林道倉科坂線 2008.10.7 | ||
10月7日(火)、午前中所用で松代へ。普通に行くと10分足らずですが、それではつまらないと、林道倉科坂線を使うことにしました。一般車通行禁止ですが、わが家は入口に山を持っているのでいいでしょう。というわけで約6キロの林道に入りました。この林道は、最近鞍骨城趾へ登る際にも使われているようです。まだ本格的な秋の前なのでヤブが心配でした。 | ![]() |
案の定、愛車は草木のビンタを受けながらの行軍となりました。都会育ちの我がフォレスターには、ちょっと刺激が強すぎたか。いや、水を得た魚のようでした。しかし、挙げ句の果てに待っていたものは…。今回は、特別編の林道4WD走行です。もちろん、錦秋になれば歩いても楽しいコースです。熊鈴をお忘れなく。 ■星印★のある写真をクリックすると拡大します。 |
■今回のコース 妻女山入口--妻女山松代招魂社--林道倉科坂線--途中の山--林道倉科坂線--妻女山松代招魂社--妻女山入口 ■気温:24度 蒸し暑い。 ■季節によっては、熊・猪・スズメバチ・マムシ対策も。 ■妻女山については、★妻女山の位置と名称についての特集ページをご覧ください。 |
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![]() ●矢印が、「上杉謙信槍尻の泉」。私が子供の頃は、もっと左上にあり、赤い岩の割れ目から水がチョロチョロ出ているだけでした。 つまり、ここでも泉の位置は移動しているのです。 |
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![]() ●登って今は右に曲がっていますが、拡幅されて舗装される前は、未舗装の林道で、その前は細い道が左に曲がっていました。わずかに痕跡が残ります。昭和30年以前の話です。 |
![]() ●ここは道が無く谷で、よく水が流れていました。江戸時代後期の詳しい絵図によると、この下に昔は、「上杉謙信槍尻の泉」があったようです。 |
![]() ●その下側。ここに明治22年清野避病院が建てられました。その際に泉は飲用に利用され無くなりました。その後現在のものが新しい「上杉謙信槍尻の泉」となったようです。平地があります。 |
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![]() ●コムラサキ。★ |
![]() ●鮮やかなコムラサキ。★ |
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![]() ●松代招魂社字妻女山頭鎮座。地名は赤坂山です。現在は妻女山山頂。地元で謙信の本陣と伝わるのはここではありません。★ |
![]() ●シソ科のナギナタコウジュ。 |
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![]() ●ナギナタコウジュ。★ |
![]() ●ヤマウルシ。★ |
![]() ●そそくさと妻女山(赤坂山)に戻ります。人生も行ったり来たりの繰り返し。迷い道フラフラ…。 |
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![]() ●右手は天城山(てしろやま)。左に二本松峠。大村からそこへ至る道が倉科坂です。 |
![]() ●右に赤い実が。思わず車を止めました。 |
![]() ●クサギです。臭いです。可愛い花には毒があるものです。★ |
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![]() ●眼下の大村には清野氏の屋敷がありました。上杉氏の会津転封に伴って清野氏一族はこの地を去りました。 |
![]() ●倉科坂も昔のような人の往来はありません。江戸末期、わが家の先祖の娘二人が、この峠の両側に嫁ぎ、頻繁に行き来をしていたそうです。彼女らの父は、長いこと村の名主をしていました。 |
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![]() ●妻女山(赤坂山)と新赤坂橋。 上杉景勝は、ここ赤坂山から鞍骨山にかけて布陣し、海津城の北條氏を威圧したということです。 |
![]() ●赤坂橋望遠カット。★ |
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![]() ●紅葉が美しい漆の仲間、ヌルデです。 ★ |
![]() ●林道からちょっと足を伸ばして見つけたハナイグチ。山を見て出そうな場所を特定するのがきのこ狩りの醍醐味です。 |
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![]() ●27本の収穫でした。信州では時候坊といいます。 |
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