奇妙山から尼巌山と戸神山脈を望む 2013.10.14
■戸神山脈は、『埴科郡誌』の命名です。鏡台山から妻女山、あるいは薬師山までの長い山脈をいいます。江戸後期の『甲越信戦録』には、武田別働隊の動きをこう記してあります。
 「武田方の妻女山夜討の面々は、子の刻に兵糧を遣い、子の半刻(月が隠れる午前1時頃)に海津を出べし。経路は西条の入より、唐木堂越(坂城日名の方へ出る道なり)に廻るべし。これより右手の森の平にかかり、大嵐の峰を通り、山を越えて妻女山の脇より攻め懸かるなり。この道は、甚だ難所なれども、ひそひそ声にて忍び松明を持ち、峰にかかり、谷に下り、あるいは山腹を横切り、次第に並ぶ軍勢これぞひとえに三上山を七巻き纏いしむかで(滋賀の伝説)の足卒苦して打ち通る。」
 西条の唐木堂から坂城日名の方へ出る街道は、戸神山(三瀧山)で倉科へ下る傍陽(そえひ)街道とも繋がっています。倉科に下り、倉科坂を二本松峠から天城山へ登ったという言い伝えがあり、軍勢を立て直した兵馬という場所があります。天城山西の鞍部から堂平経由で陣場平へ攻め込む隊、倉科から生萱の山裾を巡り、土口笹崎から攻め上がった隊などあったかもしれません。斎場山(旧妻女山)の上杉軍も各所に分かれて布陣しているわけですから、それに見合う部隊を各所へ攻撃に充てればいいわけです。

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