」)。

まず、小檜山さんの簡単な経歴を書いておきますと_現職は慶応大学大学院の教授をされているのだそうですが、それ以前はNTTで無線通信の技術者をされていたそうです。

で、気になる現在の研究テーマであるデジタルを使った標本作りですが、実際には実物の昆虫をデジタル・カメラで撮影することから始めるのだそうです。

記事によりますと、たとえば標本の元となるセミを長い針に刺して宙に固定し、真上30センチの位置にデジタル・カメラを据え付けます。そうして、わずかずつピント送り(焦点位置をずらす意味か?)をしながら、合計500枚ものデジタル静止画を撮影するのだそうです。

このようにして素材となる静止画は揃いました。それ以後は、デジタル技術を応用して“標本”の組立作業に入ります。

500有余枚の静止画を細かく観察しながら、1枚ごとにピントの合った部分だけをパーツとして抜き出します。以下はそのパーツを丁寧に組み上げ、一体のセミのデジタル標本へと仕上げます。

デジタル技術を応用した超精密なプラモデルの趣ですね。

そのようにして完成させたセミの静止画は、今にも動き出しそうなほどリアルな立体画像となるそうです。

ここまで読んで疑問をもたれる方がいるかもしれません。「そんなに手の込んだことをしなくても、高性能のカメラで撮影したら事足りるのではないか?」と。

しかし、それでは小檜山さんの目指すような静止画は決して得られないのです。

なぜかといいますと、どんな高性能のカメラでも、といいますか、レンズでも極小の世界を接写するとパンフォーカス(pan-focus〔和製語〕:短焦点レンズや小さな絞りを用いて、近景から遠景までピントの合った画面を作る撮影技法=広辞苑)(「日本自然科学写真協会>最新技術-1」)されないのです。

難しいいい方をしますとそれには「被写界深度」というものが関係しています。

簡単にいえばピントの合う範囲で、被写体に近づくほど(=接写)、絞りを開けるほどその範囲は狭くなります。そしてレンズとカメラの構造上、どんなことをしてもピントの合わない部分が生じてしまうのです。

で、もしもそれを補おうとしたら、これまでは絵を描くことしかありませんでした。いわゆる昆虫などの図鑑に載せるような精密な絵ですね。

それで思い出しましたが、昆虫画家に熊田千佳慕くまだちかぼさんという方がいらっしゃいます。

今私の手元には熊田さんについて書かれた新聞記事の切り抜き(→ 新聞切り抜き画像)があるのですが、遙か昔のもので既に黄色く変色しています。その記事には年齢が81歳と記されているのですが、現在はおいくつになられているのでしょうか。それとも現在もご存命なのでしょうか。

以前、熊田さんについて描いたテレビのドキュメンタリー番組を観たことを思い出しましたが、熊田さんは子供の頃から昆虫が大好きで、ファーブルに憧れていたそうです。

そんな熊田さんは、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業されたあと、グラフィックデザインの道へ進み、その後念願であった昆虫画をライフワークに選ばれました。

昆虫の繊毛や光沢までもを細密な線で描く熊田さんの技法ですが、それは徹底した観察にあります。資料写真や対象昆虫の死骸を手元に置き、それを観察しながら描くのではありません。

昆虫のいそうな草原にうつぶせになり、生きている昆虫を気が済むまでじっと観察するのです。スケッチも一切せず、ひたすら自分の網膜にその像を焼き付けるように。そんな熊田さんの姿を見た人が、てっきり行き倒れの老人かと勘違いし、大騒ぎになったことがあるそうです(^_^;

そうして網膜に焼き付けた映像を、画室に戻った熊田さんは頭の中に投影しながら(?)、一筆一筆丁寧に細い線を重ねていきます。根気のいる仕事で、1日に集中して出来るのは2時間足らず、とおっしゃっていたでしょうか。

そのようにして描き上がった昆虫画はまさに全ての部分にピントが合ったパンフォーカスとなります。

以上は、写真では表現出来ない昆虫画を使った例を書いてみましたが、同じようにイラストを用いる例は広告美術の世界では日常的に行われていることだそうです。商品のラベルにある画像も写真のつもりが実は描かれたハイパー・リアリズム(写真と見まがうほど精密に描かれたイラスト。エアブラシ技法がよく用いられます)であるということは少なくありません。

たとえば、冷たいビールが注がれたコップの表面に結露の水滴がついている、といった画像はほとんどがイラストであろうと思われます。

ことほど左様に、写真には被写界深度などの点で制約があり、それを補う形でハイパー・リアリズムの手法によって描かれたイラストの存在価値が維持されてきました。

そんなこれまでの“常識”をうち破りかねないのが今回注目しているデジタル技術を応用した画像処理です。

それにしても、数百枚の静止画からピントの合ったパーツだけを抜き出し張り合わせるというのは、コロンブスの卵的アイディアですね。ま、根気はいりそうですが(^_^;

いずれにしましても、今後ネットもブロードバンド化が進み、大容量のデータを瞬時にやり取りできるようになるものと思われます。

で、誰もがそうした接続環境になれば、これまではとてもではありませんが、重くて(ダウンロードに時間を要するという意味。念のため)ネットに上げられなかったような大容量の静止画も気楽にアップロード出来、それをまた閲覧者は手軽にダウンロード出来るようになるかもしれません。

そう考えると、小檜山さんが現在熱心に研究されているようなデジタル標本作りの技術は、コンテンツ(たとえばデジタルの精密な図鑑とか)としても、活躍の場は大いにありそうですね。

一つ理想をいえば、「本来技術の進歩というのは、関連業者の金儲けのためだけにあるのではなく、それを利用して新しい何かを生み出したい人のためにある」といういい方が出来そうです。

ともあれ、「自然とカメラが大好きだった少年の頃に戻っただけ」と謙遜する小檜山さんは、子供の頃からの楽しみをデジタル技術の中で生かそうとしています。何だか羨ましい話です、よね?