清野・古峯神社 2009.12.25
●清野・古峯神社[こみねじんじゃ](日吉社)。清野氏遺愛碑。
 【清野屋敷】村の北の方、字中沖にあり。往古本村領主清野氏数代之に居す。年月不詳。清野某海津に移り、該地に倉庫を建つ。此時ょり禽の蔵屋敷と称す。天文、弘治中、清野山城守武田氏に敗ぶられ、越後に逃走するに及び武田氏の有となり、天正十年三月武田勝頼滅び、織田信長の臣森長可の有となり、六月信長拭せされ長可西上するに至り、七月上杉景勝の所有となり、某幕下清野左衛門尉宗頼、該地に移り居住すと言う。管窺武鑑に七月四郡(埴科・更級・水内・高井)上杉景勝の有となり、清野左衛門尉を、猿ケ馬場の隣地、竜王城に移とあり。一時此処に居せしか不詳。後真田氏領分の時に至り寛永中焼亡す。後真田氏の臣高久某此域に居住し、邸地に天満宮を勧請す。弘化二乙己四月村民清野氏の碑を建つ。(清野村誌)
 【日吉社】雑社 社地東西五間、南北五間、面積二十五歩、村の西北の方にあり。祭御大山咋命。祭日五月一日。里俗伝に明徳頃の勧請にして此地は往古浦野氏の廩跡(米倉跡)なり、毎年四月申の日(二つあれば初日を用ゆ三つあれば中の日を用ゆ)雨宮村山山王社前に於いて、獅子踊りを為し、それより旧松代に至り、城内(往古清野氏の屋敷なり)に入て踊り、叉本社紳前に来り踊る。是より清野氏の縁由ある寺社、旧家等に行て踊る古例あり。弘化三年四月敷地に清野氏の事跡を掲げて以て碑を建つ。碑文眞田氏の臣鎌原貫忠の撰する所なり。 (清野村誌)
清野氏遺愛碑

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