妻女山(斎場山) その1 2007.12.30
妻女山は往古赤坂山といい、本当の妻女山は斎場山といった。
 12月30日(日)、締めの登山は、歴史の山「妻女山」へ。妻女山は、招魂社と展望台のある標高411mの現在の妻女山と、地元では本当の妻女山と呼ばれている往古は斎場山と呼ばれていた妻女山(513m)のふたつがあります。
 現在の妻女山は本当は「赤坂山」という山です。『清野村誌』には、「招魂社は、妻女山の中腹にあり岩野村に跨る」と書かれています。つまり招魂社のある場所は、本来の妻女山の山頂ではないのです。
 そして、本来の妻女山は、地形図に置いて現在名無しという憂慮すべき状況です。


 地元では本当の妻女山については多くの人がその事実を知っているのですが、往古は斎場山といったということは、県史や埴科郡誌、村誌を紐解かなければ分からないことなので、知る人がわずかであるのが実情です。
 今回は、昨年の年初と同じ薬師山から斎場山、妻女山へ下りるコースを辿ってみました。

■星印
のある写真をクリックすると拡大します。解説なども載っています。ぜひご覧ください。

■今回のコース
千曲川堤防--薬師山登山口--薬師山(437.7m)瑠璃殿--土口将軍塚古墳(454m)荘厳塚--御陵願平(龍眼平)--斎場山(513m)妻女山古墳・謙信台--林道(杏の里ハイキングコース)--妻女山(411m)赤坂山--会津比売神社--妻女山登山口(351.6m)
■全行程:約2時間・休憩を含む 標高差:約162m
■登山地図にないコースです。★二万五千分の一地形図必須・季節によっては、熊・猪・スズメバチ・マムシ対策も。
★狩猟期は、ハンターが入ります。いずれも個人所有の山なので、マナーを守ってください。
■妻女山については、★妻女山の位置と名称についての特集ページをご覧ください。


●2:42 岩野芦原から見る斎場山(左のピーク)。右は御陵願平。

千曲川の堤防を西へ。

●対岸は、横田
 
●北西方面、遠くに茶臼山。

●振り返ると岩野橋。戦国時代の戌ケ瀬の辺り。浅瀬は年々上に動くので、地名としては上流の篠ノ井橋の辺りに残っています。
 
●薬師山登山口。長野電鉄屋代線(旧河東線)の北山隧道

●1922年(大正11年)6月10日 河東鉄道により屋代〜須坂間が開業しました。結構古いんです。現在は須坂-木島平が廃止されたため屋代線といいます。昭和の全盛期には、上野から急行「志賀」「丸池」が運行され、登山客やスキー客を運びました。現在は、ワンマンカーで、古い日比谷線の車両が走っています。2000系電車は、人気の的でした。現在も長野線で活躍しています。
 
●トンネル上から見る長野電鉄屋代線、岩野駅方面

●薬師山(笹崎山)中腹より対岸の横田川原を見たところ。
 
●稲荷神社。

薬師山中腹より川中島

薬師山頂(437.7m)。地元では、「おやくっしゃん」と親しまれている薬師堂(瑠璃殿)。★笹崎山薬師如来の縁起

●尾根を200mほど東へ歩くと「土口将軍塚古墳」。前方後円墳で見えるのは後円部。標高は、454m。薬師山から斎場山古墳、東風越辺りまでと陣場平が、謙信の本陣といわれています。
 
●平成19年2月7日に国指定史跡になりました。岩野では荘厳塚(しょうごんづか)ともいいます。足元になにかが…。

●狸の死骸です。病死か害獣駆除で誤って打たれたのでしょうか…。
 
●土口将軍塚古墳。冬季は南面の巻き道が通れます。

●南には坂山古墳のある天城山(てしろやま)。埴科古墳群には、科野(しなの)最大の前方後円墳がある森将軍塚古墳群や、土口将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、有明山将軍塚古墳などがあります。古代「科野の国」の解明が待たれます。
 
●古墳の上からは東方に御陵願平(龍眼平・両眼平)が見えます。

●ほぼ平らな道が200mほど続きます。陣小屋を建てるぐらいのスペースは充分にあります。
 
●御陵願平への登り。

●右手に土口の集落。土口とは、斎場山に参拝するための入口という意味だそうです。手前が唐崎。奥は大穴山と有明山。

●御陵願平(龍眼平・両眼平)。ここに往古、會津比賣神社があったともいわれています。よく見ると大きく二段に分かれています。

●斎場山方面に進んで御陵願平を振り返ったところ。この辺りも陣小屋を建てるに充分な広さがあります。
 
●この左手の尾根上には、径6メートル前後、高さ1.2〜1.6メートルの円墳が七基並んでいます。

●俗に「旗塚」といいます。実際は上杉謙信が旗を埋めた塚ではなく、古墳時代の県主、郡司を祀った斎場祭壇といわれています。
 
●別の塚。七基あるといわれていますが、注意深く見るともっとありそうです。有旅茶臼山や有明山、その南の久保峰、川柳将軍塚古墳にも同じものがあります。

●斎場山古墳のある斎場山山頂513m。★パノラマ918k
 
●平らで丸い山頂です。謙信は、ここに楯を敷き周囲に陣幕を張り床几を置き、猿楽に興じたといわれています。

●麓のお祖母ちゃんと交信中か…。
 
●眼下に見える斎場原(岩野)と千曲川。

●上杉謙信本陣より川中島の眺め。★パノラマ

●古墳の上や周りには、調査した際の標柱が何本もありました。

●東南に妻女山から天城山への尾根が見えます。
 
●斎場山古墳。円墳で二段の墳丘裾があります。

●天城山(てしろやま)。手城山とも書きます。古くは、御陵願平から斎場山古墳と天城山の坂山古墳を拝んだといわれています。
 
●東風越えに下ります。この林道は新しいものですが、細い道は江戸時代以前からあり、斎場越しといって清野と土口を結ぶ重要な道でした。

●右前方に陣場平。ご覧のように大正時代の地形図にあるようなピークは存在しません。削った事実もありません。信玄が海津城に全軍を入れてからは、本隊を陣馬平方面へ移したとも伝わっています。
 
●天城山。林道の筋の下は堂平。天城山右の鞍部から陣場平まで緩斜面が続いています。武田別働隊は左の狭い尾根ではなく、ここを通ったと考えられます

「あんずの里ハイキングコース」の看板のある分岐の長坂峠。往古には東風越(こちごえ・こちごし)と呼ばれたところです。
 
●東風越からは、森将軍塚古墳が見えました

●振り返ってみる斎場山。この辺りから陣場平までの平地を「天上」といいます。地元の人は、敬意を込めて「御天上」といいます。
 
●妻女山(赤坂山)に向けて下ります。

●林道はトラバースしながら天城山から妻女山へのびる尾根に向かいます。

●この辺り一帯は、「ノケダン」という地名です。崖や段差を意味する野毛+段(壇)が語源でしょうか。段々になった地形です。

●この辺りまでニホンカモシカが現れるようになりました。
 
●下は「上杉謙信槍尻之泉」。地名は、舟の舳先の様な地形であることから「舟窪」といいます。

●妻女山(赤坂山)の駐車場に出ます。
 
●林道は、天城山の下で行き止まりです。熊の目撃情報が多い山なので充分注意が必要です。オオスズメバチも要注意!

●この広い林道は、昭和30年頃に林道ができるまでは無かった道です。上杉謙信槍尻の泉から招魂社の裏手へ登ってくる細い作業道があっただけでした。

●なぜここ妻女山(赤坂山)に戊辰戦争の招魂社が建てられたかというと、松代藩の射撃練習場があったらしいのです。招魂社南の山の斜面からは数多くの鉄砲の弾が出土します。この招魂社の辺りから南の山腹に的を立てて射撃練習をしたようです。それ故、戊辰戦争後にわざわざこの地に招魂社を建てたらしいのです。また、円墳のある斎場山からのびる尾根の先端には、赤坂山古墳があり、古代からの斎場であったためともいわれています。
 
●妻女山松代招魂社。この場合の妻女山とは、山頂のことではなく、小字名のことです。地名は、赤坂山といいます。大きな落葉松は建立当時に植えられたもの
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