![]() ●ふたつの岩場を越えます。 |
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![]() ●乗り越えてヤセ尾根へ。 |
![]() ●次の岩場には松が。 |
![]() ●鞍部に下りると天城山・坂山古墳の案内。300m。 |
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![]() ●尾根道を進むと天城山150mの案内板。道を右へ辿ると倉科尾根へ。 |
![]() ●すぐに天城山山頂が見えてきます。熊鈴はしまっているので、このように向こう側が見えないときは、笛を吹いて存在を知らせます。 |
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![]() ●山頂は円墳で、二段の墳丘裾があります。下の段から。 |
![]() ●上の段が見えます。天城山は、鞍骨城の詰めの城とも唐崎城の詰めの城ともいわれています。定かではありません。 |
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![]() ●11:10 天城山山頂。坂山古墳の石室跡。天城山は、東西南北に尾根が出ているので迷いやすく地形図、コンパスは必須です。 |
![]() ●盗掘もされているようですが、天城城(砦)を作るときにも壊されたのでしょう。天城山は、てしろやまと読み、手城山とも書きます。 |
![]() ●陣場平下の広い尾根。ここも大勢の武者が布陣できますね。地名を天上といいます。 |
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![]() ●東風越。松代側から土口側へ東風が吹き抜ける峠です。 |
![]() ●東風越から森将軍塚古墳が見えます。 |
![]() ●11:57 斎場山山頂。円墳の上で昼食。 |
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![]() ●気温はなんと12度。梅のおにぎりと数の子の醤油煮と煮牛蒡の手作りおにぎりを食べると睡魔が襲い、思わず10分ほど小鳥のさえずりを聞きながら昼寝をしてしまいました。息子にメールすると、気持ちよさそうだねと返事が返ってきました。12:25出発。 |
![]() ●キンポウゲ科のボタンヅル(牡丹蔓)。種はセンニンソウ、クサボタンとも似ています。花は、ボタンヅルとセンニンソウは白い花で似ていますが、クサボタンは青い花です。★ |
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![]() ●ボタンヅル。★ |
![]() ●ボタンヅル。★ |
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![]() ●御陵願平、土口将軍塚古墳を経て、薬師山から望む天城山(左)と明聖霊神(右)。今日歩いた尾根が一望できます。 |
![]() ●土口側に下ると上信越自動車道薬師山トンネルの上に出ます。足元は20mの崖。柵もなにもないので転落に注意。 |
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![]() ●道は古大穴神社の裏手に出ます。桑畑の土止めの石垣がいくつも残っています。 |
![]() ●古大穴神社。この辺り古くは、大穴郷(おおなごう)と呼ばれたところです。名工、立川和四郎作の(和妙抄)木彫りの龍や獅子が見応えあります。 |
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![]() ●古大穴神社西の旧谷街道沿いにある「袖振地蔵尊」。その昔、洪水の後で田畑の境が分からなくなった時に、この地蔵尊を基準にして計り直したと市史にあります。 |
![]() ●いかめしい表情のお地蔵さん。 |
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![]() ●沢山川沿いに歩いて斎場橋へ。これは宇佐美橋からの斎場山。あの麓に科野国の大王、建五百建命と、その妻、会津比売命の住居があったという伝説があります。(『會津比賣神社御由緒』より)大穴郷が、建五百建命の墓ともいわれる森将軍塚古墳から雨宮田圃を越えて土口(岩野も?)までつながっていたというのも、それが理由でしょうか。 |
![]() ●同じく宇佐美橋からの唐崎城。このシルエットから、山城ができる前は古墳があったのではと私は思いました。北の薬師山、南の鷲尾山にも古墳があるからです。手前、コンクリートの用水と化した沢山川の景観が哀しい。いつかビオトープの手法を使って自然を親しめる小川にして欲しいものです。 |
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![]() ●ちょっと笑える宇佐美橋の説明。1:40 斎場橋に戻りました。 |
![]() ●翌日撮影した生仁橋からの唐崎。 |
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![]() ●雨宮坐日吉神社。右へ真っ直ぐ行くと斎場橋。 |
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土口の古大穴神社から望む天城山 | ||
![]() ●左は、斎場山、土口将軍塚古墳、薬師山のある長尾根(長坂・清野坂・斎場越)。★816k |
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雨宮田圃から唐崎城・天城山・鷲尾城を望む | ||
![]() ● 左は、唐崎城、中央に天城山。右へ倉科尾根、北山、倉科将軍塚古墳、鷲尾城。★918k |
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