| ■ 2001/03/29 明日からではなく|冤罪報道 |
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明日からではなく 僕は教師です 就職先がなく (アルバム『うた き』より / 作詞・作曲=小谷美沙子(おだに・みさこ)) ![]() 昨夜のテレビで「薬害エイズ事件安部被告無罪」のニュースを知りました。 で、今朝の朝刊各紙にもそのニュースが大きく取り上げられています。報道内容は、どの新聞も大差なく、一様に「無罪判決への異論」を唱えています。 私はその事件(「ウィキペディア>薬害エイズ事件」)の経緯や被告の事件への責任の有無など、詳しいことは何も知りません。ですので、その判決の是非については全く口を挟む権利を持ちません。 そこで、別の観点からこの事件について自分なりに考えておこうと思います。 私がこの判決のニュースを知ってまず考えたことは、冤罪報道についてです。「冤罪」の意味を広辞苑で当たってみると「無罪の罪。ぬれぎぬ」とあります。 今回の事件の判決だけを見ると、結果的には、安部 ここで私が感じるのはマスメディアの報道のあり方です。 私が記憶している限りでは、この事件が公になった直後から、「安部被告=悪」といったレッテルを貼った上でこの問題を取り上げていたように思います。果たして、そうした報道のあり方は正しかったことになるのでしょうか? ところで、「冤罪」で思い出す事件に「帝銀事件」があります。 第2次世界大戦が終わった直後ぐらいに起こった事件(だったと思う。自信ナシ)ですから、はるか昔の事件です。私は松本清張が書いた小説やそれを脚色したテレビ・ドラマを観ることでその事件のあらましを知りました。 事件の犯人は、大金をだまし取ることが目的だったのか、事件当日、保健所の職員を装い帝国銀行 直ちに捜査本部が設けられ、大量の捜査員が導入されました。終戦直後の混乱期ということも災いし、真犯人を巡っては諸説入り乱れる展開となりました。松本清張の小説でも、当時日本に駐留していたGHQの仕業を臭わせるような記述があったように記憶しています。 その後、当時テンペラ画家として名前を知られていた この事件に関して、朝日新聞をはじめとするマスメディアは、一貫して「平沢死刑囚の冤罪」を主張し続けました。マスメディアに限らず、いわゆる文化人も同様の主張を展開しました。 私自身は、「やはり、多くのマスメディアがああいっているんだから無実なんだろうなぁ、、、」と暢気に構えて、松本清張が書いた小説を読み、そのドラマを観たのですが、、、読むごとに観るごとに、「平沢死刑囚が事件の真犯人」という感を強くしてしまいました。 ま、これは全くの素人の当て推量ですからアレですけれど、ヘソ曲がりの癖のある私は、マスメディアが盛んに冤罪を主張していると逆に「真犯人ではないか?」と逆の考えを持ってしまうところがあります。 マスメディア自身にしたって、どこまで確信を持ってそうした報道をしているのか、わかったものではありませんしね。 そんなあれこれを考えながら今回の薬害エイズのニュースに再び目を転じてみますと、帝銀事件に見られるような冤罪報道とは全く逆の報道姿勢が見られることに気づきます。 無実を主張する被告を有罪へと追い込み、判決が出てからも「無罪は免罪符にはならない」と社説で主張する新聞まであります。 マスメディアの報道に晒されている一般人の多くは、「テレビや新聞でああいっているんだから、安部というのは悪いヤツなんだろう」という印象を持ってしまいます。しかし、どこがどう悪いヤツなのかを知ろうとはしません。最初から最後までマスメディアの請け売りです。 そんな中、最近の学生を中心とする若い世代は、新聞を読まない人が大多数だと聞きます。もしかすると、それは賢明な選択であるかもしれません。なぜなら、結果的に余計な“情報操作”の影響を回避できるからです。 思うに_新聞を読まない。あるいは読んでも、書かれている内容を頭から信用しない。そして、自分の頭で考えてみる。あとになって「自分の考え方は間違っていたかなぁ、、、」ということになったとしても、その方がいいのかも、と思ったりしている私なのでした。 【「日々の独り言」の中の独り言】:私は当分の間は新聞を読むのをやめないかもなぁ。コラムみたいなのを読むのは面白いと思うし、テレビ版だって必要だし、広告を見るのも好きだし、、、てほとんど報道としての新聞じゃないところばかり見ているかも、ねf(^_^;) |