陣場平 2010.5.5
●謙信本陣が斎場山にあったのは、信玄の軍勢が千曲川対岸にいた時といわれています。その後信玄は全軍を海津城下に入れてしまいます。すると本陣の眼下には誰もいないというおかしな状況になってしまうわけです。里俗伝では、謙信は斎場山から更に天城山方面へ10分ほど登った海津城が眼下に見えるこの陣場平に陣城を築いたといいます。『甲陽軍鑑』の編者といわれる小幡景憲の『河中島合戰圖』では、陣場平辺りに七棟の陣小屋が描かれ、謙信公御陣所と記されています。現在は、ご覧のように林や草原で夏場はヤブの中になってしまいます。冬枯れの季節だと非常に広い場所であることが分かります。手前のコンクリートは、建設省国土地理院の「菱形基線測点」。地殻変動調査を目的として設けられたもので、全国に16箇所しかありません。その内の長野県のものが、長野基線と呼ばれ、妻女山、平柴、川田、信里の四箇所で菱形を形作っています。この上に計測器を乗せて測ったもの。

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