| 三国山-熊倉山-生藤山 その2 2007.12.9 | ||
![]() ●静かな尾根です。 |
![]() ●元社に戻りました。 |
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![]() ●元社の急な階段。下から男性が登ってきました。 |
![]() ●ヤドリギ。 |
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![]() ●エンコウカエデ。 |
![]() ●こんな風に樹種の説明板が所々にあります。 |
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![]() ●イヌシデ。他にイロハモミジ、メグスリノキなど。 |
![]() ●ホウノキになにか卵が。4人のハイカーとすれ違いました。 |
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![]() ●なにかの卵。★ |
![]() ●三国山に戻って再び大菩薩嶺。★408k |
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![]() ●ブナです。巨樹はありませんが、この尾根にもブナは散見されます。 |
![]() ●三国山南面の暖かな巻き道。 |
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![]() ●振り返ると茅丸、連行峰、ずっと右奥に陣馬山。 |
![]() ●ダンコウバイの枯葉。 |
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![]() ●軍刀利神社への分岐。 |
![]() ●石楯尾神社、鎌沢方面。 |
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![]() ●三国山へ戻るような形で下っていきます。 |
![]() ●仰ぎ見る熊倉山。 |
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![]() ●ほどなく女坂分岐。 |
![]() ●標識。 |
![]() ●元社の森。 |
![]() ●陽も高くなってきました。間伐が不十分なので陽があまり差し込みません。下生えがなく豪雨に弱い山です。 |
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![]() ●虫コブ。 |
![]() ●虫コブのできていない葉。 |
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![]() ●沢が見えたら奥の院は間近。 |
![]() ●奥の院の大桂。★ |
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![]() ●冬なので甘い香りはありません。 |
![]() ●仰ぎ見る檜林。 |
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![]() ●大桂、★ |
![]() ●見る方向により全く姿を変えます。 |
![]() ●大桂。 |
![]() ●渓流沿いの参道を下ります。 |
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![]() ●紫陽花の残花。 |
![]() ●例年ならすっかり枯れているはずです。 |
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![]() ●思ったよりも暖かな日になりました。扇山。 |
![]() ●振り返ると元社。 |
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![]() ●軍刀利神社に参拝。 |
![]() ●本殿。 |
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![]() ●額殿の軒下には巨大な太刀がつり下げられています。 |
![]() ●石段を下って今日の山歩きは終了です。まだお昼前です。 |
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![]() ●三国山 国土地理院2万5千分1地形図名:与瀬をカシミール3Dにより加工。★ |
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| ●軍刀利神社 神社の石段の下には次のような説明が書かれています。(一部省略) 「人皇七十代後冷泉帝御宇永承三年(1049)五月創立当初三国山頭に座し、武州桧原郷、相州佐野川郷並棡原郷の総鎮守と称せられたが野火の災に罹り延徳年間現今の地に遷座す。 軍神として広く信仰を集め特に武門の崇敬は篤く、武田信玄は自画讃水仙図の軸を奉納。 岩殿城主小山田家は累代当社を崇敬し、七代の主信有は享録三年(1531)郡内に侵入した北條軍迎撃の出陣に当り戦捷祈願をし、矢坪坂にて是を撃破せしむ。御神徳に感じ金百両を寄進す。 上野原郷豪族加藤氏、小菅遠江守信景累代の主年々神社維持費を幕末に至るまで奉献す。 甲斐国志には「軍荼利夜叉明王社棡原村井戸鎮守永正八年(1511)鰐口有銘略之寛永九壬申(1633)年棟札あり略云々」とあります。 現在は厄除け招福、縁結びの神として、全国的に有名な神社です。軍荼利夜叉明王ですから元々は寺ですか…。 尚寛永九年(1633)社再建の折りの棟札に、神主石井勘五郎大工日原村佐五右エ門の名が見られます。 |
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