■ 2001/12/31 窮屈な洋服はお脱ぎなさい?

私が購読していますメルマガ(メール・マガジン)のひとつに「癒しのことば」というのがあるのですが、そこに書かれていたことが印象的だったので少し書いてみることにします。

25日付けの当メルマガに書かれていたことですが、そこには「小さすぎる洋服を無理して着続けることの無意味さ」について書かれています。

誰だってわざわざ小さな洋服を着て、窮屈な思いをしたくはありませんよね? ところが意外にも、そんな窮屈きわまりない小さな服を後生大事に着ている人が少なくない、というのです。

この場合の服というのはもちろんたとえで、私なりの解釈でいい換えれば、「社会的な規範」ということになるでしょうか。

子供時代、いわゆる“いい子”だった人にこの傾向が強いのが特徴のようです。

“いい子”であるあまり、周りの大人の期待に必要以上に応えようとしがちで、身体は大人になって大きくなっているというのに、無理矢理子供時代に大人から着せられた洋服を着続けます。

当然、窮屈であることには気づくはずですが、当人はその小さくなった服を脱ぎ捨てようとはしません。そればかりか、逆に、その服に自分の身体の方を合わせようと不必要な“努力”までしてしまいます。纏足(てんそく:中国で、女児が4〜5歳になった頃、足指に長い布帛を巻き、第1指〔親指〕意外の指を裏側に折り込むように硬く縛って、大きくしないようにした風俗=広辞苑)かぁ?

一例を挙げますと、「人前では、おとなしくしていなければならない」「わがままをいってはいけない」「成功するためには、もっと真面目に努力しなければならない」などといった類のことです。

これではまるで、自分自身のために生きているというよりも、自分以外の誰かの(期待に応える)ために生きているようなものです。

続けて、メルマガ発行の作者は次のようにも書いています。

本当は、幸せを手に入れたり自分らしく生きるためには、「してはいけない」や「しなくてはならない」という洋服など、ほとんど必要ではないようです。窮屈な洋服を身につけたままでは苦しいだけで、いつまでたっても幸せはやってこないでしょう。

改めて考えるまでもなく、当メルマガで指摘されるようなことには私自身も思い当たるところがあります。

知らず知らずのうちに、「こんなことをしていてはいけない」とか「こうしなければならない」といった手枷足枷てかせあしかせを自分で自分にはめてしまっているところがあったりするからです。

でも実は、そんなものは必要ない、というわけですね。そういってもらえると、何だかホッとした気分に、、、なりませんか?

「してはいけない」ことを見つけだして自分を縛るのではなく、自分が本当に「したいこと」があったら、その思いのままに行動することが、結果として、楽な洋服を着ること、束縛されない生き方につながるのですよね。

おっと。今これを書きながら頭の中にあるナンセンス・ソング(?)のワン・フレーズが流れてきました。「お〜れはこの世で一番、無責任といわれた男、、、♪」と歌う植木等『無責任一代男』(→ 歌詞)です。

映画『ニッポン無責任時代』1962年東宝)の中で植木さんが演じる“C調男”の境地まで達するのは並大抵のことではなさそうですが、それでも、少しでも近づけるよう“努力”する所存です?

時代はC調(シーちょう:音楽で、ハ調。調子よく軽々しいさまをいう俗語。調子いい=広辞苑)な生き方を求めている、、、?

【本日の豆ミュージック】:一年の締めくくりの日ということで、今年あった諸々のことを思い出しつつ「蛍の光」でもお聴きください。きたる年もあなたにとって良い一年になりますように_。