■ 2001/07/09 私的“石原慎太郎論”

小泉政権大フィーバーの中、夏の参院選が目前に迫って来ました。

そうした中、最近やたらとテレビ・メディアに登場している政治家がいます。それは、石原慎太郎東京都知事です。

それにしても、地方行政の一介の長に過ぎない(?)彼を何故これほどまでにテレビ・メディアは番組に起用したがるのでしょうか? NHK然り、民放はいうに及ばず、選挙・政治がらみの番組にチャンネルを合わせると、必ずといっていいほど彼の姿を目にさせられます。

早い話、歯に衣着せぬ彼の物言いがテレビ媒体にマッチしている、ということなのでしょう。だとしたら、安易すぎる気がしないでもありません。

自分以外の事はことごとく批判するがごとくに私には映る石原都知事なのですが、小泉政権への批判は不思議なほど聞かれません。

それもそのハズ、といいますか、聞くところによりますと、石原都知事と小泉首相は親戚関係にあるというのです。さらには、現政権には御子息の石原伸晃のぶてる氏も入閣しています。これでは批判は出来ないというものです。

ただですね、もしそうだとしたら、石原都知事の批判精神が泣くというものではありませんか。

だってそうでしょう。そういう“しがらみ”があった上でもなおかつ正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると批判、いや、指摘してこそ、真の批判家たるものだ、と私は思ったりするからです。これは求め過ぎですか?

それはそうと、昨日の「スクープ21」(テレビ朝日)にも石原都知事はしっかりとインタビュー出演されていました。参院選直前のスペシャル・ヴァージョンです。

その中で、キャスターの鳥越俊太郎氏が、これまた「あなたは太鼓持ちか?」と思えるほど、石原氏を持ち上げ、「小泉首相の次の首相は石原氏という話も、、、」などという話を石原氏に向ける場面がありました。

それを受けた当の石原都知事も石原都知事で、「デヘデヘ、、、」とまんざらでもなさそうでした。

しかし、どうしてまたそういう話になってしまうのでしょうか? 不思議でなりません。

さっきも書きましたが、石原氏の現在の立場は一介の地方自治体の長でしかないです。それがまた、どうして一足飛びに国の長へと話がリンクしてしまうのでしょう。

ここで立川談志師匠のいい方を拝借して「ズバッ!」といわせてもらえば_「要するに石原のヤツはただ単に権力志向が強いってだけの話なんじゃないの? 違うかね?」てことになりそうです。

彼にすれば、今の都知事は世を忍ぶ(彼の場合、忍んでいないかf(^_^))仮の姿で、スキあらば国の権力の座に就こうと目論んでいる、、、のではないでしょうか。油断大敵。

そうした彼の“思惑”にテレビ媒体が感づいていないハズはありません。なのに尻尾を振る犬のごとく、彼にすり寄っています。“第四の権力”といわれて久しいマスメディアが権力の座に就こうとしている彼に自分の方からすり寄っていてどうするのですか。

もしもですよ、彼の願望が現実のものとなったとき(東京都知事→日本国首相)、果たしてテレビ媒体はどのように責任を取るつもりなのでしょうか。

同じようなことは過去にもありました。

思い出すところでは、当時、自民党の陰の実力者と盛んに祭り上げられた故・金丸信かねまるしん氏の例があります。

彼が贈収賄事件(「ウィキペディア>東京佐川急便事件」)に巻き込まれるや、それまで盛んに持ち上げていたマスメディアは、以後、自らの行いは全て忘れてしまったかのような振る舞いに終始しました。

結局のところ、テレビをはじめとするマスメディアは、塩川正十郎財務大臣(“塩爺”なんてやめてくれ(-_-;))以上に物忘れが“上手”(?)なのかもしれません。

話は変わりますが、前東京都知事の青島幸男氏が今度の参院選比例区に出馬なさるそうです。

これもどうなんでしょうかね。東京都知事という責任あるポストに就いたものの力は全く発揮されず、政治的手腕は否定されました。それがまた、今度は国政へと返り咲こうとしています。これは果たして世間一般の常識に合致することなのでしょうか?

それとも、参議院議員の場合は、どんな仕事をしているか一般国民の目には入らないため、結構気楽な立場(?)でいられるのかな?

それにしてもですよ、最近の政治がらみの番組を観るにつけ、妙にタッチが軽くなってきていることに釈然としない思いが残ります。

衆議院の予算委員会で「総理、総理、総理、、、」と小泉総理に質問を迫った場面がNHKの国会中継で流れ、一躍その特徴のある顔(?)と名前を全国に売った社民党の辻本清美つじもときよみ議員(※元はピースボート代表。今もそうなのかな?)にしても、『総理、総理、総理!!』第三書館 /1500円)とかっていうタイトルの本まで出版しています。

さっきも書きました昨日の「スクープ21」に同じく出演されていましたが、政治の話をするというより、テレビに自分が映ること自体が楽しくて仕方がないといった“ただの目立ちたがり屋のオバハン”(失礼、m(_ _)m)のように私の目には映って仕方がないのですが、辻本代議士、辻本代議士、辻本代議士、、、いかがですか?

中曽根元首相は、「ワイドショー的」と揶揄やゆされる現政権に「せめてNHKスペシャル的」にまではなってくれ、と注文を出したそうです。これはこれでまた意味不明と思えなくもありませんが。

ただ、テレビの前の一視聴者から見ると、れっきとした報道番組であるはずの番組が極めて“ワイドショー的”な番組作りになってきているように思えなくもありません。

これは、政治に限らず、テレビ・メディアに限らず、世の中のあらゆる局面でたが(竹を割ってたがねた輪。桶・樽その他の器具などにはめて、外側を固く締め固めるのに用いる=広辞苑)が緩み始めている、ということになるのでしょうか?