鞍骨山 その1 2009.12.25
 12月25日(金)、清野氏の天空の山城・鞍骨城跡のある鞍骨山に至るルートは、妻女山(赤坂山)から天城山経由が一般的ですが、今回は妻女山から一度里に下りて、清野氏の館跡といわれる古峯神社から月夜平へ登り、林道倉科坂線から高圧線巡視路を登って鞍骨山へ登頂しました。他には、倉科から二本松峠経由のルート、象山から越し山と鞍骨山脈経由のルート、鷲尾城跡から天城山、二本松峠経由のルートなどがあります。
 


 途中の清野には、古刹がいくつかあるのでそれも巡りながら、出会った集落の古老に清野の歴史や地名を訊ねながらの山行でした。途中、暖冬のためか冬眠前の月の輪熊の足跡を発見。前日にも足跡を見ているので少し緊張しましたが、北信濃にしては麗らかな冬の陽射しが暖かく、のんびりとした山歩きが楽しめました。
 清野氏については、「清野氏と戦国時代」を参照してください。また、このルポの最後に、埴科山脈の大パノラマがあります。

■星印のある写真をクリックすると拡大します。

■今回のコース
妻女山(441m)--清野小学校--大宮神社--大里山風雲寺--古峯神社--清涼山高源寺--月夜平(物見台)--林道倉科坂線--高圧線巡視路--鞍骨山(798m)--天城山--陣場平--妻女山
■標高差:約387m ■気温:1〜6度
★季節によっては、熊・猪・スズメバチ・マムシ対策も。狩猟期は、猪狩りのハンターが入ります。


●9:06 妻女山松代招魂社から出発。

●戊辰戦争以降の戦没者を祀った神社。★招魂社について

●松代藩第十代藩主真田幸民(さなだゆきとも)による書。署名には滋野幸民書とあります。
 
●鳥居をくぐり林道を越えて石段を下ります。

●展望台を左に実ながら清野へ下る古道。これが表参道です。
 
●左へ岩野へと続く古道の跡。赤坂越の道です。

●表参道を下ると倒木が。今はほとんど通る人もない道です。
 
下って振り返ると石垣が。古く伊勢宮があった場所でしょうか。

●左手に大きな手水鉢が。今は昔、表参道の名残です。
 
●鳥居が見えてきました。くぐって右へ。

●鳥居の傍らに庚申塔。

●9:19 母校長野市立清野小学校。左側の道を南進します。

●広い校庭の端っこを通っていきます。出発点の妻女山(赤坂山)。妻女山と呼ばれて久しいのですが、正しくは赤坂山です。
 
●その左手(南)が上杉謙信の陣城跡と伝わる陣場平。その下の窪地が千人ガ窪(千人窪・千ガ窪)。

●陣場平とその直ぐ下が、謙信が伏兵を潜ませたと伝わる千人ガ窪(千ガ窪・千人窪)です。下の沢は入沢。
 
●大里から見る小学校。大里は、昔は湿田で、冬はスケートリンクになりました。

●大宮にせり出す尾根。稲荷山。尾根を回って清野の集落を辿って進みます。
 
●9:29 大宮神社。★由緒

●会田沢が見えます。右上が陣場平ですが、その左の窪地、会田沢の上も千人窪という古誌の記述もあります。
 
●信濃三十三番札所第四番大里山風雲庵(観音堂)の入口。竹林を右へ入ります。

●住宅の小径を進むと南天の向こうに石段。

●9:33 大里山風雲庵(観音堂)。左右にそれぞれ古い祠が。春の枝垂れ桜の頃がお勧め。

●ユーモラスな親子地蔵。
 
●四十九段の石段を登ると武田信玄が再興したという観音堂。★由緒

●昭和13年から竣工されてできた広い道。12年以前は山際を通る日当たりの悪い曲がりくねった坂道だったそうです。手前の尾根は、これから登る月夜平。
 
●尾根の先端は、清野氏の館跡に建つ古峯神社と手前に鳥見塚の集落。奥には、左手の象山から続く越山と深山。

●右には鳥見塚沢。江戸時代後期に描かれた『川中島謙信陣捕之圖 』(榎田良長 彩色)には、この会田集落の奥に「千人窪」と書いてあり、陣場平への山道と小さな池があったことが描かれています。場所は未確認ですが、中腹に水の平という地名があります。そのことでしょうか。
 
●月夜平の尾根の先端部、清野氏の館跡に建つ古峯神社と、奥には清野氏の天空の山城・鞍骨城跡。
 この手前でお年寄りに月夜平と水の平のことを聞いてみましたが、小字名の月夜平はともかく水の平については場所が分かりませんでした。妻女山のことは赤坂山と言っていました。

●収穫の済んだ蓮池を右に見て進むと前方に上杉軍が越えたと伝わる象山の多田越。前の四つ角を右へ。
 
●ほどなく古峯神社・飛石天満宮・清野氏の碑の標識。

●10:01 狭い石段を登ると小さな社が見えます。

●古峯神社と清野氏の石碑。清野氏については「清野氏と戦国時代」を参照。★由緒と清野氏遺愛碑文

●同じ境内にひっそりとある飛石天満宮。★由緒
 
●古峯神社裏手からは尾根にとりつけないので道路に戻り進むとすぐに高源寺観音堂・眞田信之供養塔・和算の額の標識。右へ辿ると集落の人がいたので訊ねると観音堂の裏手から登れるとか。
 和算とは、洋算が入る前の日本の算数。鶴亀算など。和算の額(算額)は全国に残っていますが、なかでも信州にはたくさん残っています。

●観音堂。大きな眞田信之の供養塔があります。
 
●10:07 真田六文銭が見える「清涼山高源寺」。★由緒

●観音堂の裏手からいよいよ登山開始。
 
●途中、大宮神社の御柱木がありました。

●10:15 登りきると月夜平の物見台。小さな手水鉢と祠が九基あります。集落の人に由緒を聞いたのですが、だれも知りませんでした。
 
●切り株に見つけた地衣類。★説明

●緩斜面の尾根道は灌木がたくさん。荒れています。前方には天城山へ続く尾根
 
●猪がかき回した跡。

●10:20 林道倉科坂線に出ました。右は妻女山方面。左へ。

●大村の谷、倉科沢へ下ります。

●倉科沢最深部。
 
●開けて象山と尼巌山、奇妙山が見えました。

●植林地の陰は寒い。
 
●両側からエビガライチゴが繁茂して道を塞いでいます。剪定に時間がかかりました。

●雪も残っています。
 
●振り返ると天城山への尾根。清野古墳が二基あります。

●古い山道の跡。集落の人が言っていましたが、林道によって古道が分断され、通る人もいなくなり荒れているそうです。特に夏場は林道脇が藪になり入口さえ分からなくなります。
 
●10:42 二本松峠(坂山峠)を越えて倉科に通じる倉科坂(清野街道)の登り口。倉科では大村越ともいいました。以前登りましたが、清野側はルートが途中不明瞭で、かなり荒れています。
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