妻女山から斎場山へ 2008.10.26
 10月26日(日)、妻女山(赤坂山)から斎場山(本来の妻女山)へ。雨が少なくキノコは望み薄なので、なにかいい被写体はないかと撮影目的での山歩きに出かけました。林道を外れてヤブ山歩きを決行。初めての谷や、子供の頃にソリで滑り降りた急峻な沢などを辿りました。
 斎場山西の御陵願平南の唐松林の混合林では、猪が落葉松の倒木の穴をさらに掘り広げて大きな水たまりにした猪のプールを発見。クサノオウでは、ホソヒラタアブが盛んに吸密していました。曇り空で撮影には、もうひとつでしたが、錦秋前の斎場山をそれなりに楽しむことができました。


 『信濃宝鑑』に「【妻女山】まことは斎場山なるべし」とあり、『長野県町村誌』第二巻東信篇【岩野】には、「【妻女山】高及び周囲未だ実測を経ず。村の南の方にあり。嶺上より界し、東は清野村に属し、西南は土口村に属し、北は本村に属す。山脈、南は西條山に連り、西は生萱村の山に接す。樹木鬱蒼。登路一條、村の南の方山浦より登る。高二十一町、険路なり。」とあります。『甲陽軍鑑』に西條山とあるのは誤記で、別の西條山が近くに本当にあるために後世の混乱の元となりました。
出典:『長野県町村誌』第二巻東信篇 昭和11年発行 調査;明治13年 岩野戸長窪田金作氏への聞き取り調査より

■星印のある写真をクリックすると拡大します。


■今回のコース
妻女山登山口(351.6m)--妻女山(411m)赤坂山--林道経由ヤブ山--斎場山(513m)古墳・謙信台--林道(杏の里ハイキングコース)--陣場平(520-530m)--斎場山(513m)--林道経由ヤブ山---妻女山(411m)赤坂山--妻女山登山口(351.6m)
■全行程:約3時間・休憩を含む 気温:14度 標高差:約180m
■登山地図にないコースです。★二万五千分の一地形図必須・季節によっては、熊・猪・スズメバチ・マムシ対策も。
★狩猟期は、ハンターが入ります。いずれも個人所有の山なので、マナーを守ってください。
■妻女山については、★妻女山の位置と名称についての特集ページをご覧ください。

斎場(妻女)山脈の今昔

●1983年5月3日撮影。上信越自動車道がまだ無い良き日の斎場山脈。★クリックで拡大。以下★印同様。
千曲川の堤防より見た斎場山脈。左(東)に妻女山(赤坂山)右に薬師山(笹崎山)。中央の最も高い山が名無しって変ですね。地元ではみな本当の妻女山(正しくは斎場山)と呼び、本陣跡・床几塚・謙信台・龍眼塚などと呼んできましたが、外部の人になぜそのことが広まらなかったのかとても不思議です。ほとんどの歴史研究家が、赤坂山を昔からの妻女山と思いこんでいます。

●2008年10月19日3:06pm撮影。起目沖から望む妻女山と斎場山(上の写真より左、つまり東から撮影)。★816k山座同定
斎場山(妻女山)トレッキングルポ

●妻女山松代招魂社の紅葉。ヌルデ、ヤマウルシに続いてソメイヨシノも色づいてきました。 駐車場に車を置いて林道へ。

●林道を外れて昔の山道へ、そこから更にヤブ山へ。この時期、熊鈴は必須ですが、森の音を聴くときは外すこともあります。

●沢筋で見つけたキノコ。おお!シロシメジかと思ったのですが、シロノハイイロシメジというややこしい名前のキノコ。
 
●アメリカでは食用と図鑑には書いてありますが…。当地では、一応毒キノコの部類に入っています。

●沢を渡り、急登の後にトラバースすると、わりと大きな緩斜面の谷に出ました。熊鈴をしまうと静寂に包まれた後、色々な音が聞こえ始めます。鳥のさえずり、実や葉の落ちる音、梢の擦れ合う音。リスか、小動物の逃げる足音。緊張と孤独と妙な安堵を感じる瞬間です。
 
●コナラ、クヌギ、ハリギリ、アカマツ、ガマズミなど。

●ハリギリ。
 
●天狗の団扇のような大きな葉が特徴。

●樹間から茶臼山が見えました。ここから一気に尾根に乗りました。
 
●東風越に上がり、南の天城山(てしろやま)を望みます。

●斎場山(本来の妻女山)513m。円墳の上の平地は色々な低木が生えてしまっています。

●斎場山から川中島を望む。

●主にヌルデ、ヤマウルシ。木山(薪取りや間伐などの山の手入れ)をしないため、細い灌木が生い茂っています。
 
●ウルシ科のヌルデ。

●俗に旗塚といわれた小さな円墳から見る斎場山古墳。実際は戦国時代に上杉謙信が旗を埋めた塚ではなく、古墳時代の県主、郡司の墓だといわれています。
 
●二つ目の墳墓。直径は4〜5mです。

●三つ目の墳墓。上に木が生い茂っています。
 
●墳墓は七つあるといわれています。

●ここの地名は「御陵安平」または「龍眼平」「両眼平」ですが、正しくは「御陵願平」です。往古会津比売神社があったというのはここのことでしょうか。
 
●御陵願平南面の唐松林で見つけた泥だらけの不可思議な幹。周りじゅうにたくさんあります。

●同じように泥だらけの幹。誰の仕業でしょう。恐らく…。

●突然現れた大きな水たまり。これで犯人が分かりました。★答え

●コムラサキ。
 
●斎場山古墳(私有地)。

●林道を戻ります。
 
●ヌルデの道を東風越に下ります。

●ヤマハギの黄葉と東風越(長坂峠)の分岐。オオスズメバチが集まる樹があり、夏場は要注意の場所。
 
●そこから望む天城山と唐崎城への尾根。★パノラマ

●斎場山山頂から見た360度のパノラマ立体地図。★必見
■「国土地理院の数値地図25000(地図画像)『松代』」をカシミール3Dにて中二の次男が制作。

●ヤブ山の奥にある植林地を通過。観察デッキがあります。
 
●陣場平へ登り、東風越へ戻ります。

●斎場山近くの急斜面。

●ガマズミ。これではありませんが、ガマズミ酒を造るためにガマズミの実を採取しました。

●ヒヨドリバナ。もう少し奥に行くと帰化植物のマルバフジバカマも見られます。
 
●タラノキ。ヤブ山では、これと山椒、ハリギリの幼木、エビガライチゴ、サルトリイバラなどに気を付けないと痛い目に遭います。

●タラノキ。
 
●妻女山松代招魂社。招魂社の有る場所は、小字名は妻女山。地名は赤坂山。裏手の斜面は小字妻女。明治以降、地元でも字名で妻女山と言うようになりました。現妻女山には、第四次川中島合戦の時に直江山城守が布陣したと妙法寺記に書かれています。

●麓の畑では、長芋のつる壊し作業が始まりました。乾燥させたつるを燃やす煙がたなびきます。★パノラマ*21日四阿より撮影
 
●拝殿建立の頃(明治14年)に植えられたと思われる落葉松の古木。もう一本ありましたが、2004年の台風で折れてしまいました。

●妻女山の四阿から見る斎場山(中央)。
 
●伝説の謙信槍尻の泉。私が子供の頃は、もう10mぐらい上にあり、赤い石の間からチョロチョロと水が流れ出ているだけでした。

●そして江戸時代後期の霊水騒動の頃の絵図(下に掲載)を見ると、現在より東の谷に泉と霊屋があったようです。明治22年、その場所に清野避病院の建設され泉は消滅。現在の位置へ移動しました

●上信越道ができる前は、この道は真っ直ぐ前方の会津比売神社の横へ続いていました。この高速道路が出来て、この上にあるわが家の唐松林が枯れたり弱ってきました。排気ガスの影響でしょう。

●謙信槍尻之泉から戸隠連峰、茶臼山を望む。
 
●曇りですが寒くないためかクサノオウにホソヒラタアブが吸密。

●腹部が平たいのが特徴。
 
●器用にホバリング。

●そうっとアップで撮影。★拡大写真をご覧ください。
 
●クサノオウ。種子がついています。毒草です。

●雄しべが5本あるのでウシハコベ。花びらは10枚に見えますが、実は5弁花。
 
●3歳ぐらいの女の子を乗せてお父さんが自転車で妻女山へ。こんにちはというと、可愛い声で一緒に応えてくれました。小さな息子を乗せてサイクリングした日々を懐かしく想い出しました。

●上信越自動車道のトンネルが妻女山登山口です。昔はこの正面辺りに謙信の泉があったようです。
 
●上信越自動車道薬師山トンネルとその上の斎場山。



●江戸時代後期の川中島合戦図会。斎場山(513m本来の妻女山)から西の笹崎山(現在の薬師山)、東の赤坂山(現在の妻女山)が詳しく描かれています。黄色い本道と赤い線の細道も実に正確に描かれています。現地を見て描いたのは間違いないでしょう。図の詳細はこちらのページをご覧ください。
■『川中島謙信陳捕ノ圖 一鋪 寫本 』 榎田良長 彩色。出典:東北大学附属図書館狩野文庫(平成20年5月23日掲載許可取得済)流用転載厳禁!
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