鞍骨山 その2 2009.12.25

●もうひとつの倉科沢最深部。

●陽射しを求めてスピードが上がります。

●林道を横断するたくさんの足跡。日本羚羊です。
 
●日溜まりがあるとホッとします。三角の越山が見えました。

●これも古い山道の跡。大村の真ん中に出た尾根の道か。
 
●登山口はもう少し先。

●越山。林道倉科坂線の越集落に下りる道も見えます。
 
●もうすぐ登山口。曲がった先は入沢。登山口があります。

●入沢の林道から見る松代城下。
 
●少し進んで清野沖と千曲川。

●やっと鞍骨城への登山口です。剪定やら撮影やらでかなり時間がかかってしまいました。

●11:01 手前の暗渠のフタの網は踏まないほうが賢明です。ここから高圧鉄塔巡視路を登ります。

●最初は木落の沢を登りますが、直ぐに右に折れます。
 
●ほどなく尾根に乗ります。

●越山と深山。
 
●杉の幼木に鮮やかな朱色のヒヨドリジョウゴ。

●尾根からトラバースして植林帯へ。
 
●月の輪熊の足跡を発見。

●植林帯を登ります。
 
●右へトラバース。

●少し登山道を外れて灌木を歩くと窪地。鉄塔下の水の平とはこの辺りでしょうか。

●やっと掘切が見えてきました。

●11:30 二条ある掘切のひとつに到着。
 
●右手にはもうひとつの掘切と鉄塔。左へ。

●日本羚羊の足跡を辿って掘切を登ります。
 
●すぐに眼前に鞍骨城跡の雄姿が見えます。

●両側に削平地のある尾根を進みます。
 
●長い右側の削平地。馬場跡ともいわれますが、こんな山上に馬場が必要でしょうか。砦の城塞か兵舎が並んでいたということはないでしょうか。想像が膨らみます。

●春にはなかった大きな倒木。
 
●左手(北側)から広い腰郭をふたつ登ります。

●ここも左手から登れないことはないのですが…。

●腰の具合がいまいちなので、西南面にまわることにしました。雪に隠れた浮き石もあるので要注意です。

●かなりの広さがあります。
 
●朽ち木に掴まらないようにすることも大事です。

●ゆっくり登ればルートファインディングは容易です。
 
サイカチの実。サポニンが含まれる天然の石鹸。

●西面の石積みは、比較的よく残っています。
 
●西面もかなり急です。

●本郭の石垣。
 
●南西には腰郭が。

●主郭下の帯郭の端には小さな窪み。日本羚羊の糞場になっていました。

●虎口。城跡の下からは、ゆっくり10分もあれば登れます。

●11:53 南側の虎口から本郭へ。やっと頂上です。カラコギカエデが折れていました。春に新芽が出るでしょうか。
■主郭の説明
 
●北西面は腰郭が段になって落ちています。

●中央の説明板と標識。天空の山城鞍骨城跡は、倉科のMさんの力作です。ここで昼食。
 
●樹が少し切られて眺望が得られます。

●西には北アルプスと天城山(てしろやま)。
 
●右奥から鏡台山、大嵐山、御姫山の戸神山脈大嵐の峯。

●鏡台山。
 
●折れたカラコギカエデの翼果。もうこの樹に実が成ることはありません。

■江戸後期の『甲越信戦録』には、武田別働隊の動きをこう記してあります。(史実ではありません)
 「武田方の妻女山夜討の面々は、子の刻に兵糧を遣い、子の半刻(月が隠れる午前1時頃)に海津を出べし。経路は西条の入より、唐木堂越(坂城日名の方へ出る道なり)に廻るべし。これより右手の森の平にかかり、大嵐の峰を通り、山を越えて妻女山の脇より攻め懸かるなり。この道は、甚だ難所なれども、ひそひそ声にて忍び松明を持ち、峰にかかり、谷に下り、あるいは山腹を横切り、次第に並ぶ軍勢これぞひとえに三上山を七巻き纏いしむかで(滋賀の伝説)の足卒苦して打ち通る。」
   西条の唐木堂から坂城日名の方へ出る街道は、戸神山(三瀧山)で倉科へ下る傍陽(そえひ)街道とも繋がる。倉科に下れば、倉科坂を二本松峠から天城山へ登るもよし、倉科尾根に登って天城山西の鞍部から堂平経由で陣場平へ攻め込むもよし、倉科から生萱の山裾を巡り、土口笹崎から攻め上がるもよし、妻女山の上杉軍も各所に分かれて布陣しているわけだから、それに見合う部隊を各所へ攻撃に充てればいいわけです。私の、『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証より。興味のある方はご一読を。
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