■ 2001/02/19 マッチ売りの少女

あれは確かアンデルセン(1805〜1875 デンマークの詩人・作家。長編小説『即興詩人』、連作短編集『絵のない絵本』、自伝『わが生涯の物語』のほか、『火打箱』『親指姫』『人魚姫』など150編を超える童話で著名=広辞苑)の数ある童話の中の一編ではなかったかと記憶しているのですが、『マッチ売りの少女』という童話があったことを、昨夜風呂に入っているとき、不意に思い出しました。

それにしても今更ながら、どうしてそんな風に何の脈絡もなく、突拍子もない童話を思い出したりするのか、自分でも全くわかりません。う〜ん、入浴と『マッチ売りの少女』、、、。いくら考えても、その因果関係は不明のままですね〜(^_^;

それはともかく、『マッチ売りの少女』という童話は、多くの人が子供の頃に一度ぐらいは読んだり、読んでもらったりしたことがあるのではないでしょうか? 私も何度か読んだことがあるはずですが、話の細部は忘れてしまっています。ただ、話の要所要所は記憶に残っています。

その主人公は『マッチ売りの少女』というぐらいですからマッチを売り歩いている少女であると思います(←そのまんま〜(^_^;)。で、話は冬の寒い時期であったと思います。それも、クリスマスか何かの頃ではなかったでしょうか。ともかくも、舞台設定としては、いかにもといった感じで、申し分ありません(?)。

その夜、少女はマッチが全く売れず、独り寒い戸外に佇んでいます。街の家々からは明るく、暖かそうな灯りがこぼれています。しかし、独りぼっちの少女にできることは、そんな幸せそうな家族の団らんを窓越しに見つめることだけです。

少女は寒さに凍える手を少しでも暖めようと、マッチを一本擦ってみます。その瞬間、炎は明るく燃えさかり、ほんのひととき、少女を夢の国へといざないます。マッチが燃えている間だけは、暗く沈む少女の顔も、炎に明るく輝きます。その後も、少女は、寒さから逃れるためだけからではなく、新しいマッチを擦り続けるのでした、、、こんな感じだったでしょうか?

子供の頃には、それなりの解釈しかできなかったものでも、時が経ち、自分が少しでも成熟したとき、以前よりは物事の本質、のようなものを少しは理解できるようになったりすることがあります。それは、童話のような物語世界についてもいえる、のではないでしょうか。

たとえば『マッチ売りの少女』ですが、それは何もマッチという小道具や細かな舞台設定がなくてもいい話なのかもしれません。

人は、ある“苦境”に立たされていると感じているとき、「その苦境から一瞬でもいいから逃れたい」と願い、あり得ない夢を見たりすることがあります。

結局、その“夢”も、『マッチ売りの少女』のマッチのごとく、一瞬の炎と共に消えてしまうのかもしれません。が、でも、その一瞬の“炎”は力を持ち、“マッチを擦る”当人に生きる力を与えることがある、ようにも思ったりします。

『マッチ売りの少女』のラスト。冬の寒い朝、街の人たちはむくろとなって横たわっている少女を発見します。少女の周りにはマッチの燃えかすが散乱しています。少女は手持ちのマッチを全て擦り、その一本一本ごとに夢や理想を見たのでしょう。しかし、結局は寒さのために凍え死んでしまったのでした。

街の人たちはそんな彼女の哀れな姿を見て、正直なところ、どんな風な感想を持ったのでしょう。そして何より、他ならぬこの物語の作者であるアンデルセン自身は、この話の中にどんなメッセージを込めているのでしょうか_。

【本日の豆お薦め昔話?】私は童話というか、昔話の類が嫌いではありません。ですから、いくつもお薦めしたいお話はあるわけなのですが、、、。そうですね。『三年寝太郎』なんていうのはどうでしょう? これは現代のモラトリアム人間にも通じるような話であるように思います(?)。主人公は「何もせずに寝てばかりいるどうしようもないヤツ」と村人全員から馬鹿にされているような男です。しかし、この寝太郎さん。別に眠くて寝ていたわけではないのです。自分が何をなすべきか、何ができるのかがわからずに身動きがとれずにいただけなのです。で、そんな彼の姿が、人々の眼には「引きこもっている」ように映っていたというわけです。物語のラスト、寝太郎は村の開拓事業に着手し、その結果、農業環境が飛躍的に改善され、村の偉人となりましたとさ。ああ、めでたし、めでたし、、、なのダ。