| 妻女山(斎場山) その2 2008.1.4 | ||
![]() ●猪が掘り起こした跡。12月中旬の害獣駆除にも生き残った猛者。 |
![]() ●上から来て道を掘り起こし、下に行ったようです。 |
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![]() ●陽が差してきました。 |
![]() ●振り返って見る東風越方面。 |
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![]() ●妻女山駐車場。これは近年作られたものです。例年になく雪の少ない妻女山(赤坂山)。 |
![]() ●なぜここ妻女山(赤坂山)に戊辰戦争の招魂社が建てられたかというと、松代藩の射撃練習場があったらしいのです。 |
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![]() ●南の陣馬平方面を振り返ったところ。前方の山からは数多くの鉄砲の弾が出てきます。この辺りから撃ったのでしょう。招魂社周りの土塁もその当時のものだと思われます。前方の山の奥が陣場平です。妻女山ではありません。 |
![]() ●「妻女山松代招魂社」の石碑。妻女山は清野村当時の字名であり、地名は赤坂山です。招魂社の裏は、大字岩野村字妻女です。 |
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![]() ●招魂社の表参道は、鳥居前から清野側へ下り、清野小学校の校門前に出ます。手水鉢もあります。清野小学校の敷地内には、縄文時代晩期から、弥生時代後期につながる四ツ屋遺跡があります。 |
![]() ●展望台へ。地形から見ると、ここにも古墳があったのではと考えます。上杉軍布陣の時か、松代藩が射撃練習場にする時か、石碑建立の時かに壊されたのではと考えています。 |
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![]() ●南にノロシ山(舞鶴山・高テキ山)。 |
![]() ●右へ戸神山脈(大嵐の峰)。手前に象山。これが本当の西條山。妻女山とは別の山です。竹山・城山ともいいます。西条奥の最高峰、高遠山を西條山と記した絵図もあります。息子達は、沙羅寿庵で600gの大盛り蕎麦をたいらげて象山神社へ。 ●象山の東のふもとには、黄檗宗象山恵明寺(おうばくしゅう ぞうざん えみょうじ)があります。この寺を創建する際に、明から承応3(1654)年に来日した 隠元禅師僧の故郷の地名をとって、山号を「象山」としたそうです。正しくは、「臥象山」といいます。隠元禅師は隠元の名に由来するインゲンマメや蓮根、スイカなどの野菜や中国の精進料理「普茶料理」も日本に紹介しました。 |
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![]() ●文武学校。安政2年(1855)に松代藩が藩士の子弟の教育のために建てた藩校です。文武両道を旨とし、他藩の藩校と違い、儒教の教えを排除したため構内に孔子廟がありません。教育は大変に厳しく子供の成績が親の俸禄にも影響を与えたといいますから大変です。 |
![]() ●象山神社(ぞうざんじんじゃ)。近くの象山記念館と合わせて訪れると良いでしょう。 佐久間象山は、学問の神様としてあがめ奉られており近在の受験生がたくさん訪れます。 |
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![]() ●名前の由来となった象山(ぞうざん)。しょうざんではありません。正しくは臥象山(がぞうざん)。竹山・西条山ともいいます。山頂は、更に300mほど南へ登ったところで、松代城下、妻女山、川中島が一望できます。山際には、神田川沿いに情緒溢れる「思索の小道」があります。象山地下壕を見学の帰りに、神田川の右岸の道を下ると自然に「思索の小道」に続きます。 |
![]() ●高義亭。象山が安政元年(1854年)から約10年間の蟄居中に住んでいた松代藩家老望月主水の下屋敷聚遠楼の敷地内にあった建物。来客があるとこの2階に招き、応対したそうです。中岡慎太郎や高杉晋作も訪れています。 象山の正室は門弟勝海舟の妹順子ですが、子がなく、嫡子は側室お菊の生んだ恪二郎です。象山の敵を討つべく新撰組に入りましたが、生来のわがままで役に立たず、後に司法省に入りましたが、食中毒で29歳で亡くなっています。 |
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| ●清流沿いに松代駅へ竹山通りを北上。 |
![]() ●象山公園。正面やや右奥の森は離山。 |
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![]() ●真田邸に沿って松代駅方面へ。冬だというのに雨が落ちてきました。 |
![]() ●氷雨に煙る真田邸の冠木門(かぶきもん)。内部は、ただいま工事中。 |
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| 斎場山と戸神山脈 2008.1.5 | ||
![]() ●斎場山西端の笹崎。上は薬師山。左下は千曲川へ落ちています。現在は国道403号線が通って山が削られ拡幅されていますが、江戸時代までは谷街道の難所で、大洪水の度に通れなくなるため、本道は笹崎の山を超えていたそうです。山に白っぽく見えるのは、カラスザンショウの樹。8月に花を付けます。★ |
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![]() ●上信越自動車道屋代バス停より斎場山。左端が笹崎。★パノラマ斎場山脈と戸神山脈(山座同定) |
![]() ●飯縄山。★パノラマ飯縄山から川柳将軍塚古墳 |
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![]() ●森将軍塚古墳。古代「科野の国」の大王の古墳。麓の「森将軍塚古墳館」と隣の「長野県歴史館」は、歴史好き必見です。 前方後円墳というのは、シンメトリー(左右対称)であることが多いのですが、この森将軍塚古墳は、アシンメトリー(左右非対称)で、わずかにくの字に曲がっています。大穴山の地形のためなのか、それとも日本人のアシンメトリーを好む趣向が、すでにこの頃に芽生えていたのか非常に興味があるところです。 |
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| ●12月30日、薬師山-土口将軍塚-斎場山-妻女山-会津比売神社の斎場山脈トレッキングルポはこちらをご覧ください。 | ||
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