天城山 その2 2008.12.20

●森将軍塚古墳望遠カット

左が妻女山・天城山林道。右が生萱からの登山道。中央の藪に天城山への登山道ですが、現在は左の林道を300mほど行って右手の鞍部に登り天城山へ登るのがお薦めです。ここで約10分休憩。

●左下は堂平。中央下のログハウスもよく見えます。後方の尾根は、謙信が陣城を築いたとされる陣場平。
 
●10:40 今回は藪の登山道を辿ることにしました。夏場はとても通れません。

●灌木や倒木、バラが多くて難儀します
 
●傘の直径が2センチほどの小さなキノコ。

●これは留山の印なのですが、道沿いの灌木にずっとスズランテープが巻き付けられ朽ちてボロボロになっています。環境破壊以外のなにものでもありません。美観も損ないますが、鳥や動物、昆虫などの首や足に巻き付いたり、誤って食べたりしてしまうのです。もっと耐久性のあるものか自然に還る素材でやるべきでしょう。
 
●10:50 藪を抜けて再び森将軍塚古墳。

●天城山頂が見えます。
 
●右手には倉科尾根と鞍骨山。

●ふたつの岩場を越えます。

●乗り越えてヤセ尾根へ。

●次の岩場には松が。
 
●鞍部に下りると天城山・坂山古墳の案内。300m。

●尾根道を進むと天城山150mの案内板。道を右へ辿ると倉科尾根へ。
 
●すぐに天城山山頂が見えてきます。熊鈴はしまっているので、このように向こう側が見えないときは、笛を吹いて存在を知らせます。

●山頂は円墳で、二段の墳丘裾があります。下の段から。
 
●上の段が見えます。天城山は、鞍骨城の詰めの城とも唐崎城の詰めの城ともいわれています。定かではありません。

●11:10 天城山山頂。坂山古墳の石室跡。天城山は、東西南北に尾根が出ているので迷いやすく地形図、コンパスは必須です。
 
●盗掘もされているようですが、天城城(砦)を作るときにも壊されたのでしょう。天城山は、てしろやまと読み、手城山とも書きます。

●眺望もないので北方の妻女山に向けて下ります。

●植林帯の境を下っていきます。

●左下に陽の当たる堂平の尾根。谷は蟹沢(がんざわ)。
 
●右、天城山頂。左、二本松峠から鞍骨城。

●ヤセ尾根を下ります。
 
●やがて尾根を左に下る道へ。案内板が各所にあります。

●眼下に斎場山と薬師山。遠くには白馬三山。
 
●冬の陽射しが暖かくなってきました。

●眼下に堂平と土口集落。
 
●千曲川に向かって西へ延びる斎場(妻女)山脈。右から斎場山(妻女山)、御陵願平(龍眼平)、土口将軍塚古墳、薬師山。いずれも第四次川中島合戦のときに、妻女山(赤坂山)と同様に上杉軍が布陣したと伝わる山です。

●枯葉の積もる登山道は滑るので滑落に要注意。

●樹間から望む千曲川。

●天城山登山口。林道に出ます。さっきの分岐からここまで歩いて登るのが最も分かりやすいでしょう。
 
●あんずの里ハイキングコースの標識。

●林道を下って振り返ると天城山のシルエット。
 
●林道のコブから見下ろす陣場平。

●下ると右手が陣場平。左下へ堂平古墳への標識があります。
 
●かなり広い陣場平。

●コブを振り返ったところ。ここを謙信の陣城があったという伝説から妻女山山頂という人がいますが間違いです。小字妻女山ですが、コブあたりはもう月夜平かもしれません。
 
●陣場平。夏場は藪でとても入れません。道や標識が一切無いので冬季も知らないと迷います。

●陣場平下の広い尾根。ここも大勢の武者が布陣できますね。地名を天上といいます。

●東風越。松代側から土口側へ東風が吹き抜ける峠です。

●東風越から森将軍塚古墳が見えます。
 
●11:57 斎場山山頂。円墳の上で昼食。

●気温はなんと12度。梅のおにぎりと数の子の醤油煮と煮牛蒡の手作りおにぎりを食べると睡魔が襲い、思わず10分ほど小鳥のさえずりを聞きながら昼寝をしてしまいました。息子にメールすると、気持ちよさそうだねと返事が返ってきました。12:25出発。
 
●キンポウゲ科のボタンヅル(牡丹蔓)。種はセンニンソウ、クサボタンとも似ています。花は、ボタンヅルとセンニンソウは白い花で似ていますが、クサボタンは青い花です。

●ボタンヅル。
 
●ボタンヅル。

●御陵願平、土口将軍塚古墳を経て、薬師山から望む天城山(左)と明聖霊神(右)。今日歩いた尾根が一望できます。
 
●土口側に下ると上信越自動車道薬師山トンネルの上に出ます。足元は20mの崖。柵もなにもないので転落に注意。

●道は古大穴神社の裏手に出ます。桑畑の土止めの石垣がいくつも残っています。
 
●古大穴神社。この辺り古くは、大穴郷(おおなごう)と呼ばれたところです。名工、立川和四郎作の(和妙抄)木彫りの龍や獅子が見応えあります。

●古大穴神社西の旧谷街道沿いにある「袖振地蔵尊」。その昔、洪水の後で田畑の境が分からなくなった時に、この地蔵尊を基準にして計り直したと市史にあります。
 
●いかめしい表情のお地蔵さん。

●沢山川沿いに歩いて斎場橋へ。これは宇佐美橋からの斎場山。あの麓に科野国の大王、建五百建命と、その妻、会津比売命の住居があったという伝説があります。(『會津比賣神社御由緒』より)大穴郷が、建五百建命の墓ともいわれる森将軍塚古墳から雨宮田圃を越えて土口(岩野も?)までつながっていたというのも、それが理由でしょうか。
 
●同じく宇佐美橋からの唐崎城。このシルエットから、山城ができる前は古墳があったのではと私は思いました。北の薬師山、南の鷲尾山にも古墳があるからです。手前、コンクリートの用水と化した沢山川の景観が哀しい。いつかビオトープの手法を使って自然を親しめる小川にして欲しいものです。

●ちょっと笑える宇佐美橋の説明。1:40 斎場橋に戻りました。
 
●翌日撮影した生仁橋からの唐崎。

●雨宮坐日吉神社。右へ真っ直ぐ行くと斎場橋。
   
土口の古大穴神社から望む天城山

●左は、斎場山、土口将軍塚古墳、薬師山のある長尾根(長坂・清野坂・斎場越)。★816k
雨宮田圃から唐崎城・天城山・鷲尾城を望む

● 左は、唐崎城、中央に天城山。右へ倉科尾根、北山、倉科将軍塚古墳、鷲尾城。★918k
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