■ 2001/01/30 成人式顛末記?|談志「マルセ太郎」

先日行われた「成人の日」の式典では、各地で騒動が多発したこともあり、式典のあり方や式典そのものの存在継続意義も含め、各方面で議論がなされています。

新聞やテレビなどマスメディアでも、事あるごとにこの話題が取り上げられています。そんな矢先、といいますか、そうした生徒達を指導すべき立場にある教師の団体である日教組の集会(東京都内で開催中の教育研究全国集会)の荒れた様子が新聞に報じられていました。

それによれば、壇上に上がった東京都側の来賓(?)に向かって「ヒトラー!」などの罵声が次々に浴びせられるなど、「これが聖職者(一応、教師のこと)の集まりか?」と我が目を疑いたくなるほどの騒然さであった、とのことです。もしそれが報道の通りであったとしたなら、例の成人式で騒ぎ回った輩と何ら変わらないことになってしまいそうです。ですから、仮の話、そうした教師に

他人ひとが話をしているときぐらい静かに聞け!
な〜んて“指導”をされようものなら、たちまち白けてしまいそう、ではありますね。

それはともかく、私は成人式で騒ぎを起こす場面のニュース映像を何度か観せられている内に、ある共通点があることに気づきました。

それは、いずれのケースでも、問題行動を起こしている彼らは必ず複数だということです。単独で行動しているケースは、私が目にした範囲では、1件もありませんでした。

彼らの行動に、ある種の計画性は感じられません。多分その場のノリでああしたことをしてしまったのでしょう。つまりは、「式そのもののあり方に反対する」とか「来賓の誰々の思想は許せない」といった“大義名分”があっての行動では到底なさそうです。だとしたなら、オートバイを連ね、街中でこれ見よがしの暴走行為をする連中と何ら変わらなくなってしまいます。

もしかしたら、こういう騒動は、団体行動が得意な(?)日本特有の現象、なのかもしれませんね。欧米でも、似たような問題は起こっているのでしょうか。

また、もし仮に、今回の成人式での騒動が、成人式について不満を持っての行動の結果だったとしましょう。ただその場合でも、誰かと一緒に暴走行為をしてウサを晴らして「ハイ、それま〜でぇヨ♪」というのではあまりにも情けなさ過ぎませんか?

私の希望(?)をいわせてもらえば、「やるんだったら、たった一人で毅然とやって欲しい(あくまでも犯罪にならない程度で(^_^; そうした場合の“行動”と“キレた行為”は別物)」です。

壇上に一人でいる年輩者に、多人数でクラッカーを当てて喜んでいるだけだったら、街中の一人のオジさんを多人数で痛めつける“オヤジ狩り”と根っこ(しかも、かなり根深い)は一緒。

もっと自分の頭を使って物事を考え、個人として行動しませんか? 私も含めて、ねf(^_^;)


今日は火曜日です。ということで毎度のことですが、私のサイトからもリンクを張らせてもらっています「立川談志の世相講談」が更新されています(火曜日に更新)。

今週のお題は_「マルセ太郎」です。つい先日亡くなられて、その際には私も本コーナーで少々書かせてもらっています(→ 本サイト内関連ページ)。

「マルセ太郎ですか。彼は芸に一家言を持っていてね、うるさい人でした。そうであるからこそ自分の芸に悩んで苦しんで、行き着いたのが自分の言葉で映画を表現するという、あの芸(スクリーンのない映画館)です。私はあまり他人ひとの芸は認めない方ではあるんだが、彼のあの芸は見事だったと思いますよ。まだまだネ、彼にできることはあったんだろうけど、いい死に方だったんじゃないですか。立派!」