■ 2001/02/26 電車で化粧

週明け早々、朝日新聞に濃いめの対談が載っています。

芸能リポーターの鬼沢慶一おにざわけいいちさんとタレントの遙洋子はるかようこさんのお二人です。で、対談の内容は「電車の中で化粧 どう思いますか」。どうです。濃いお二人と内容だと思いませんか?

まず、芸能リポーターの鬼沢さんですが、個人的には嫌いではありませんね。じゃ、好きかと聞かれたら困ってしまいますが、少なくとも、いろんな意味で面白い人物ではあると思っています。

何が面白いといって、今時珍しいともいえるような行為を平然とやってのける(?)点が私の中では好印象につながっています。ここで一例を挙げたいのですが、今回の対談の中でご自身がそうしたことを語っている部分がありますので、それを以下に引用させていただくことにします(新聞記事を元に一部再構成)。

電車で立っていたら、自分の孫と同じぐらいの年ごろの子供がむずかっていたので、シルバーシート三人分の席を占めていた二人の若者に『どちらか一人、席を譲ってあげられないかな』と声をかけただけなのに、殺されそうな目に遭いました。この事件の前にも、おばあさんがバスに乗ろうとしたら、後から来た三人の若者がおばあさんを突き飛ばして乗り始めたので、つい一人の襟首をつかんで引きずり下ろしたら、ボコボコに殴られましてね。

ご本人は「勇気があってやったわけじゃない」とおっしゃるのですが、どうしてどうして、昨今の少年犯罪のニュースを知る者にとってはなかなかできる芸当ではありません。まさに突撃リポーター、といったところでしょう。

かたや遙さんですが、私は何度か『朝まで生テレビ!』などで見かけただけですが、ご自分の意見を、他の人の思惑も省みないで(?)バンバンとなさる方とお見受けしました。ただ、その発言内容は、個人的にはちょっと賛成しかねます(一例:ご自分が結婚できない?理由を社会のせいにし過ぎ)、グァッ!

ところで肝心の対談「電車の中で化粧 どう思いますか」についてですが、私はそれほど関心がありません(←何じゃ、それは)。

いえ、関心がないというよりも、「関心を持てない」あるいは「関心を持ちたくない」といったほうがより正確かもしれません。

案の定、対談記事も両者の主張は噛み合わないままです。

電車の中での化粧が理解できないという鬼沢さんと、「マナーということでは、女性よりも年配の男性のほうがよっぽどひどい(←コレって「今の若者は」というのと同じいい方なんじゃないの? 年配の男性にもいろいろいるでしょうに)」とおっしゃる遥さんの意見は平行線のまま。

私個人の理想をいわせてもらえば、やはり鬼沢さんと同じように「何も電車の中で化粧しなくてもいいじゃないの?」と思うのですが、それを化粧している女性に面と向かっていうことはできないでしょうし、いってボコボコにされる(さすがにされないか?)のも、ね。

つまりは「価値観の違い」といわれたら、その時点で終わってしまう話なわけで、“対談”を組んだところで結局は実りが期待できない問題なのです。これが、私がこの種の問題に関心が持てない理由です。

今回、遙さんが主張なさっている“意見”を総合してみると_「彼女たちのように、他人の目を全く意識しない若者のようなタイプが現代の若者を代表しているわけではない。そういう若者がいれば、そうでない者もいるのだから、“現代いまの若者”ということでひとまとめにして欲しくない」ということになりそうですけれど、コレ、結構古典的な“意見”ですよね。それに、遙さん自身、若者を代表するにはいささか年を食い過ぎていると思えなくもありません。

ここで、「公衆の面前での化粧是か非か」という論点からはズレてしまうのですが、私自身、今回の対談を読んで感じたことが一つあります。それは、そのように他人の眼を全く意識せずにいられる人のその神経の図太さが「羨ましい」ということです。

平気で化粧する彼女たちは、「好きな人の前では絶対に化粧なんてできないけど、それ以外の、たとえば電車の中とかだったら、その他の人は意識外の存在でしかなくて、いってみれば“風景”のようなものだから全然気にならないヨ」なんてことをのたまったりします。

自意識過剰大の私にとっては、そのように自由に自意識をシャットダウンできる意識回路(行動回路?)は、ただただ羨ましい、、、限りです。だから、もしも自分がそこまでの大胆不敵人間でいられるのであれば、世間から石を投げられたって構わない?

【本日の素朴な疑問】:現代という時代状況が彼女らをそのような行動に駆り立てているという説(?)があります。ただ、若い男性が公衆の面前で、化粧でなくても、他人の目を全く意識せずに何かをするということは、同年代の女性に比べて、少ないような気がします。男女のこの決定的な意識の差はどこから生じるのでしょうか?