葛尾城跡・五里ケ峯・勘助道 その1 2010.3.22
 3月22日(月)、信州は坂城町の坂城神社から川中島合戦の村上義清の要害、葛尾城跡(かつらおじょうせき)から五里ケ峯(五里ケ峰)へ登りました。今回は五里ケ峯の北の尾根にある勘助横手(勘助道)を息子達に見せることが目的でした。これは里俗伝に、山本勘助が葛尾城攻略のために造らせたという軍道です。最初は遠足気分の軽い山歩きのつもりでしたが、谷で消滅していると思った勘助道に先があることが分かり、急遽探索の山行となりました。

 その顛末はルポをご覧いただくとして、やはりこの勘助道は場所といいルートといいただの山道や作業道ではないと感じました。帰りは、これも予定がなかった飯綱山(山寺山)の岩稜線に立ち寄り、岩登りの真似事をしてバーズアイビューを堪能しました。

星印のある写真をクリックすると拡大します。

■今回のコース
坂城神社登山者用P--坂城神社--葛尾城跡遊歩道分岐--近道--葛尾城跡(805.0m)--北山林道終点--鏡台山分岐--五里ケ峯(1094.4m)--北尾根(宮坂峠方面)--勘助道分岐--勘助横手(勘助道)--林道大洞線--1024m北尾根--林道笹平五里ケ峯線--五里ケ峯--葛尾城跡--遊歩道--飯縄山巻き道--飯縄山岩稜--坂城神社登山者用P
■全行程:約7時間40分・休憩を含む 気温:0度〜5度 標高差:約850m
■登山地図にないコースもあります。★二万五千分の一地形図必須・軍手は必携です。季節によっては、熊・猪・スズメバチ・マムシ対策も。


●8:48 坂城神社の右側の道を登った右手に登山者用の駐車場ができました。まず参拝。

●延喜式内社・村上義清縁(ゆかり)の坂城神社に参拝。安政2年建立。立派な土俵。

●長男が気付いた北辰一刀流開祖千葉周作と門下生の奉納額。坂本龍馬は玄武館で佐久間象山に出合い、1853(嘉永6)年から象山の私塾で砲術の修行に励んだといわれています。
 
●登山の無事を祈願。受験合格の報告と御礼。祈願したのは岡地天満宮ですが…。

●8:56 梅が満開。枝には昨夜のなごり雪。前方は飯綱山。
 
●坂城の街並みと虚空蔵山。

●9:00 登りは近道を。
 
馬頭観音。

●赤松と自然林の混合林を登ります。
 
●赤松林のザレ地を急登。

●9:32 展望が開けて鏡台山脈の鳩ケ峯、大道山方面

●ヤマツツジにびっしりと地衣類のマツゲゴケ。

●ホンドサルオガセ。地衣類は、菌類と藻類からなる共生生物です。菌糸の様子がよくわかるカット。植物のコケとは違い菌類です。
 
●9:39 葛尾城跡に到着。

●北方に五里ケ峯が見えます。
 
●西には冠着山と聖山。

●四阿越しに見る茶臼山方面。
 
●南面の坂城市街と虚空蔵山。

●北に延びる五里ケ峯山脈(五一山脈)。
 
●9:50 五里ケ峯にむけて出発。深い二条の掘切を超えます。

●本郭の背後の二条の掘切。

●難攻不落といわれた山城です。

●当時は樹木はなく城塞が築かれていたのでしょう。
 
●堀切の説明看板。

●昨夜の雪がかなり残っていました。
 
●ヤセ尾根に人工的な石積みの橋。裏門の跡か。

●尾根が開けます。右に北山林道終点。登山道は左へ。
 
●なぜか電話ボックス。チラシが入っています。次男のお気に入り。

●10:03 北山林道終点にある看板。★看板アップ
 
●高圧線の鉄塔通過。

●10:20 曲がり松。村上義清の腰掛け松か。

●その2。この先にその3もあります。

●平坦地に出ます。
 
●再び登ると…。

●橡(クヌギ)の仲間アベマキ。
 
●ごつごつした木肌。

●木の葉型の割れ目が連続します。
 
●アベマキに地衣類。

●ヒノキ林を登れば頂上は間近。
 
●頂上直下の平坦地。

●10:42 五里ケ峯山頂。

●冠着山。眼下に千曲川。まず勘助道へ。

●北に五里ケ峯山脈。左の獣道のような踏み跡を下ります。
 
●ロープを頼りに。

●兄の降下を見送る弟。滑ってこけないかなあって見守ります。
▲上の写真にマウスオンで下からのカット。
 
●雪が地熱で溶けて泥濘(でいねい)状態で滑ります。

●こけた弟…。
 
●一息。

●この先のコブの先は崖。左へ巻きます。
 
●ここもロープを頼りに降下。
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