三滝・鏡台山 その1 2009.2.15
 2月15日(日)、前回確認しておいた千曲市倉科の三滝から林道芝平樽滝線へ上がり、百瀬経由で鏡台山に至るルートを歩いてみました。
 百瀬の上にある三滝山から鏡台山周辺は、かの第四次川中島合戦の時に武田別働隊が越えたという伝説の長野市松代町西条の森野から坂城の日名へ越える街道(唐木堂越え)と、倉科から真田町傍陽(そえひ)へ越える傍陽街道の交わるところ。鉄道や自動車が発達する以前は、重要な交通の要所でした。


 古い林道は、主に人力頼みなので、昔からの街道や山道を利用して造られることも多いのですが、新しい林道は重機が使えるので、かなり強引にルートを造ったりしています。それでも注意深く地形を見ていくと昔のルートが想像できるのではと思い歩きました。
 今回は、明治時代の村誌、古い地形図の破線や実線の道も確認しながら、歴史道探しの登山になりました。

■星印のある写真をクリックすると拡大します。

■今回のコース(三滝・百瀬ルート)
林道白石千曲線入口(440m)--509m林道芝平樽滝線・三滝方面分岐--三滝--沢登り--林道芝平樽滝線(約850m)--県営林事業専用道路--作業道(百瀬)--林道--作業道(サワグルミの道)--大峯山・鏡台山縦走コース--鏡台山北峯(1267m)--鏡台山(1269.0m)--鏡台山北峯--大峯山・鏡台山縦走コース--作業道(サワグルミの道)--林道--旧山道--作業道(百瀬)--県営林事業専用道路--林道芝平樽滝線--縄文の名水--倉科山尾根--三滝--遊歩道--林道白石千曲線入口
■全行程:約7時間・休憩を含む 気温:2度〜12度 標高差:約830m
■登山地図にないコース。★二万五千分の一地形図のみでは不十分なルートです。今回は、googleマップ1/10000相当の地図に、航空写真から地図には未掲載の情報(新しい林道や植林地)も書き込んでプリントアウトし携帯しました。
★季節によっては、熊・猪・スズメバチ・マムシ対策も。狩猟期は、沢にハンターが入ります。


●8:20 林道白石千曲線入口出発。散歩中の地元の人から狩猟最終日で大勢入山しているので気を付けるように言われました。

●林道芝平樽滝線・沢山と三滝方面分岐。右へ。

●杉山ダム。
 
●8:37 三滝入口。

●橋を渡って一の滝の上へ向かいます。
 
●左岸を登ります。

●二の滝の上を渡って右岸へ。
 三滝についての記述。「水源は三瀧山、舟ケ入に発し、村の辰の方、瀧ノ平に落つ、会して三瀧川となる。」(明治の倉科村村誌)
 
三の滝。帰路はこの右上の尾根を下ってきます★西行

●8:47 治助橋分岐。
 
●沢は間伐作業中もあって倒木だらけ。

●前回高巻きした箇所ですが、なんとか通れます。

●ルートを探して渓流を何度か渡ります。

●沢の真ん中の杉は、やはり間伐されるのでしょうか。
 
●8:59 右から沢が合流。このずっと上は縄文の名水。

●左の広い沢をつめます。
 
●大岩のポイント。切り捨て間伐でないといいのですが…。

●谷が明るくなってきました。左の植林帯は終わりです。
 
●左岸に乗って谷をつめます。

●9:15 堰堤。前回はここで…。
 
●この急斜面を林道へ登りました。

●左岸から堰堤を越えました。

●さらに上流へ。

●9:18 次の堰堤。ここは右岸から越えます。
 
●堰堤の上から。倉科の北山、陣場平山、戸隠連峰。

●沢はかなりのヤブです。
 
●ここからは結構雪が残っています。

●この先で沢は二手に分かれますが、左へ。
 
●左上に林道も見えてきました。

●振り返ると遠く北アルプス。
 
●林道の縁が見えました。

●最後のひと登りで林道へ。

●9:36 林道芝平樽滝線に出ました。三滝下から1時間です。

●右へ行くと最初のカーブに…。
 
●9:38 県営林事業専用路。百瀬への入口です。

●9:44 5分ほど登ると鏡台山登山道入口。
 
●大峯山-鏡台山縦走路が見えます。

●百瀬の広大な植林帯の縁が見えました。
 
●道は植林帯の西の縁に沿って上がっています。

●この県有林の間伐のために造られた作業道でしょう。
 
●間伐前なので薄暗く鬱蒼としています。

●植林帯の上の縁。そのまま登ると…。

●10:02 林道の三叉路に飛び出します。真ん中を行きます。

●三瀧山、杉山、鞍骨山から妻女山へと続く戸神山脈が見えます。
 
●凍った道…。拡幅されていますが、古い道です。

●10:07 戸神山脈の尾根に乗ります。三叉路を右へ。
 
●その前に左へ。杉山(大嵐山)方面。「西条の入より、唐木堂越(坂城日名の方へ出る道なり)に廻るべし。これより右手の森の平にかかり、大嵐の峰を通り」の「森の平」でしょうか。『甲越信戦録』

●ほんの少し行くと戻るように西条の稲葉へ下りる林道があります。百瀬と西条を結ぶこの道は、古い地形図にも記載のある道で、ひょっとすると武田別働隊が越えたのは、この道かもしれません。
 
●三叉路に戻って直進します。この百瀬へ下る道も、古い街道かもしれません。倉科から百瀬を通って、左の道を少し下り、右へ折れて三滝山と高遠山の峠を越えて傍陽へ抜ける道を傍陽街道といい、千曲市では、幻の県道ともいわれています。
■江戸後期の『甲越信戦録』には、武田別働隊の動きをこう記してあります。
 「武田方の妻女山夜討の面々は、子の刻に兵糧を遣い、子の半刻(月が隠れる午前1時頃)に海津を出べし。経路は西条の入より、唐木堂越(坂城日名の方へ出る道なり)に廻るべし。これより右手の森の平にかかり、大嵐の峰を通り、山を越えて妻女山の脇より攻め懸かるなり。この道は、甚だ難所なれども、ひそひそ声にて忍び松明を持ち、峰にかかり、谷に下り、あるいは山腹を横切り、次第に並ぶ軍勢これぞひとえに三上山を七巻き纏いしむかで(滋賀の伝説)の足卒苦して打ち通る。」
 西条の唐木堂から坂城日名の方へ出る街道は、戸神山(三瀧山)で倉科へ下る傍陽(そえひ)街道とも繋がる。倉科に下れば、倉科坂を二本松峠から天城山へ登るもよし、倉科尾根に登って天城山西の鞍部から堂平経由で陣場平へ攻め込むもよし、倉科から生萱の山裾を巡り、土口笹崎から攻め上がるもよし、妻女山の上杉軍も各所に分かれて布陣しているわけだから、それに見合う部隊を各所へ攻撃に充てればいいわけです。私の、『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証より。興味のある方はご一読を。
 
●カーブで下に続く踏み跡発見。三叉路に出そうです。復路に使いましょう。
▼三滝・鏡台山 その2へ NEXT PAGE
    ▲to page top

MORI MORI KIDS ■MORI MORI KIDS Nature Photograph GalleryI ■CAPINO CAPINO(C) in Tokyo Japan since 08.04.2003
Ads by TOK2