妻女山(斎場山) その2 2007.12.30

建立当時に鳥居があったところ(南側)。

●招魂社裏から見る斎場山(本来の妻女山)。

●忠魂碑。戊辰(ぼしん)戦争以降の松代の戦没者の名前が書かれた石柱。
 
●武士だけでなく志願して参戦し、死亡した農民もいるようです。いずれにしても戦争はいやじゃのう。

●招魂社全景。4月25日に祭礼が行われます。桜の名所。
 
●木彫りの龍が盗まれてしまいました。世も末です。

●展望台。川中島の古戦場が見渡せます。川中島八景のひとつ。妻女山秋月に挙げられています。あと七つは、茶臼山暮雪、猫ケ瀬落雁、千曲川帰帆、八幡原夕照、勘助塚夜雨、典厩寺晩鐘、海津城晴嵐。
 
●展望台の案内図より川中島を望む。またここは、信州サンセットポイント百選に選ばれています。

●赤坂(現在の妻女山)と妻女山(斎場山)を分けているのはいいのですが、かなりアバウトな絵図です。妻女山と象山の間の清野沖は、もっと南に深くえぐれています。尚、当時は『甲陽軍鑑』の誤記を見ると「さいじょざん」ではなく「さいじょうざん」と呼ばれていたと思われます。
 
●雪雲に霞む海津城

●西方には、ノロシのような煙たなびく岩野。

●眼下を走る長野電鉄。

●横殴りの雪に煙る斎場山。
 
●さらに雪雲が濃くなってきました

海津城も見えなくなりました。
 
●吹雪の中に舞う毘沙門天の旗

●雪を食べてる場合じゃない。帰ろう
 
●斎場山を見上げて、降りしきる雪の中を下山

●曲がり角に「上杉謙信槍尻之泉」。林道は、上信越自動車道が無い頃は、真っ直ぐに会津比売神社へと下っていました。
 
●高速をくぐります。この向こう側に数台駐車できます。ここから歩いて登るのがいいでしょう。安易に車に頼るべからず。

●上信越道薬師山トンネルの右に会津比売神社。祭神は、「會津比賣命(アイヅヒメノミコト)」です。『會津比賣神社御由緒』には、信濃の国の初代国造建五百建命の后なりとあります。全国に同名の神社は無く、特異なお宮です。元は大きな神社だったらしいのですが、上杉方についたために、武田が北信濃を支配したときに焼き払われ、その後小さく再建されたという伝承もあります。では、上杉謙信が庇護したという会津比売神社は、どこにあったのでしょうか。同じ場所なのか別の場所なのか。一説には山の上(御陵願平か天上か)ともいいますが謎です。

●「謙信鞍掛の松」。昔は右手の坂の中央に二抱えもある大きな松が生えていたとか。春秋の祭りの日、神楽は山側に大きく乗り上げて境内に入ったということです。

『日本三代実録』には、貞観8年6月甲戌朔条 (866)無位会津比売神に従四位下を授くとあります。
 
●参道。昭和の昔、春秋の祭には出店が並んで賑やかでした。目を閉じると笛の音や子供達の歓声が聞こえるようです。

●芭蕉句碑「秋日塚」。「赤々と日はつれなくも秋の風」両角吾仏の書。明治15年頃の建立。松代には、他に三箇所の芭蕉塚があります。
 
●長野電鉄踏切より扇ぐ妻女山(赤坂山)。
大晦日 雪の斎場山 2007.12.31

●明けて大晦日。一晩中降り続いた雪で斎場山は真っ白。
 
●仰ぎ見る雪の斎場山。

●岩野の字川式(川敷)の御榊下(おさかきした)から望む斎場山脈。
二年参り 雪の妻女山 2007.12.31-2008.01.01

会津比売神社へ二年参り
 
●その後、妻女山展望台へ。

●松代、八幡原方面の夜景。
 
●降りしきる雪。

●明けて3日、森将軍塚古墳へ。
 
●古墳の上にひとり人が登っていました。

●通常はシャトルバスが出ています。
 
●薬師山先端の笹崎。国土地理院の地形図に記載がある神社は、ここにはありません。誤り。ずっと左に水天宮あり。右に袖振観音あり。白っぽく見える木は、カラスザンショウ。
■「妻女山の位置と名称について」妻女山(斎場山と赤坂山)の真実。
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