斎場山から望む川中島 2008.1.4
●ここからは、茶臼山、千曲川対岸に布陣する武田信玄の軍団が手に取るように見えたことでしょう。里俗伝に、上杉謙信は、古墳の周りに幕を張って古墳上に楯を敷いて舞台とし、猿楽に興じたといいます。
 それより遙か昔、古代「科野の国」がここにあったころ、ここ斎場山(後の妻女山)は、その科野国国造(しなのこくくにのみやつこ)・建五百連命(たけいおたつのみこと)が袷祭した重要な場所と伝わっています。
 シナノ・科野の国・信濃の国
 シナノは、古来シナヌであった。漢字が入り科野となり、713年の『風土記』(和銅六年)以降、地名に二字好字をあてよとの命により信濃となる。『古事記』中巻に「神八井耳命(みわのやいみみのみこと・かむやいみみのみこと)者科野国造等之祖也」とある。また、大国主命の次男・健御名方命(たけみなかたのみこと)の諏訪入国に際し「科野国之洲羽海」に至るとある。
 科野の語源については諸説有るが、江戸時代の国学者・賀茂真淵(かものまぶち)は『冠辞考』で「名義は山国にて級坂(しなさか)のある故の名なり」と書いている。確かに北信には、更級・埴科を初め、倉科・保科・仁科・蓼科など科のつく地名が多い。古語において科や級とは、段差のことであり、信州の古代人々が住んだ扇状地や河岸段丘は、坂や段差が多い。また賀茂真淵は「一説には志那と云木あり、・・・ここ科野という国の名も、この木より出たるなり。」とも書いている。谷川士清(たにがわことすが)の『日本書紀通證』には「科の木この国に出ず」とある。シナとは、アイヌ語で結ぶとか縛るの意味である。柔らかく撓(しな)ればこそ結べる。シナノ木は、丈夫でよく撓る。信濃に多く、古来樹皮を加工してロープや古代織物の科布として使われた。
 また、地面が撓ったものが坂である。シナノとは、級坂(しなさか)の多き地の意か。更に、シナとは、鉄に関連する言葉ともいわれている。信濃の枕詞は、「みすず刈る」だが、すずとは葦や茅の根元に付着している褐鉄鉱のことだという。みは葦や茅の生える水の意か。または、御すずか。すずは鈴であり、水中に含有される鉄分が沈澱し、鉄バクテリア(沼などに石油を流したように漂う)が自己増殖して細胞分裂を行い、固い外殻を作ったもので、振るとカラカラ音がするものがあるという。鍛鉄は、薄くするとよく撓る。とすればシナノとは、鉄出(いずる)野か。また科野の国は、千曲川に沿って平坦部がしなしなと撓って続く地である。多説有るが、いずれが起源か定かではない。
 科野国の範囲は、弥生時代から更級・埴科を中心とした千曲川流域であり、後に信濃国より諏方(訪)国の分離独立(721)再合併(731)などを経て、905年(延喜5年)醍醐天皇の命により藤原時平・藤原忠平が編纂し、967年(康保4年)より施行された『延喜式』には、巻22の民部省上の中に、「凡諸国部内郡里等名 並用二字 必取嘉名」とあり、全国の地名が変更された。このとき、信濃国は伊那(いな)・諏訪(すわ)・筑摩(つかま)・安曇(あずみ)・水内(みのち)・高井(たかい)・埴科(はにしな)・更級(さらしな)・小県(ちいさがた)・佐久(さく)の10郡で成り立つ。信濃国は東山道の一国であり、等級は上国であった。
 斎場山は、科野国の国府が埴科にあったかもしれないとされる古代(その後小県に移る)天神山祗を祀る聖なる霊場。信濃国造(しなののくにのみやつこ)が袷祭した重要な場所であったと伝わる。また、平安時代になってからも、大穴郷・磯部郷などの重要な斎場であったと思われる。土口将軍塚・斎場山古墳・坂山古墳・堂平古墳群・笹崎山古墳・北山古墳などがある。
 雨宮廃寺と雨宮坐日吉神社、笹崎山(一名薬王山)政源密寺と會津比賣神社の関係など、仏教が伝来し、盛んになった大和・奈良時代から、平安時代における菅原道真の建議による遣唐使の廃止により神道の隆盛と国風回帰、それに伴う寺社の盛衰等が、此の地でもあったと思われる。
 『日本三代実録』貞観四年(862)三月の項に三月戊子(廿日)信濃国埴科郡大領金刺舎人正長(かなさしのとねりまさなが)・小県郡権少領外正八位下 他国舎人藤雄等並授、借外従五位下 とある。里俗伝によると、埴科郡の郡司の筆頭・大領の金刺舎人正長が大穴郷にいたということである。同じく『日本三代実録』によると、会津比売については、貞観8年6月甲戌朔条 (866)授信濃国無位武水別神従二位 無位会津比売神 草奈井比売神並従四位下 とある。会津比売命(あいづひめのみこと)は、会津比売神社御由緒によると建五百建命の妻とされ、諏訪大社祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)の次男熊野出速雄命(くまのいずはやおのみこと)の御子ともいわれる。森将軍塚古墳が建五百建命の墳墓、土口将軍塚古墳が会津比売命の墳墓とも云われる。また、天城山の坂山古墳が出速雄命の(熊野出速雄神社のある皆神山の小丸山古墳とも)、斎場山古墳が会津比売命の墳墓という説もある。いずれも定かではない。

参考文献:『更埴市史』『松代町史』『長野県町村誌』『会津比売神社御由緒』等

会津比売神社

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